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遡るもの



 体に刃が通る瞬間ってのは最悪な気分だ。全身が総毛立って異物が入り込んだってはっきり分かる。


 この話を聴いているお前らなら分かるだろ?


 霧を取り込むってのは、ああいう気分だった。自分の中の世界との境界線が取り払われて、自分の中の大事ななにかが混ざって、身も心も別のものになる。


 はじめてやったときはそれはもう酷いもんだった。加減なんて分からないから吸い込みすぎて、いきなり俺の腕は爆発した。後から思うに、あれは多分炎霊(イフライ)になってしまったんだな。


 隣を見ればガリアンは失った瞳がいくつも生えてきて、まるで葡萄みたいに顔から枝なりになっていた。腕なんか三メートルくらいの長さの蟷螂の鎌が生えててめちゃくちゃ不気味だったよ。ま、ガリアンからすれば俺の姿も似たようなものだったかもしれないけどな。


 『執事』は嬉しそうににんまり笑ってた。あいつの言ってた通り、ろくに知性のない低級の悪魔に俺たちはなろうとしていたから、それが嬉しくてたまらないって感じだった。


 ああ、ここで『俺』は死ぬんだなって直感的に分かったよ。霧に満たされた体はこれまで経験したことがないくらいに力に溢れていたけど、なにか考える力みたいなものがどんどん侵蝕されているのが分かった。


 違う姿になったって、例え悪魔のナリになったって今こうやって考えている俺が『俺』のままなら、それは紛れもなく自分だって思えた。


 でもお前らが「世界を滅ぼす」とか言ってるこっちのガリアンに対して思ったみたいに——言うことも考え方もまるきり全部入れ替わったなら、それは『俺』の死だ。別の魂だ、だろ?


 で、意地っ張りなガリアンはどうしたか。


「……どうせ死ぬなら思いっきり霧を吸い込んでムカつく奴をぶっ殺してやる」


 正解だ。今のお前もそうするか?


「ああ。俺もそうするし、兄貴もそうするだろ」


 そう思うか?……そうか……ありがとう、ガリアン。


 でもな、俺は出来なかったよ。


 頭では思ってたんだ。舐めやがって、人類の意地を見せてやる。後悔しながら死にやがれって。


 でも、怖かったんだ。


 人生の最期にビビった。自我が消えていくことに恐怖した。友の決死の覚悟を無駄にした。


 何も出来ずに、俺は震えてた。自分の体が段々炎に包まれていくのが恐ろしくてただ泣き叫んで許しを乞うた。


 そして、そうこうしてる間にガリアンが霧の魔力を集めて爆弾みたいに弾けた。全身の骨や歯が破片として飛び散って俺の体をバラバラに吹っ飛ばした。


それを『執事』が大道芸でも見るみたいに手を叩いてゲラゲラ笑っていた。ガリアンの命懸けの攻撃は、悪魔に何のダメージも負わせることが出来なかった。


 心底腹が立ったよ。


 殺してやると血の涙を流しながら叫んだ。喉から血が出で溺れた。でも、それもあの悪魔にとっちゃいい退屈凌ぎに過ぎなかった。


 近寄ってきてこう言われたよ。


「何の価値もないカスみたいな人生でしたね、お疲れさまでした」


 あのとき俺もガリアンと同じように出来ていたら、何か違ったかもしれない。


 だけど、そうはならなかった。そう出来なかった。


 俺はガリアンを見捨てた。友の死よりも我が身が大事の卑怯者。死んで当然の恥知らず。それが俺の本当の姿さ、ガリアン。


 心底恥じた。あんなに自分が情けなくて死んでしまいたいと思ったことはない。腕がそのときまだ動いていたなら、その場で自分の首を刎ねただろうな。


 何度殺しても飽き足らない恥知らず。自分のことをそう思ったそのとき。その卑怯者に神は慈悲を垂れた。何の前触れもお告げも使命も与えられなかった。


 死んだと思った次の瞬間、俺は故郷の村にいた。クソ親父にぶん殴られて奴隷みたいに働かされてた、あの村のこどもに戻ってたんだ。


 ワケが分からなくて気が狂いそうだったよ。いや、あのときは狂ったに違いないと思ってた。


 それでもあまりに現実と符合する妄想だったから、冒険者になるのはやめようとガリアンに言い聞かせて村の中で過ごした。


 だけど結局、使い潰されて俺は九歳の冬にまた死んだ。飯を食えなかったからだ。


 これが夢や気狂いの妄想じゃないことに気付いたのはその次、三回目のことだった。


 ガリアンと村を飛び出し、街に出ることにしたがスラムの連中や衛兵の顔に見覚えがあった。そいつのクセや隠し事まで、俺が一回目の人生で経験して知ってる通りだった。


 結局そのときはずっとその街で暮らしてたけど、その街も悪魔がやってきて破壊の限りを尽くした後、氷漬けにして去っていった。


 そんな人生をまた二度ほど繰り返して、俺は自分の身に起きたことをようやく理解した。


『人生を何度でも繰り返す』

——それが、神から俺が得た寵愛だ、ってな。



***


「し、信じられん……」


「俺たちは、戯曲の話でも聞かされているのか?」


「いくらタップ殿とはいえ……」


 長い独白に、皆が言葉を詰まらせていた。もちろんこの突飛もない話に絶句していたのだ。


 ガリアンが悪魔の王だったということからして意味が分からないのに、その上タップがその悪魔の仲間で裏切っていたかと思えば、さらにはそうではないと彼は言う。挙げ句の果てに『人生を繰り返している』?


 なんだそれは、というのが一同揃っての感想であった。


 神の加護を直接与えられる傑物というのはほんの一握り。それも大抵は一芸に秀でたものが与えられる『神のお墨付き』のようなものであり、実益という意味では字面ほど強力なものは滅多にない。


 例に挙げれば『己の手で研げば鈍ることのない刃を生み出す』『食事を作るときの食材が半分で済む』などが上澄みであり、『リュートを弾くときに弦が切れない』程度のものが大半である。


 ガリアンの『仲間を背に負う限り死なない』などという理外の英雄はこの世界が続く限り今後現れないだろうと、誰しもが思っていたのだ。


 だというのに『死ねば時を遡り生き返る』などというのは、法螺を吹くにも限度がある話。


 このような緊迫した場面を和ませるために冗談でも言っているのではないかと耳を疑う内容であった。


「……俺は信じるぜ、兄貴」


 ガリアンが言う。


「俺はずっと不思議だったんだ。歳も生まれも大して変わらねえ兄貴がどうして何でも出来るのか。そういう加護だってんなら不思議はねえ」


 誰もが思い当たることがあった。


 『風が重い。雨が来る!今一時さえ凌げば渡河は出来ないぞ!!』


 晴天の中、雨を予報し猪魔(オルグ)大襲撃(スタンピード)を食い止めたことがあった。


『こういう遊びを思い付いたんだが、売り物になったりしないか?』


 ファティヒに持ちかけたボードゲームが大当たりして旅の資金が大いに潤ったことがあった。


『これは恩寵武器か!初めて見たな……神が使い手を選ぶというが、これは拒否されているということか?』


 やけに博識だった。貧民で文字を書くのも苦労するガリアンと同じ農村の出でありながら、タップは読書を嗜み古今様々な知識を度々披露した。


『顔色が悪いな、風邪か?前に薬師に貰った丸薬がある。これを飲んでおけ』


『お前は運が良かったな!俺が目の前に立ってなきゃ今の一撃であの世行きだ!!』


『悪いことは言わん、あの娘はやめておけ。何でって?……占いだよ、占い』


『おい、今日の出撃の時にはこの手甲を着けておけ』


 誰もがタップに助けられていた。彼といるとなぜかいつも調子が良く、不思議と実力以上の結果が出せた。


 だからこそ一党の名からもじって《怖気祓い》と呼ばれていたのだ。


 それも、未来を知っていたというのだろうか。あまりのことに納得なんて簡単に出来るような話ではないが、確かに理屈はつく。


「まァ、タップ殿は若様の次くらいにゃァ不思議な御仁ですからなァ……何というか突拍子もないが何となく納得する気持ちもありますな」


「思えば、我々の旅はお前の助言に誘導されているような節もあった。《宮殿》への旅路に同行しなかったのも、その一つか?」


 ファティヒもサティアも、この荒唐無稽な話を否定しきれないようだった。これまでの戦いの中で何度もタップの知恵を借りた経験から、その言葉の含蓄の深さに今更ながら違和感を覚えたからだ。


「ああ、色々とやることがあったんだ。ガリアンがここに行くことも分かってたからな」


「そこだ」


 すぱり、と音がするような声だった。ガリアンのものだ。


 いつの間にか目には力が戻り、強大な魔力が揺らめいている。それは今にも激しく弾けそうな温度を秘めていた。


「兄貴、これだけ教えてくれたなら、俺はあとのことは全部信じる——」


 縋るような、試すような、穿つような、阿るような不思議な眼差しだった。


 タップはにっこりと嬉しそうに笑みながら、それを眺めている。


「結局コイツ(老ガリアン)は何なんだ?俺たちにとって——何なんだ?」

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