兄貴分
「あー……久しぶりに死ぬかと思った」
「べらべら下らん話をするからだ」
「悪かった。つい、気分が上がってたんだよ」
その男はあまりにもいつも通りだった。街中でちょっと美味しい飯屋にあたったとき、依頼の報酬が良かったとき、難敵を全員で倒したとき——ちょうど今のような顔で笑っていた。
「馬鹿な……心臓を突いたんだぞ……」
「ファティヒ……色々隠し事が多いのは認めるけど仲間だろ?話も聞かずにいきなり刺すなよ……俺じゃなきゃ死んでるぞ」
「ガリアンを裏切っておいて何をいけしゃあしゃあと……!!」
サティアが殺意を漲らせ、タップを睨む。
立って動けている人間は三十にも満たない。先ほどはこの人数以上が悪魔の王一人に圧倒された。凄んでは見たものの戦力差は歴然。
未だ呆然とタップを眺めるガリアンが戦線に復帰できるようにはとても見えない。
「いやいや、俺は————」
「黙れ、裏切り者!!」
「俺たちを、人類をナメやがって!!」
「タップ殿……皆で語り合ったあの夢もすべて嘘だったのか!!?!?」
背後から罵声が飛ぶ。戦いの余波だけでぼろぼろになった騎士と商人がそれでも挑発して攻撃を自らに向けさせるために声を張り上げているのだ。
(……撤退するか?)
ガリアンさえ生き残ればまだ人類には目がある。ここにはいないラージルとルルノアがいれば悪魔の王の陣営の情報を持ち帰り、再度ここへ攻め入ることだって可能だろう。
脳裏に非情な選択肢が浮かぶ。
ここにいる全員は生き残れない。今声を上げている人間は動けもしないのだろう。きっとそいつらを置いていくことになる。
「はあ、面倒な……サティア——こいつが話したがってるのはそこだ。タップには裏切ってるつもりはないんだろうよ」
呆れたように溜め息がひとつ。見れば悪魔の王が『聖レノ記』により顕現した籠手を消し去っている。
目を疑う。
なぜこのタイミングで矛を収める?
「どうせ面白くもない昔話をするんだろ。さっさとしろ」
「ありがとう、老ガリアン。悪いな、お前の決意を無為にするようなことを言って」
「…………今更だ」
そう言うと、老悪魔は踵を返し壊れて倒れた玉座にどかりと腰掛ける。玉座に座る、というよりもちょっとした段差に座るような、そんな所作だった。そんなところすらも、ガリアンにそっくりだった。
「なあ、みんな……聞いてくれ。俺はみんなと戦うつもりはない」
タップがこちらに微笑む。いつもは頼もしく見えていたその自信に満ち溢れた笑みが、今は得体の知れない生き物の威嚇に見えた。
「ガリアン、お前ともだ。俺は今でもお前を弟分だと思ってる」
茫洋としたガリアンの視線がタップのそれとぶつかる。場が静まりかえる。想定しない展開に皆が息を呑んで見守っているのを、サティアは感じ取っていた。
ファティヒもまた、趨勢を見守ることにしたようだ。時はこちらに味方する。ガリアンが我を取り戻しさえすれば、話は変わってくる。そう考えているのが視線から見て取れる。
かくして、彼は話し始める——。
「長い話にはなるが——順を追って話そう。俺たちがどうやってここまで旅をしてきたか」
***
はじまりは二人だった。
俺とガリアンは皆が知るとおり貧農の生まれで、その日食うものに困るような痩せた大地で育った。
「街へ行って冒険者になろう」
「金持ちになって腹一杯肉を食ってやる」
そう意気込んで冒険に出たはいいが、物も知らない貧民のガキが街に入ることなんて出来なかった。信用も仕事もないガキを入れたって、犯罪者になるだけだからな。今となっては門番の言うことも尤もだが——あの時はよく分からずに二人で暴れて牢屋に入れられた。
結局、それから街の外壁沿いにあるスラムで十年ほど過ごした。ケンカの仕方や世渡りはあそこで覚えたものだ。
その頃には俺たちは街の中に入れるようになっていた。今よりもずっと世の中には霧が満ちていて——誰もが正気ではいられなかったんだろう。かなりの額にはなったが、賄賂をチラつかせて動かない人間はいなかった。
時折北の山脈から強い風が吹いて数時間だけ霧が晴れる日があるだろう?俺たちはあれに乗じて色んなものを拾ってきて売ることでカネを稼いだ。
世界の広さはそこで知った。悪魔に支配されたその隙間で畑を耕していた自分たちのちっぽけさに腹が立った。
「見ろよ、あれが噂の二人組だぜ」
「シッ、目を合わせるな。イカれに絡まれちゃ迷惑だと」
目標が霧を晴らすことに変わった。誰もがそれを笑った。俺とガリアンだけが本気だった。
この《宮殿》に辿り着くまでには五十年かかった。着いた頃には二人とも満身創痍で、ガリアンは加護も持っていなかったから傷は治らず隻眼隻腕の剣士だった。
悪魔の王を倒すなんて、さしたる功績もない『晴れ間漁り』に誰か期待するものか。
貧民の乱暴者二人を支援してくれる組織はなかった。騎士は俺たちを厄介者扱いしたし、金や物資を融通してくれる者などいなかった。
それでも、本気だった。噂に聞く悪魔の王。これさえ倒せば世界の霧は晴れる。そう信じていた。
そして辿り着いたここで絶望した。
「悪魔の王?——そんなものはもういませんよ」
呆れたようにこちらを見る悪魔。主人もいないのに『執事』を名乗る目の前の男はあっさりと言い放った。
こちらを殺すことすらせず、打ちひしがれる俺たちを見下ろしてその悪魔は鼻で笑う。
「番犬代わりの門兵などは認めようとはしませんが——五百年も前に王は死にました。貴方がた人間がそれを成したではありませんか」
「人間が——?」
「哀れなものですね……愚かも極まると同情を誘うとは初めて知りました。かの男も泉下で憤るでしょうな」
「そんな…………今までの、俺たちの旅は一体……」
片眼鏡をかけた銀髪の吸血鬼は慇懃に一礼すると口を三日月のように歪めて嘲笑った。
「無駄な努力、ご苦労様でした——ああ、そうだ。霧を晴らしたいならいい方法がございますよ?」
くすくす、と嬉しそうに笑いながらその悪魔は告げる。
「吸収すれば良いのですよ。霧は龍脈から噴き出した魔力の粒子。その身に取り込めば力を得ることも出来る万能の力だ」
嬉しくて仕方がないような表情の男は、まさに「悪魔」と呼ぶに相応しい、悪辣さを備えていた。
「この世すべての霧を取り込もうなんて、ヒトの身で出来るわけがありませんけどね?」
俺たちには他に選択肢はなかった。成果もなくただ引き下がるだけの帰路のことなど考えていなかった。これまでに払った時間と犠牲に見合うだけの未来を得られなければ、この人生に価値はない。この時は二人ともそう思っていた。
「ほう、どうせ低級の悪魔にでもなるのがオチでしょうが——その見せ物には興味があります」
不思議なことに、俺たちの最初の師は悪魔だった。霧を身体へ取り込む方法や、魔力循環の方法など、不自然なほど丁寧に教えられた。
それは当人が言うように俺たちの破滅を願うものではあったが、ともかく教えを受けた俺たちは霧の魔力を体へと取り込むことに成功した。
そのときのことを、俺は今でも後悔している。




