そういう生き物
「兄貴!」
「おう、びっくりしたぞガリアン。まさか俺を置いていくなんてな」
目を細め歯を見せて笑う兄貴分。
武芸百般に優れ、知略に長ける、皆から慕われる人望厚い《厄介払い》の大黒柱。
幼いころから互いの全てを知る最も古い友人。
共に夢を語り合った、堅い絆で結ばれた仲間。
「いやあ、やっぱり全て計画通りというわけにはいかないもんだ」
それが今、宿敵の隣でのんびりと佇んでいる。
まるで、その隣の悪魔の王を警戒する必要はないとでも言いたげに。
「遅かったな、タップ」
「悪い悪い、ガリアン——ややこしいな、老ガリアンとでも呼ぶか?」
「アンタの方が歳上だろうが」
まるで、そっちが本当の仲間かのように。
「——————は?」
「ああ、そっか。そうだよな。あー……なんて言ったらいいか」
ぽりぽり、と困ったように笑いながら頬を掻くタップ。昔から変わらない、手のかかる弟分に対する態度に内心の混乱は加速する。
目の前に年老いた自分が敵として現れた。これも相当に意味が分からないことだったが、ガリアンにとっては別に構わないことだった。
元より死ぬかもしれない旅路である。仲間も連れずに単独行動。自分が悪魔の王と刺し違えて死ぬなら、上等な部類の死に方だと思っていた。
ましてや、敵が自分だというなら扱う武装も魔術も予想が付く。理解出来ないと吹っ切れてしまえば勝てる確率が上がってラッキーだと思ったくらいであった。
だが、事ここに至ってガリアンの脳内は混迷を極めた。
死なせたくないから置いてきたはずの仲間がここまで追いかけてきて、よりにもよって仇敵と親しげに話し始めたのである。
(兄貴——?本人か?魔術?いや、魔力の拡散がどう見ても本人だ。なら、なぜ——?)
「ガリアン、そのな……」
「見て分からないか、タップは初めからこちら側だ。お前はまんまとここまで誘導されたんだよ」
「!!!」
「おい、わざわざそんな言い方しなくても——」
「結果は同じだろう。大体、口で説明する必要がどこにある?」
「俺はこのガリアンとも長い付き合いなんだよ」
否定を、しない。
『タップはこちら側だ』という言葉を、黙認している。
「あ、あ、あ————」
呼吸の音がやけに大きく聞こえる。額の上から冷たいものが押し当てられたように感覚がない。体がやけにふらふらとして、軸が定まらない。世界が回転するように視界が揺れる。
嘔吐。
喉の奥から迫り上がった塊が、口の中を灼きながら外へ出てくる。現実味を失ったガリアンは、まるで自分が一本の無機質な筒になったように思えた。
「なんで……なんで?」
見捨てられたこども。今のガリアンを形容するのにぴったりの表現だった。
ただ独り、怪物の闊歩する土地を進んだとていつでも仲間のことが心にあった。
本当はいつも怖かった。
痛いのは嫌だった。
仲間がいないのは寂しかった。
本当は戦いなんてしたくなかった。
街で小さな雑貨屋でも営んで、同世代の友達と下らない馬鹿話をしてみたい。
それでも、自分をおいて皆が死んでいくのは身を斬られるよりも辛かった。
だから、我慢できた。
優しかった皆が死ぬよりも辛いことなんてないから。強かった皆が死んでも守った理由が俺の命にはあるから。
あの死が無駄であっていいわけがない。
あの誇り高い大好きな人たちが後世にも語り継がれるように。
あのとき逃がされて生き残ったガキに、守られて託された弱者に、庇われて生き残った間抜けに——彼らがその命を賭した価値がここにあると示さんがために。
俺は世界を救わなきゃならない。
俺は、幸せじゃなくていい。
——そう、思っていたのに。
「兄貴——う、裏切ったのか……?」
「戦意を失ったか——ちょうどいい、さっさと同化しよう」
「兄貴!アンタは——俺たちを裏切ったのか!!?敵だったのかよ!!」
「ガリアン——」
タップが穏やかな、それでいてほんの少し影の差した表情で何かを言いかけたそのとき。
「……この裏切り者がッッ!!」
背後から短剣を握ったファティヒがタップのに刃を突き立てる。赫怒に染まりながらも狙いは正確無比。あやまたず背から心臓に至る一撃を見舞う。
「ぐフッ——!」
「あ、あ、兄貴!!!」
「チッ、だから話なぞ後にしろと——」
「お前の相手は私達だ!!」
そちらに視線を向け、煩わしそうに顔を顰めた老ガリアンにサティアが迫る。
「〝はらへたまひ きよめたまへ〟——『真榊の剣』!!」
「サティア……俺はお前を殺したくない。用があるのはそこの小僧だけだ」
「随分とお前が知る私は薄情なのだな——そんな言葉一つで惚れた男を見殺しにするとでも?」
「馬鹿な女だ——こんな男に付き合って自殺とは」
「そういうお前はひとりぼっちだな!愛想でも尽かされたか!」
「!!!!」
変化は一瞬だった。血濡れの棘が地面から突き出る。慌てて飛び退く一行にぎろり、と殺意を帯びた視線が向けられる。不思議なことに側で呆然とへたり込むガリアンには当たらないようにしているのを、サティアは確かに見た。
(言葉尻とは裏腹に殺す気はないのか?なら——)
皮膚が粟立つ。総毛立つ。生存本能が全力で警鐘を鳴らし、ここから逃げろと叫んでいる。
「なんだ……図星か?」
震えながら笑みを作る。一秒でも挑発してこの老悪魔を引き付ける。
先ほどのは恐らくは右腕に纏った『聖レノ記』に記された魔術だろう。ガリアンがまだ扱うことの出来ないものだ。
『太陽の槍』や『血濡れの矢』と同じく、初速が早い。しかし、その二つに比べれば、超人たるサティアはファティヒにかかれば避けることは容易い。
「お前らは下がれ!私が一人でやる!」
「加勢しますよ、タップは始末した」
ファティヒが残像を残しながらサティアの元へと戻る。ガリアンを抱えて、投げ捨てるように側へ置く。
「あ、あ————」
(これは——まずいな)
内心、ファティヒは舌を打つ。タップは武芸百般、魔術にも精通している。そんな男が敵に回ったのだ。二人でかかってこられれば自力で劣るこちらが勝てる見込みなどない。
故に、我を忘れるほどの怒りを覚えながらもファティヒは最善を尽くした。何かを話そうとはしていたが、今必要なのは情報ではなく、決定的な戦力差を埋めるための機会。
その幅広い対応力や戦力眼をして『軍師』『怖気祓い』とまで言われる男を野放しには出来なかった。
だが、結果から見ればそれは悪手であったかもしれない。ガリアンの精神にまで気を配る余裕がなかったのだ。
見よ、彼の哀れなる姿を。
王都の物乞いのごとく地に這い絶望を露わに泣いている。
無理もない。彼の精神は既に限界に近い。度重なる戦場。積み上がる死体の山。謂れなき罵声や中傷。変調をきたし眠ることができなくなった体。それらを振り切るようにして飛び出したこの最終目的地で発覚した最も信頼する幼馴染の裏切りと死。
(若様はもう戦えないかもしれない)
状況は絶望的。だからファティヒは笑った。
商人は、そういう生き物だ。
「おォい、騎士どの!突入前に行った誓いを覚えてますかい?」
「片時も忘れたことなどない!」
「結構結構!わたしが今から死んでもあのジジイを止めますから、その隙を突いてくれますかァ?」
「墓石はいいのを使ってやる!行け!」
「ハッ、そのときは黒樽商会をご贔屓に!!」
サティアは仲間の覚悟を平然と受け止めた。
騎士とは、そういう生き物だ。
「いやあ、それをさせたくないから俺が来たんだって」
血塗れの服を擦りながらタップが立ち上がる。
口から垂れた血をび、と払い飛ばして。
理不尽で、不可解。
悪魔とは、そういう生き物だ。




