悪魔の王
俺が連続投稿えらえら作者だ
「——がり、あん?」
誰かがぽつりと溢した言葉だった。
背丈、顔、表情、仕草、重心、動き。ヒトが他者を認識するときに必要な情報全てが、目の前の老人をガリアンだと断じている。
ここにいるのは、ガリアンと幾度も死線を超えてきた戦友である。その姿を見間違うはずがない。
「タチの悪い魔術だ!!」
「怯むな!敵の策略だ!!」
故に、その判断は当然のことであった。
共に進んできたガリアンとは別の、姿形のそっくりな別人。ましてや自身で『悪魔の王』を名乗っている。
「影法師の類かもしれん!」
「ガリアンを真似ているとしたら相当高位の悪魔だぞ!!気を抜くな!!」
そのやり取りの中、周囲の空気がひどく濃く感じられた。
——湿っている。
いや、それだけではない。空気そのものが重い。酸素が薄く、肺の奥まで届く前に粘膜にまとわりつくような感触があった。吐息が曇り、宙に滞る。誰もが無意識に深呼吸をしてしまうほどの圧迫感。
壁を走る金の装飾がほんのりと歪んで見える。直線であったはずの柱の縁が、波打つように揺らめいている。
「おいおい、タップはどうした?——兄貴がいたらこんな体たらくにゃならんだろうに」
老人は呑気にそう言った。その声が、抑揚があまりにも似ている——どころか、一致していると言ってもいい。
「なぜタップの名を知っている!!?」
「まさか本当に——!?いや、そんなはずがない!!」
——ぽつり、ぽつりと天井から何かが滴る音が聞こえる。水ではない。重い、粘つくような音。振り返ってもそこに天井などないかのように、ただ黒い空間が広がっていた。
「全く、お前は進歩がないな」
一つ。ガリアンと老人では明確に違う部分がある。
目だ。
その奥にはぞっとするような色がある。酷薄で、残忍な温度のない瞳。それがじっとガリアンを見つめている。
心底くだらないものを見つめるように。昔捨てたゴミが帰ってきたかのように。
「毎度毎度——馬鹿の一つ覚えで突進してくる。お前のせいで何人死んだと思ってる」
背後の廊下の奥、誰もいなかったはずの空間から微かな呻き声が聞こえたような錯覚。幻聴。——あるいは、本当に何かが迫ってきているのかもしれない。
「何を……何を言ってる……?」
ガリアンには分かった。理屈などない。ただの根拠のない直感。戦場で何度も救われてきたその直感が、ガリアンを叩きのめす。
——この老人は、間違いなく自分だ。
「言わなくても分かんだろ?俺はお前だよ、ガリアン」
「——ッ何で……何で俺が二人いる?悪魔の王だと?」
「この男は——あまりに——」
「若様、サティア!惑わされるな!魔術かなにかだ!!」
老人が一歩近付く。足元の石畳がきしむ。だがその音は、ほんのわずかに遅れて耳に届く。——音が、ずれている。
耳鳴りがひどい。
ガリアンには分からない。この場所を進んでいくたびに、何故己が故郷のように懐かしさを感じるのか。
ガリアンには分からない。目の前のこちらを眺める老人が、何故こんなにも心を苛立たせるのか。
分からない。状況が目まぐるしく変わっている。性急に過ぎる。ただ暗く長いこの宮殿の内部が魔窟のごとくぐにゃりと歪むような光景を幻視する。
上空にあるはずの天井が落ちてくる。……いや、視線を逸らせば元通りだ。視認した瞬間だけ、建物の骨格そのものが狂って見える。幻覚が現実感を喪失させる。
「ああ。俺こそが幾つもの国を亡し、何万人も殺し、世界中を霧に包もうと企む悪魔の王」
「何でこんな——?」
「なぜ?」
瞳の魔力がどろりと澱む。
老人の指先から血濡れたような赤黒い光線が発射される。残光が視界を塗り潰すように残る。ガリアンの動体視力をもってしても避けることすら出来ない神速の矢。自分が放つ『太陽の槍』よりも数段——速い。
「ぐあああッッッ!!!!」
ご、と音を立てて踏み締めた床ごと右の爪先を光が貫き、円形の穴が空く。
「若様!」
「ガリアン!!」
焦げた臭いが鼻を突く。床の焼けた部分から、僅かに煙が立ち昇る。それに反応するかのように壁の装飾が揺れ、そこに描かれていた天使の顔がゆっくりと崩れた——ように見える。まだ幻覚がゆらめいている。
「別に?理由なんざねえよ。お前らが俺をどう呼んでるのか忘れたのか?」
『邪悪なるもの』『神敵』『灰の軛』『破滅を齎すもの』——そして『悪魔の王』。
「俺は強い。俺は神に愛された。だから俺は何をしてもいい。だろ?英雄」
かつてあった人類世界の炎は陰り、世界には常人が一息で死に至る『悪夢の霧』が満ちた。
霧の出ないほんの小さな空白地帯に人は追いやられ、人の生存圏であったはずの場所で悪魔が闊歩するようになり幾星霜。幾人もの英雄が斃れ、幾つもの国が亡びた。黄金に輝く人の世は終わりを告げ、悪魔の支配する暗黒の時代がすぐそこまで来ている。
ガリアンはそんな崖っぷちに現れた希望であった。これまで斃した悪魔は数知れず。陥落寸前の国を救ったことや、霧を晴らして悪魔に占拠された領地を奪還したことが何度もある。人類が生きていける領域が辛うじて残っているのは、このガリアンの功績と言っても全く過言ではない。
だというのに。目の前の同じ顔をした男は全く逆のことを言う。その目、表情、筋肉の強張り——そのどれもが和らいでいて、彼が本心からそれを言っていることは誰の目にも明らかであった。
ガリアンは未だ混乱の渦中にいる。突如現れた神の加護にも癒せない不調、己に似た謎の老人。明らかな敵対行動を取られながらも応戦していないのがその証拠である。彼は今、どの悪魔と対峙したときよりも無防備であった。
しかし、この言葉を耳にしたガリアン以外の一行はようやくここで目の前の老人を『敵』であると、そう信じることができた。
己の財を、命を、魂を、誇りを、全てを賭してガリアンの理想に乗った一同である。ここに集った誰もが確信した。
『こいつはガリアンではない』
「若様にしちャあ随分お歳を召していらっしゃる——お前はわたしらの英雄じゃなさそうだ」
「ガリアンを愚弄するな、老耄。その皺首が余程いらんと見える」
「おいおい——随分だな。お前は俺に借りがあるだろ?ファティヒ」
「借り……そうですなァ、何人も部下を殺してくれた分お返しさせていただきますよ」
「サティア、呪いを解いてやった恩を忘れたのか?」
「ハハ、野良犬でも恩は忘れぬさ——怨みもな!!」
男の瞳の温度が下がる。
「あー…………ならいい」
————キィィィィイィイイイ。
金属片を擦り合わせたような甲高い音。
老人の指先に汚泥のごとき粘りついた光が集まる。
ガリアンが放つ『太陽の槍』であれば光を集めるまでゼロコンマ五秒。二人が避けるには十分な秒数。
しかし、この老人の練度——ガリアン以上。
その秒数——ゼロコンマ二秒。
「死んどけ」
「あ……」
絶望的なまでの初速で放たされるそれに対して————。
気分は最悪。不意に現れる幻覚や幻聴のせいで目の前の光景にも現実味がない。
ただ一つ分かることがある。
この目の前の老人が、敵であること。
「ゴチャゴチャめんどくせえ——」
それであれば余計なことは考えない。考えても答えは出ない。どうせガリアンは考えない方が強い。
「テメェが死ね、ジジイ」
『Don’t copy me.』
黄金を纏い、放たれるは『太陽の槍』。空間を削り取り、ごうと風を鳴らしながら飛び、老人が指先を動かした瞬間から準備されていたそれは容易く赤黒いそれを迎撃する。
『血濡れの矢』とでも呼ぶべきそれの横腹を貫き、ぎちぎちと軋む音を立てて互いの色を侵食し合う。
相殺し切れないエネルギーが膨張して弾ける。あたりが破壊の嵐に包まれる。
爆煙の中、銀閃がひらめく。
「くたばれ根暗ジジイ——『稲妻斬り』」
稲妻斬り——上段から唐竹、逆袈裟、左一文字、袈裟斬りをゼロコンマ数秒の間に繰り出す技。イャギヴの遺した技。
「呑気なガキだ——『稲妻斬り・五閃』」
同じ師から習った同じ技。
しかし練度は圧倒的。老人は稲妻斬り、それそのものを往復の繋ぎを加えて五回もの回数連撃として行う。
圧倒的な手数の差。あるいはガリアンの負傷がなければ彼も同じように動きを合わせられたかもしれないが、未だその傷は治らず、血を溢し続けている。
まるで鏡合わせのように剣を打ち合わせていた二人だったが、ガリアンが受け切れず隙のできた胴に一撃が加わる——その刹那。
ガリアンと老人と異なる点。
「『真榊の剣』——!」
「グッ、ひと遣いの悪い雇用主ですな!!」
「悪魔の王が使うのがイャギヴのへっぽこ剣技たぁ、お笑い草だぜ!!!」
「何が稲妻だ!一発ずつなら我らでも受けられるぞ」
それは仲間の存在。
サティアが大剣で弾き、ファティヒが寸鉄で受け止める。他の仲間も密集し連撃を一回ずつ受け止める。
「悪魔の王ってのは虚仮威しのようだなァ!!」
「誰も殺せてねえぞジジイが!!」
「英雄殿に似たのは顔だけのようだ!!」
一行の士気が上がる。
その声に対して老人はひどく苛ついた様子で、手にした剣を床に突き立てる。
地が揺れたような衝撃と共に床を貫通してその剣を刺したその男は、右手に着けた禍々しいその籠手をひと撫でし、吠える。
「面倒くせえな——『聖レノ記』ッッ!!!!」
「全員殺せ!!下らねえ冗談は聞き飽きた!!!」




