希望を背負うもの
————悔いがある。
「ガキィ!!何ヘタレた走り方してやがる、カマでも掘られてえのかこの粗チン野郎が!!!!」
イワナンという名のドワーフは実に頑固者で、酒と賭け事にだらしなく、粗暴で下品だった。
訓練所の教官だったが、ロクに物を教えないことで有名だった。来る日も来る日も走り込みをさせられ、その後は全身くまなく殴りつけられる。
「ガハハハ!!なっさえねえ、いつになったら一人前になんだぁ?ザコガキどもが」
幼いガリアンとタップはげえげえと毎日吐いては、酒瓶を投げつけられながら叱られ、その罰として掃除をさせられた。その姿を肴に手にした酒を楽しむような飲んだくれだった。
教官、と呼ぶと顰め面になり返事もしてくれない。戦いのイロハや剣の扱いなど教えてもらったこともない。ただ毎日毎日走り続け、殴られ続けた。二人はゲロに血が混じると最悪な味がすることをここで知った。
一年が過ぎたころ、ガリアンとタップは彼のことを「ジジイ」と呼ぶようになった。唯一返事をするのがその呼称であることが偶然分かったからだ。
「おいジジイ!俺と兄貴はいつになったら外へ狩に行けるんだよ!!」
「バカガキが、そんなに簡単に行くなら俺は今ごろ英雄だ」
「バカジジイ!俺たちは英雄になるんだよ!」
「はん、元気いっぱいじゃねえか!もっとぶん殴っても平気そうだな!!」
「ジジイ」は退役した兵士だった。もはや戦うことは出来ず、さりとてドワーフが誇りとする職人仕事が出来るわけではなかった。
悪魔との戦いで両手の指を親指を残してすべて切り落とされていたからだ。
戦うこともできず、種族の誇りである稼業も継げず、若者を虐めて鬱憤を晴らす哀れな老人。それが周囲からのイワナンに対する評価だったし、二人も概ね同じ思いだった。
————餓鬼が。
「イワナン!最近の貴様の態度は目に余る!誇りある互助会の訓練教官として節度ある振る舞いを——ォォオオ!!!!」
「うるせえな戦場に出たこともねえモヤシ野郎が!!男前にしてやらあ!!」
時折イワナンの上役が子どもに対する苛烈な仕置きに苦言を呈したが、その男が骨を折られて追い出されてからは表立って誰も文句を言うものはなくなった。それでも何故か彼は解雇されず、教官職を辞することもなかった。
訓練所は互助会の施設であり無料である。他に誰が戦いのことなど教えてくれようか。貧民のガリアンとタップは藁にもすがる思いでそこに通った。
通い始めて一年も経つと、いくら走っていても疲れなくなってくる。その代わりジジイに殴られる時間は増した。
「テメェ、絶対いつかボコボコにしてやるからな!!」
「指が何本なくなろうが、ワシがチビガキにやられるかよ」
イワナンは指がないからか、掌で二人を殴ってくる。拳ではないので見た目は派手ではないのだが、その掌が腹にでも当たると血の小便が止まらなくなるので二人は必死でそれを避けた。
二年が過ぎ、はじめてガリアンがイワナンに一矢報いることが出来た。数ヶ月ほど間が空いて、タップもまた彼に一撃見舞うことが出来た。
腹いせなのか、訓練後に不意打ちで頭に掌底を喰らい首がもげそうになったのを覚えている。
————なぜもっと早く気付かなかった。
ある日、最終試験と称して街の外で猪魔を狩ってくるように言いつけられた。狩れるようになるまで帰ってくるな、とも。低級とはいえ悪魔は悪魔。猪魔などそうそう近所に出るものでもない。
そんなことすらあちこち駆けずり回って調べなければ知ることもできなかった。死ぬような思いを何度もして、討伐出来たのは三月ほど後だった。
どんな風に驚かせてやろうか、なんて算段を立てて帰ってきた二人の目に映ったのはイワナンだったもの。
苦悶の表情を浮かべた顔のみが、氷の中に入れられている。まるで、芸術品を保存するように。
——少し考えれば分かっていたはずだ。不器用なあの老人なりに己の全てを伝授してくれていたことを。
大きくもない、都会でもない、故郷でもない。近場で、互助会があるだけの町。ガリアンとタップにとってはさして重要でもないその町は、三ヶ月の間に壊滅していた。血と瓦礫と氷。
——少し気を回せば疑問に思ったはずだ。無茶な試験を課したあの老人の顔がいつもよりも悲愴な色を帯びていたことに。
——少し見上げれば確かめられたはずだ。あの掌で頭を押さえつけられていたとき、彼はきっと笑っていたのだ。
その厳しさの正体が、自分たち二人を死なせまいとする優しさであったこと。
今更気付いてももう遅い。
ガリアンはまだ、合格を貰ってはいない。
***
場面が移り変わる。
——ああ、やめてくれ。
「お前ら、素手で猪魔討伐って正気かよ!?」
「剣使うよりこっちのが慣れてるからな」
「馬鹿か!お前らの動きは明らかに長物使う前提だろうが!!」
武者修行の旅の途中だというその男は、大変なお節介焼きだった。
イャギヴと名乗るその風変わりな男は霧の谷間に住む民族の生き残りで、体内魔力のコントロールにより霧に含まれる瘴気への耐性を得るという特殊な技術を持っていた。彼はその希少な特技と磨いた剣技を、たかだか飯を奢られたという一点でのみ二人に伝授すると言い出したのである。
「俺の故郷じゃあメシには神がいる。貧しい暮らしだ、行き倒れがメシを奢られるというのは命を貰うのと同じこと」
「暑苦しい兄ちゃんだなあ、そこまでしなくていいって」
「いいや、確かに故郷を見捨てて命を繋いだが魂まで捨てたつもりはねえ。この恩は返すぜ」
秘剣、稲妻斬り。今のガリアンが得意とするこの剣はすべてイャギヴから習った物だった。半ば強引にガリアンとタップの仕事について周り、いつの間にか勝手に『厄介払いの剣士』を名乗り始めたこの男。
「なあおいタップ、娼館行こうぜ娼館!」
「イャギヴ、そんな金があるならこの前貸した——」
「おいおい、それは俺とお前の『絆』だぜ……金の切れ目は縁の切れ目……俺との縁、大事にしていこうぜ?」
「そうか、ならまた新しい薬を作ったから試してもらおうか。俺たちの間には『絆』があるからな」
「ほんっとごめん!!!すぐ返すって!!!」
邪険にすることが出来なかったのは、イャギヴもまた行く宛のない身であり、そんな身の上でありながら明るく笑う彼をどうしても嫌いにはなれなかったからだった。
「この通りイャギヴってクズじゃない?いいの、こんなの入れちゃって」
別にガリアンやタップに比べて、才覚に秀でるわけでもない。剣の腕だってほんの数ヶ月習っただけでガリアンの方が上だ。
しかし彼のおかげで一党は賑わった。どこそこで知り合っただの、命を救われただのと不思議な人脈を発揮する彼はどんどん《厄介払い》に人を連れて来た。
お陰でただの小僧に過ぎなかったガリアンは、多種多様な教えを受けることになった。
「オイオイオイ……俺が十年かけて取得したことを十日で覚えやがったよ……」
「ほうれ見ろ!!俺の稲妻斬りだって二日で覚えちまったんだから、コイツは本当に天才なんだよ!!」
「お前のなんちゃって剣技と俺の槍を一緒にすんじゃねえ!!」
「んだとコラ!!やんのか!!」
剣、槍、弓、馬、戦術——どの分野においても彼らの教えを天賦の才で吸収していくガリアンを、人は畏れを込めて見る。
尊敬や嫉妬、恐怖と隔意。丁重に隠してもそうした感情は漏れ出る。
己の才能にガリアンが気付き、イャギヴが連れてくる人間の反応にうんざりしていたこの頃。ガリアンを孤独にさせなかったのもイャギヴだった。
——イャギヴがいたから、俺は恐れられずに済んだ。みんなの人生を呆気なく抜かしていく俺を、ただの人みたいに扱ってくれた。
そしてただの人として、英雄を庇って死んだ。
下らない、野盗崩れの放った矢だった。
——加護があったんだ、俺には。
——なんで庇う。俺はどうせ死なないのに。
「あー……思わず庇っちまったぜ、くはは」
「でも、良かった……お前、痛いの苦手だもんな……」
「なあ、ガリアン。お前は多分英雄になる。でもよ——嫌ならやめてもいいんだぜ」
「俺はお前らが楽しけりゃ……それ、で……いいと…………」
——やめられるわけがないだろ。
赤い槍をトレードマークにしていたギャレットが死んだ。むさ苦しい、すぐにハグをしたがる熊のような男だった。悪魔に喰われて死んだ。
長弓のリーネランが死んだ。いつも飄々としているくせに、酔うと木々の隙間から梟を射抜いた話を毎回してくる自信満々な女だった。悪魔が彼女の体と羊を混ぜ合わせてオブジェを作っているところに出会した。
——ここまで来たんだ。
エヴァ、ヴィルケ、ジャン=リュック、ベルナール、ソフィア、アルヴァレス、リアム、オドネル、アディティ、パテル、マルコ、ロレンツィーニ、ファーティマ、アブデル、ユリア、ノヴァク、サミール、カーン、オリヴィア、トンプソン、タイン、グエン、ハビエル、ガルシア、ソンミン、ユン、ダフネ、モロー、エリアス、ヨハンソン、レイラ、アカール、ルーカス、フェレイラ、アミラ、ハッサン、ディエゴ、マルティネス、アレクサンドラ、シクオン、ラッタナ、アナシア、ペトロヴァ、ヨセフ、アンドレアセン、ミリアム、ナセル、カルロス、エドゥアルド、フィオナ、マッケンジー、セバスティアン、ルブラン、エマヌエラ、ディミトロヴァ、ジムズ、オフォリアルヤ、イラム。
——みんな死んだ。
——俺が戦場に連れて行った。
————俺が殺した。




