聖女様はお菓子の材料を手に入れる
「ふう」
部屋に案内されたクリスティーナはクローゼットにあった部屋着に着替え、ベッドに寝転がった。侍女やメイドはいないので自分でバスタブにお湯を入れなければならないが、元々そういう事を自分でやる事には抵抗がないのである。暖かいお湯のシャワーを浴び、バスタブで体の汚れを落とすとなんだか生き返った気分である。
お風呂から出て念入りに髪を梳かしながらドレスを見ると、最先端の流行ではないが、比較的上質なものが揃っていた。簡易に作られたもので、メイドの手を借りずとも一人で着ることができそうである。少し緩めではあったが、コルセットを締めずに着られたので贅沢は言えないだろう。
少しするとノックがあり、若い衛士が夕食の準備ができたことを告げてきた。彼はアレンと名乗り、どうやらあの軍病院で療養していたらしい。
「みんなあの軍病院から助けてくれた聖女様に感謝しているのです」と彼はとびきりの笑顔で私にお礼を言ってくれた。
(たはは、私がやったなんて認めるわけにもいかないしねー)
「いえ、特に私は何もしていないのですよ。私は昨年の魔力測定では魔力なしと判定されたのです」
「そうなのですか。魔力がないのに奇跡を起こされるなんてさすが聖女様ですね」
(あ、だめだ。話が通じない)
「あはは。で、食堂まではまだ遠いのですか?」
「いえ、その角を曲がったところが食堂です」
(ほっ、よかった)
夕食はコース料理だった。そら豆のスープをもうガブガブ飲みたいけれど、お上品にスプーンですくってのむ。パ、パンはおかわりしていいよね。と思っていたらレンドルフが「どうですか?私のパンをお譲りしましょうか」だって。見透かされている。
「い、いえ結構です」っていうしかないじゃない。ちょっと意地悪。
けれども、その後、魚料理が出て、肉料理の後にデザートが出て食事が終わる頃には結構お腹いっぱいになっていた。食事中の会話も騎士団の話やこの近くの地理や歴史の話が多くて聖女の話なんて出さなかったことは気遣いなのかな。
部屋に戻るともうクタクタですぐに瞼が閉じそうになっていた。明日は厨房に行って小麦粉とか砂糖をゲットしよう。クッキーを作っていればお腹が空いた時にも自由にたべられるじゃない。そう思いながらいつのまにか夢の世界に入って行った。
夕食後、騎士団長室でエリックとレンドルフは騎士団長室にいた。「レンドルフ、お前はどう思う?」
「団長、これはわかりません。後をつけたものの話では彼女は特に詠唱もしていなかったようですし。けれども、病院全員の治癒魔法なんてそもそも出鱈目もいいところですからね。どんな無茶があってももう何も言えないというレベルですから」
「彼女の反応はどう見ても何か隠しているとしか思えないしねえ」
「そこはわかりやすい子ですからねえ」
「次の戦闘には彼女を連れてゆく事にしよう」
「団長、本気ですか?」
「ああ、多くの兵士たちにとって彼女はすでに聖女様だ。彼女がいると士気も上がるだろう」
「そりゃそうなんですが、当のご本人が嫌がったらどうするんですか?団長」
「いや、多分あの子は喜んでついてくるような気がするね。もちろん護衛は必要だ。レンドルフ、お前があの子を守ってくれるかな。もちろん、彼女が治癒の魔法を使うかどうかについても見て確認して欲しいんだ」
「それは構いませんが、団長の方があの子を見ていたいのでは?あなたが彼女を見る目は他の令嬢に向ける視線とは違うと思うのですが」
「ふん、オレはスペアだよ。そう簡単なものじゃないんだ」
「まあ、いざという時に聖女様を守る役目を与えていただいて光栄ですよっと」
「まあ、頼んだ」
翌朝、私は朝一番に目を覚ました。騎士団の朝も早いけれども、十分に朝のケアをしてから朝食に臨むことができた。今日は動きやすいようにメイド服のような格好にしよう。
部屋を出て食堂に向かうとすれ違う騎士や兵士たちは皆「聖女様おはようございます」というのである。あれだけ私は聖女じゃないと言っているのに。顔をひきつらせながら「ごきげんよう」とか「おはようございます」と言っていると食堂の前にはレンドルフが待っていた。「おはようございます、聖女様」
「あ、あなたまでそんなことを言うんですか?もしかしてあなたがみんなに『聖女様』って呼ばせているんじゃないでしょうね」
「まさか、ですよ。みんな自然にそう呼んでいるのです。みんな聖女のあなたが大好きなんですよ」
「もういいです。さあご飯を食べましょう」
席に着くと、多くの人がキラキラした目でこっちを見ているし、それをエリック様はもうニコニコして見ている。
「おはようございます、エリック様」と型通りの挨拶をして食事に集中する。
エリックは「数日中に街に行こう」と言い出した。「えっ?でも私お金ないですし」
「そんなことを気にする必要はない。聖女様の服や身の回りのものをきちんと揃えなきゃみんなが納得しないよ。まあ、王都のように高級品があるわけではないが」
「また聖女様ですか。もう好きにしてください」
「それと、騎士団が遠征する時には隊についてきてほしい。特に治癒魔法をかけろというわけではないが、多くの人は聖女様がきてくれると士気も上がるだろうから」
「服や身の回りのものを買うことの引き換えって事ですね。わかりました。私に聖女様をやることへの拒否権はなさそうですね」
「い、いやそんなつもりではないんだが。これは命令ではなくてお願いだよ」
レンドルフも「そうですよ。ここには騎士団付きの聖女様はいらっしゃいませんが、しばしば騎士団の出撃には聖女様が参加されるのです」と加勢に入る。
私は「考えておきます」と言うしかなかった。具体的な日時も言わなかったのだからおそらく遠征はすぐに行うわけではないのだろう。
食後は部屋に戻った後、騎士団内部を散歩する事にした。騎士団内で特に入ってはいけないところはないようである。
中庭を歩くと、どうやら花壇であったところが誰も手入れしていないために草ぼうぼうになっていた。けれども、よく見ると雑草に混じって薬草も結構生えていたのである。ここは薬草を育てるのに良さそうね、と思う。他の場所に生えている色々な薬草を植え替えれば小さな薬草園ができそうである。私はそんなに薬草には詳しくないのだが、ヒルダ様の知識が入っているのでその草や木を見れば薬草であるかどうかを区別することができるようになっている。
花壇を過ぎて進んでいけば厨房である。厨房にはボアズというコックがいて息子と二人で騎士団の食事を作っているようである。
「ごめん下さい」と呼びかけるとコック帽を被った男が振り向いて「おや、お嬢さん、どうしましたか?」と返事した。
「実は、クッキーを作りたいのですが、その材料を分けていただけませんか」というと、コックは「そりゃ構いませんよ。必要な分だけおっしゃってください」と快く承知してくれた。
「あと一つお願いなんですけれど、クッキーを焼くのにこちらのオーブンを貸していただきたいのです。もちろん、食事の準備の邪魔をしないように使いますから」とお願いすると、コックはちょっとむっとしたように「お嬢さん、このオーブンも厨房も遊びのためのものじゃないのです。遊びに使うことはやめてください」という。
いや、それって正論だし、反論しづらいなあって黙っていると、若い方の子が「オヤジのこだわりはわかるけれど、このお嬢さんって今話題の聖女様でしょ。あまりオヤジがワガママ言って聖女様を泣かせたという事になると聖女様命!の騎士様が乱入してきても知らないぜ。アイツら、今は聖女様!で盛り上がっているからな」と言ってくれた。
(そ、そうね、聖女様と言われるのはアレなんだけれどこういう場合には利用できるわね)
コックは「むむう」と考えていたが、「じゃあこうしましょう。料理を作らないお昼過ぎであればオーブンを使っていただいて構いません。けれども無茶苦茶な使い方や汚したりするのはなしですよ」と言ってくれた。
よかった。こういう時には「聖女」も役に立つことがあるかもしれない。
ということで昼ごはんの後は早速オーブンをお借りしてクッキー作りに励んだのである。
ちょっと焦げたのもあるけれど、クッキーは大体うまくできた。味見をしても結構美味しかったのである。でも、今これを食べちゃったらさすがに夕食に差し支えるかもしれない。
今だったらお茶の時間に間に合うかもしれないから団長とレンドルフさんにお裾分けで持っていってあげましょう。
騎士団長室に入ると、団長のエリックと副団長のレンドルフは何か書類仕事をしていた。
「あのー」と声をかけるとレンドルフさんが「おや、聖女様、どうなされたのですか?」と聞いてきた。
「あっ、今、クッキーを焼いたのでお裾分けに持ってきました」というとレンドルフさんは「ちょうどいい時間ですね。お茶を淹れましょうか」と奥の方に向かいながら団長に「よかったですね、団長。麗しの聖女様からの手作りのクッキーの差し入れですよ」と言ってポットのお湯を注いで紅茶を入れ始めた。
団長は「あ、ありがとう」と言いながらちょっと顔が赤くなっている。照れているのかな?何だかちょっと可愛い。
お茶が入るとみんなで座って小さなお茶会になった。
エリックはあまり喋らずにクッキーを食べている。レンドルフは「そうそう、ちょっと聞きたいんだけれど、クリスティーナにちょこまかとくっついているその白いもふもふは何なの?」
クリスティーナも実はよくわかっていないのである。
本当はこのもふもふは治療した黄金ドラゴンの化身である。
クリスティーナに治療されたあと、クリスティーナから漏れ出ている魔力を食べて成長している。彼女はクリスティーナの魔力のおかげで傷を治しただけでなく、大型ドラゴンから巨大ドラゴンへと成長している。
クリスティーナは「ここに来る途中で現れたのです。北の辺境に住む生き物だと思っていたのですが、あなたもわからないのですね。よく『ピィピィ』って鳴くので『ピィちゃん』って呼んでますけれど」とランドルフに答えた。
「で、この生き物は何を食べるんです?」とさらに尋ねてくる。
「ええ。この子何にも食べないんです。昨日も肉や野菜やパンくずをあげてみたんですけれど何も食べようとはしない。でも元気そうなので何か拾い食いでもしているんですかねえ」
そうするとピィちゃんはその言葉がわかって抗議するかのように「ピィ、ピィ」ってさえずっている。
レンドルフは「まあ、あなたは不思議な聖女様だから不思議な生き物を飼っていても何の不思議もないんだけれど、それでも全く持って驚くべきことですねえ」と賞賛しているのか呆れているのかわからないような声を上げる。
エリックは「レンドルフはああ言っているけれど、あなたのおかげで騎士団の士気は本当に上がっているのです。私からも感謝の気持ちを伝えたいですね」とまともにこちらの目を見てにっこりと微笑んでくれた。
「あ、ありがとうございます」と何とか言ったけれど、自分の顔が赤くなっているのがわかって恥ずかしくてうつむいてしまう。
て、でもいいのか私。着々と私が聖女様という既成事実が作られている。私は王都で魔力なしの無能女の烙印を押された身なのに。どうしよう。