牢獄の聖女様
尋問後に連れて行かれた地下牢はもう土がむき出して壁は岩になっているお話の中のような地下牢であった。逃げないようにということであろう、両腕には鎖が繋げられた。鉄格子の向こうには番兵が見張っていて逃げられそうもない。
「ああエリックが助けに来ないものだろうか」とも思うが、さすがに私がこんなところに捕まっているなんて夢にも思わないだろう。
食事はそれほど悪くないものが出た。王太子が食べた食事の余りもので作ったものかなという感じである。王太子ってばまだ諦めていないのかしら。弟の恋人を奪いたいなんて趣味が悪いにも程があるでしょう。エリックがいきなり駆け落ちを言い出した時はびっくりしたけれど、今この状況になってみると駆け落ちして自由になっていた方が良かったかもしれない…
翌日には牢から出されるとおそらくは王宮の侍女が来て湯浴みをして新しいドレスを着せてくれた。
(一体どういうつもりなのよ)
そして連れてゆかれた先は食堂である。
そこにはエドワード王太子がすでに待っていた。
「いや、麗しの姫君よ、一緒に食卓を囲もうではないか」
「あの、これは何の茶番なのですか?私はここに何らかの告発を受けて護送された者なのですよ。そんな女が王太子様と食卓を囲むなんてあまりにも相応しくないではありませんか」
「まあ、あの告発こそが茶番だな。もしあれがなければあなたは王都に戻ろうなどと考えもしなかっただろう」
「それは、もう私には王都には帰る場所も居場所もありませんので」
「王太子の私と婚約すればあなたの父君もあなたを勘当する理由は無くなるだろう。あなたは晴れて実家にも帰れることだろう」
「王太子様は私の実家を人質にされるおつもりなのですか?」
「私は使えるものはなんでも使う性分でね」
「大体私は侯爵家から婚約破棄された傷物なのですよ。王太子の婚約者には相応しくないのです」
「あれは幸いだった。あなたは侯爵家の倅などにはもったいないお嬢様だ。意気地なしのエリックにだってもったいないよ」
「私はエリック殿下のおそばにいられたらそれで十分なのです」
「だけどエリックは王位継承権第2位だよ。もし私に何かあればあいつが王太子になるんだよ。王太子妃が嫌だというならエリックと付き合うことはお勧めしないな」
「王太子様、それは卑怯な物言いです」
「先ほども言ったけれど、私は自分が欲しいもののためには何でも使う性分なんだよ。もしどうしてもエリックが恋しければ白い結婚でもいいよ」
「王太子様。あなたは王太子の責務をお忘れではないのでしょうか。王太子の大きな役目は次代のお世継ぎを産み育てることであることはいうまでもありません。それを白い結婚などと言語道断ではないですか。もし私を身代わりにしてどなたか愛しい人との逢瀬をお楽しみになりたいというならば当然ながら私は断固としてお断り申し上げます!」
「あっ待って」
王太子は周りの侍女にシンクレア嬢を貴婦人の部屋にお連れしてと命じると頭を抱えたのであった。
夜 王宮某所にて
「で、王太子様、お嬢様はいかがでしたか」
「もう完璧だね。白い結婚を持ち掛けたら手ひどく断られちゃったけれど」
「おや、では王太子様もついに王太子の義務に目覚められたということですか?陛下もお喜びになることでしょう」
「まさか、そんなことはないよ。けれども、彼女が繰り出す正論にはもう一言の反論もできなかったね。もう母上に叱られたようなものだ」
「で、どうされるのですか?」
「そうだな。彼女は私に『自分の愛しい人と過ごすべき』と言ったんだ。けれども私がそれを実行したら父上や母上を悲しませることになると我慢して王太子をやっているわけだ。その隙にあの意気地なしのエリックがあのお嬢さんと気ままに付き合ったわけだ。これはあまりにも不公平だと言えるだろう。エリックにも相応の負担をさせるべきだ」
「具体的にはどうなさるので?」
「私とシンクレア嬢が婚約するという噂を流させよう。エリックに少しでも男の誇りがあれば私から彼女を取り返そうとするだろう」
「もし来なかったらどうするのですか?エリック殿下はもう何年も王都には寄り付いておられないですから」
「その時には噂が本当になるというだけのこと。彼女には私の婚約者として次代の王妃となっていただこう。そうすれば父上も母上も喜ばれることだろう」
貴婦人の部屋にて
(地下牢からいきなりこんな貴婦人の部屋に移すってどういうつもりなのよ。侍女に聞いたって何も知らないみたいだし。あれだけはっきりと拒否してやったのにあの王太子は何も理解していなかったというのかな?)
あれからは王太子による呼び出しもなく食事も部屋に運ばれてくる。侍女は毎日湯浴みしてくれて私の体を磨いてくれる。部屋には本もたくさん置いてあって暇つぶしにはちょうど良い。まあ、部屋の外には出してくれないので牢獄の中に閉じ込められているということには間違いないのであろう。
数日して、突然王太子が現れて「神殿で聖女の試験を受けることになった」とだけ告げてサッと出て行った。
翌日、あの神官長が現れて白いローブに着替えるように言われた。ローブは亜麻で織られたもので清潔なものだった。
神官長に連れられて馬車に乗ることになった。神殿は王都のハズレにあるのでそこに連れて行かれるのだろうか。馬車に乗っている間に神官長に試験について聞くと、ペーパーテストと実技だということである。
(えっ、そんなこと先に教えてくれなくっちゃ。今更勉強する時間なんてないじゃない!)
ちょっと凹みながら馬車を降りると、すでに何人かの受験生が来ているらしく、亜麻布のローブを被った女性が父親らしい人や神官らしい人に連れられていた。
受付らしい人に尋ねると、今日は筆記試験で、それに合格した人が明日以降の実技試験に挑むらしい。
これって筆記試験で落ちたら大恥じゃないの。受付の人は「ここで受験する人はみんなきちんと勉強されていますので筆記試験で落ちることはまずありませんよ」と慰めてくれたが、私は何も勉強していないのである。先ほどの受付の人が「筆記試験の時間が来ましたよ」と案内している。私はもう屠殺場に連れてゆかれる牛になった気分で試験場の扉をくぐったのである。
黒狼騎士団にて
リンダはこの秋から社交界デビューの準備のために王都に向かうことになっている。その出立の前に彼女は両親にエリック王子に暇乞いに行くと言ってその許可を得た。
聖女クリスティーナのいない騎士団は打ち沈んでいる。
レンドルフがリンダを出迎えに出てきて「団長はあれから少し沈み込んでおられます。ぜひ励ましてあげてください」と言う。
「ええ。十分に力づけて励まして差しあげるつもりですわ」
「エリック王子殿下、お久しうございます」
「やあ、リン、王都に行くんだってね。社交界デビューを楽しみにしているよ」
「ところで、最近、クリス様とエドワード王太子殿下が婚約するという噂があるのですが、お聞きになりまして?」
その言葉にややビクッと反応したエリックは「そ、そうだね、クリスも王太子との婚約に惹かれたの、かな?」何だか最後は消え入りそうな声である。
なので声を張り上げてさらに畳み掛ける。
「殿下、いやお兄様!もしあなたがクリス様と婚約なさるならば噂を先に流しますか?」
「い、いやそれは。婚約式を行った後は多分舞踏会でのお披露目だろうね」
「そうなのです。王都からは王太子殿下とクリス様の婚約という噂はあるのですが、まだ婚約式のこともお披露目の舞踏会の話も何もないのです」
「けれども、クリスを乗せた馬車は王太子の宮殿に向かったことは事実だ」
「お兄様、もしかすると王太子様がクリス様をお気に召したことは事実かもしれません。けれどもクリス様はきっと拒否なされたのです」
「な、なぜ?」
「な、何を鈍いことをおっしゃっているのですか!クリス様には三日三晩でも寝ずに看病した愛しいお方がいらっしゃるのですよ」
「う、うん」
「『うん』じゃないでしょう。おそらくクリスお姉様は愛しい人以外の求愛も求婚もお断りなさることでしょう。けれども王太子殿下には権力がおありになります。もし誰もがその噂に反対しなければ、国民の総意だということにして王太子様が強引に婚約を結ばれるかもしれません」
「でも私は王太子のスペアでしかないのだから」
「はっ?一体何をおっしゃるのですか?恋人にスペアなんてございませんよ」
「ああ。クレアはもし自分が王子の位を捨てて他国に逃げようといったらうんといってくれたんだ」
「まあ、おほほ、いくら王家でも王位継承順位第二位の殿下をむざむざと駆け落ちさせるよりはもっとマシな解決策を考えるとは思いますが」
「実はレンドルフも同じ意見だったんだ。一度彼に相談してみるよ」
「それでは私は王都に参ります。王子殿下のご活躍を楽しみにしていますよ」
「そうだね。ここでじっとしていても仕方がない。何か手を打つ時だろう」
「ではごきげんよう」
「ああ、息災で」




