1話 とある領主の話
カラパエスにある勇者の剣記念公園に隣接する道路は、その日も混雑していた。
高架道路の建設により日陰になったとしても、がっかり観光地ランキングで上位に入ったのだとしても、魔王の存在は現在確認できないのだとしても、自分こそは勇者だと信じて疑わない残念な人物がひっきりなしに訪れるのである。
そして、そんな残念な人物をいい金蔓だと認識した一部の旅行会社は、ご丁寧にも勇者の剣記念公園を来訪するツアーを実施しているのだ。
勇者の剣記念公園の面積の大部分を占める駐車場には、大型バスが何台も停車している。しかし、勇者の剣の柄の写真を撮り、ちょっと引っ張ってみることくらいしかやることがないため、非常に回転率は良い。
だからこそ、当然事故も発生しやすい。
勇者の剣記念公園に隣接している道路は、高架道路が建設されたとはいえ依然としてカラパエスの大動脈を担っていることに変わりはない。
二車線道路には所狭しと自動車が走行しているわけで、そんなところでバスが別の車と衝突などしたら、カラパエスは大変なことになるのだ。
カラパエス中心部と、南部を結ぶ道路は勇者の剣記念公園に隣接する道路と高架道路の二つしかないのに、その内の一本が封鎖したとなれば高架道路は大混雑。
自動車が渡り切る間に、徒歩であれば二十往復は可能である。
そして、例外なくカラパエスの領主、ウッカも公用車の中で苛立っていた。
車の中ではやることがなく、暇を潰せそうな道具といえば、鞄の中に入っている憎たらしい報告書を読むことくらいである。
報告書の内容は、勇者の剣にかかっている魔法は不可逆的なものであり解除はほぼ不可能。魔法解除に力を入れるくらいなら、勇者候補を探したほうが安上がりというものだった。
しかし、今は魔王の存在は確認されていない。勇者も存在しないとされ、人工的に魔王を作り出して世界を危機に陥れるわけにもいかない。
「そうなると、移動するしかないな」
極めて困難だが、岩を移動させること事態は制限されていないのである。
ただ、周囲には街と崖がある。もし移動できたとしても道路を封鎖することになるだろう。
「とりあえず有識者に連絡いれないと」
有識者とは、ウッカ市政になり発足した勇者の剣移転有識者会議のメンバーである。ただ、いずれのメンバーも大学教授やら研究員やらを兼任しているため、中々全員都合の良い日がなく連絡を入れてから二ヶ月以上先になることも珍しくはない。
ウッカは、そのようなやり取りを数回繰り返したため、すでに会議発足から一年以上が経過。市民の中からは、きちんと会議が機能しているのかと疑問に思う者も現れているという。
そのため、一部の市民団体は「勇者の剣移転有識者会議は何もしない税金泥棒だ」などと噂をして、真に受けた市民が役所に押し入った事件も発生したことがあった。
「やっぱり領主向いてないな……。終わったらやめよう。うん」
さっさと問題を終わらせて辞任する決意を固めると、ようやく車が動き出し渋滞を抜ける。渋滞を抜ければすぐに車は市役所へと到着し、ウッカは重い足取りの中で領主室へと向かった。
元々領主は地方行政に関する全権を握っていたが、近代改革と称した改革が行われ、司法権は裁判所に。立法権が市議会に移されたため、領主は行政権だけを担う存在となっている。
領主室も、領主邸にあったが相応しくないとの理由で市役所に移されてしまった。
「なんだかなー」
勇者の剣の移転も、一々市議会への報告といった必要があるため、領主の間ではあまり近代改革は評価されていない。評価しているのは意識の高い市民だけである。
「でもまあ、仕方ないか」
ウッカは市役所の最奥部に位置する領主室の扉を開けると、そこには机や椅子しかないシンプルな部屋。
ただし、何千枚もある紙が机の上に加えて床にも乱雑に置かれている。否、バラけているという表現の方が正しい。
「あ、ウッカ様おかえりなさいませ」
私設秘書であるニタイは、笑顔で出迎えてくれた。
紙に埋もれながら。
「……汚くなってない?」
ウッカの記憶によれば、領主室を立つ前の紙束は乱雑には置かれていれど、机の上に収まっていたはずだ。しかし、眼の前の光景はどう見ても床にも紙が溢れている。
「す、すみません。今から片付け──よあっ!?」
ニタイは何か金属のようなものを踏みつけたらしく、盛大に尻もちをつく。
「いたたた……」
ニタイと真逆の方向へ飛んでいった物体は、領主室の壁に当たるとそのまま金属音を鳴らしてその場に落ちる。
「これは……」
ウッカが領主室の中に入り、その物体を拾い上げる。
ウッカの手の中にあったのは、アルミ缶だ。『勇者の剣の水』と書かれてある。
「先ほど、カラパエスの商工会議所の人たちが来て、試飲してほしいとして置いていきましたよ。内容物だけでなく、缶の製造もカラパエスで行った百パーセントカラパエス産の水だそうです」
ニタイは紙束をまとめつつ立ち上がると、ウッカに説明した。
「勇者の剣の水って一体……ああ、そういう」
勇者が剣を封印する際、土砂災害防止の観点から崖にも広範囲に渡って魔法を施した。しかし、崖にかけられた魔法は強力なものであり、水すらも弾いてしまうため雨が降った際弾かれた水が大量に河川に流入するのである。現在では対策がなされたが、昔は頻繁に氾濫が起こっていたようだった。
そして時は流れ、勇者の剣以外に資源がないカラパエスでなんとか他の資源を生み出そうとして出来たものがこの水である。
とどのつまり濾過した雨水なのだが、水道水や海水が売れる昨今。売れると踏んだのだろう。
「その水には、仄かに勇者がかけた魔法の風味がするらしいです」
「へー。じゃあ少しだけ──」
ウッカは缶を開けて口内で味わえるほどの量を口の中に入れる。しばらく味覚と香りを感じ取り飲み込んだ。
「なるほど。確かに、ほんのりと魔法の風味がするね」
親しみやすい魔法の風味を感じられ、ウッカとしてはかなりの好感触だった。
「そうですか……。私も先ほど試飲してみましたが、全く感じられませんでした。もしかして私って味覚音痴なんですかね……」
ニタイは不安そうだ。
元々彼女は事務処理能力が優れていないのを自覚しているため、味覚音痴だとわかればもはや何の能力もないと考えてしまい自己肯定感に影響が出かねない。
「ま、まあ。私は仮にも領主の家系。家にお金はあるから、良いものばかり食べてて舌は肥えているはずだからね」
「そ、そうですよね……。私の家は貧乏でしたから……」
ニタイの出自は決して豊かではなかった。それ故、却って地雷を踏んでしまったのではないかとウッカは慌ててニタイのご機嫌取りを画策する。
「ほ、ほら。魔力の風味を感じるかどうかは魔力に敏感な体質とか、そういうのもあるだろうし。魔力に敏感な人って少ないらしいし、多くの人は違いはわからないんじゃないかな。でも、商工会の人はわかるんだよな……」
商工会の人全員というわけではないが、観光部会などはその仕事内容から地場産品などを食べる機会があるのだろう。だとすれば、ウッカは商工会の人が舌が肥えても仕方がない気がしてきた。
「いえ、商工会の方々は取水施設や製造工程については断定を用いていたのですが、味や風味の話になった瞬間比況を多く用いておりました」
ウッカは市長という立場であるため、商工会の人たちと会う機会は少なくない。脳裏には、なんとかして風味を感じられないかと必死に藻掻いている商工会の人たちの様子が容易に連想できた。
「そうか、やっぱり風味がわからないのは多数派か。なら良かった」
「はい。良かったです」
ニタイも自己肯定感を取り戻したのか、満面の笑みで答える。
そして、話は終わろうとした後、ウッカが大事なことに感づく。
「──いやいや、それはそうとこの床に散らかっている紙は何?」
「……えーっと、あの、その、これはですね。なんと良いますか、大変説明の難しい──」
ニタイの釈明は、一日中続いた。