メリルお嬢様は椎の実クッキーと『恋に破れた男』がお好き
その年、恙無く終える筈だった卒業パーティーは荒れに荒れた。
口火を切ったのは卒業生代表として挨拶をする筈だった第三王子殿下。
「スミス公爵令嬢、そなたとはこれまでだ!婚約は破棄させてもらう」
え、えええ~!?正気ですか?
まさかまさかの宣言に、まず浮かんだのはそれだった。
一縷の望みを掛けて催し物の類いかと声の主を確認すれば、ふんすと鼻を膨らませている殿下。ですよね。
よく響く声は流石王族!と持ち上げるべきなのか、何て非常識な発言と非難すべきなのか。
「メリルさんメリルさん、全て声に出ていましてよ」
し、しまった。
そばにいたクラスメイトにそっと耳打ちされ我に返る。慌てて右に左に様子を伺えば、誰も彼もが困惑しているらしい。先程までの和やかな談笑とは明らかに異なるざわめきが広がっている。
どうやら注意してくれた令嬢の他に耳にした者はいない模様。思わず止めていた息を吐き出しながら「お前は腹芸できないタイプだよな」という耳に痛い言葉を思い出した。
そのような中で件のご令嬢はしずしずと殿下の御前に現れた。五人のガーディアン達と共に。
「婚約破棄、承知致しましたわ。殿下の有責ということを広く知らしめるため敢えてこの場で宣言なさるとは、なんと素晴らしい心意気でしょう。わたくし、感動致しております」
「な、何を言う!そなた、プリシラを虐めていただろう。性根の腐った女を我が妃になど迎え入れられん!」
大袈裟な身振りで首を左右に振った公爵令嬢は、扇で口許を覆い、感情の乗らない瞳で殿下を見た。
「全く身に覚えのない、言い掛かりですわね。婚約は破棄で構いませんが、その他の発言の撤回を求めます。証拠ならございましてよ」
ガーディアンの中でも分厚い紙束を携えた二人、ジルベールと子爵令息だったかが前に進み出るや如何にして罪が捏造されたかを事細かに述べていく。抑揚のない声が余計に怖い。
あまりに膨大なので、かなり前から調査されていたことが伺えた。これならもっと前に、それこそ内々の話し合いで関係を解消できたのでは?と思うも、余計なことを口にして酷い目に合うのは嫌だ。先程の失言もあって堅く口を結ぶ。
要約すると殿下の思い込みやプリシラさんの自作自演ということだった。
学長の話よりも長い長い反論が終わると、怒りに真っ赤に染まった殿下は感情のままに拳を振り上げる。
最後までお聞きになる心があるのだから、もう少しだけ我慢なされば良かったのに!
憐れ殿下とついでにプリシラさんは、騎士科でトップを争う二人のガーディアンに拘束されご退場。場を騒がせたお詫びとして謝罪した公爵令嬢は、ずっと隣に寄り添っていた最後のガーディアンにエスコートされ、洗練された美しい所作で会場を後にした。
ちなみに、後日この令息とご婚約されたようだった。うへぇ。
◇◆◇◆◇
あの卒業パーティーからもうすぐ一年。今度は私達の番だなんて。
そっといつもの席に陣取って、ほうと溜め息をひとつ。
縦に長い体をすっかり丸めて机に齧りついている彼の呼び名は数知れず。
我が校初の国際的な専門誌に論文が掲載された特待生。
今年度の首席に間違いない男。
そして、スミス公爵令嬢をお支えするガーディアンのひとり。
いや、彼女は卒業してしまったので『元』取り巻きか。
以上のように聞こえの良いものもあれど、大半は粗野な言葉遣いで無愛想、気難しい等散々なモノが多い。それは多少の羨望も相まってなのでしょうが。
彼、ジルベールは悪評というか、第一印象が兎に角悪かった。頭が痛くなるような細かい文字がびっしり書き込まれた本ばかり読んでいるからか、眉間に寄った皺は癖付き、只でさえ鋭い目付きが更に険しい印象を与えている。
昔のことだけれど、かくいう私も絵本の悪い狼のように見えて、食べられてしまうと腰を抜かしてしまったもの。
その頃の彼は、まだ、今ほど注目を浴びる存在じゃなかった。
最初のテストで堂々の一位をとっていたけれど、貴族以上に卒業後の進路に成績が関わる平民は真面目に勉学に励む者が多く、その内のひとりという感じ。とはいえ、幼少より高度な教育を受けてきた貴族を差し置いての一位というのは中々無いもので、なんとなくその名を皆が知っているような状態だった。
私の成績といえば、真ん中よりもちょっぴり下。だから、ちょっとした勉強のコツを教えてくれないかしら、なんてうっかり考えてしまった訳で。
うちは子爵家といえど牧歌的な領土をすこぉし賜っている程度なので、日常的に平民ともお付き合いがあるというか、つまり、親しみを持ってお話できる妙な自信があったの。はいはい、フラグフラグ。
こうして、お馬鹿なメリルお嬢様は根拠のない自信に突き動かされ、ジルベール君に突撃したのでした。
「ひえっ」
そして撃沈。
中庭の片隅で、まるで隠れるようにベージュの小石のような物を齧っていた彼。地べたに座り、足の上に広げた本を貪るように読んでいる。いつも以上に険しい目付き。眺めているのが本でなく、例えばナイフだったなら、暗殺者と言われてもおかしくない。
反射的に回れ右して教室に逃げ帰った私は、自分の席に着くや止めていた息を一気に吐き出し、我に返った。
これが、無駄足……!
そこで止めれば良かったのにね。
いつもは慎ましやかなプライドが、こうなったらなにがなんでも声を掛けねば!と奮い立ったので、休む間もなく再び中庭へと足を向けた。
「……なにか」
流石に二度目はバレました。
わざわざ立ち上がって聞いてきたジルのシャツから、食べかすの粉がぽろぽろと落ちる。それをぼーっと眺めていた私に、話し掛けられたという事実の認識が追い付いた時、ヒュッと鋭く息を吸い込みながら「ぐえっ」だか「ひょえっ」だか表現し難い言語を漏らすことしか出来なかった。
ひえええ、やっぱりむり!
探るというより射殺すような視線にたじろぐ。
野犬だってもっと可愛らしい瞳をしているわ!なぜいけると思ったの、私!
ぶわっと寒気と共に汗が吹き出る初めての経験に、二の句が継げない。けれど残念ながら声を掛けてしまった事実は消せず、浅はかな考えを見透かされているような鋭い眼差しにじんわり涙が滲んでくる。
急に涙目になるなんて、とんでもない女と思われただろう。けれど、小さな頃に大好きだった絵本の悪い狼を唐突に思い出させる目付きに、あんなに大きく肥大していた自信はすっかり萎んでしまった。どうしよう。口をぱくぱくさせることしかできない。
今思えばジルはちょっと困った顔をしていただけで、じっと私の言葉を待っていてくれたのに、無言が何より恐怖を掻き立てた。
すると、ぽろりと涙が溢れるより早く、私のお腹が悲鳴を上げる。ぐぅうううー。
「……クッキー、食べます?」
瞳は伏せて差し出されたソレは、やはりクッキーというより小石のよう。しかし私に拒否するなんて選択肢は、ない。
なんとなく固そうに見えたので、始めから奥歯で噛むと思いの外簡単に砕くことが出来た。
「……ふしぎなあじがする」
どことなく香ばしく、ほんの少し甘みを感じないことも、ない?
ジルはチッと大きく舌打ちしたかと思えば酷く蔑んだような一瞥をくれる。
「そりゃあ、あんたらがいつも食べてる上等なモノとは違うからな。砂糖にバターなんて高級品、そうそう使えるかよ」
「えっ、あ……ごめんなさい、甘さがない分お食事ってかんじがします!もっと食べられそう!」
「……もっと食べるつもりですか」
しまった!これじゃあ催促してる!!
恐らく顔を青くした私に、ジルは変な生き物を見る目で二枚目のクッキーを差し出した。もちろん私に拒否するなんて選択肢は、ない。
その後も差し出されるまま、三枚目四枚目と無言で食べていたけれど、つい、チーズをかけたら合いそうだなあなんて考えていたら口にもしていたらしく、お返しに持ってこいという話になり、次の休みは一緒にクッキーを作ることになっていた。
……あれえ?
そして後日。
集合場所の寮の調理場の裏手に向かうと、既にしゃがんで作業しているジルが。どうやら水を張った桶でドングリを洗っている、みたい。というのも、プカプカ浮いているドングリを拾っては深皿に投げ入れているので、洗っているで合っているのかは自信がなかった。
「……ああ、来たのか」
本当に来るなんてと言いたげに目を丸くしたジルは、いつもより眉間の皺もなくなって年相応の男の子という印象で、あんまり怖くなかった。だから約束も守らない人間と思われていたのかと、ついむすっとしてしまえば、途端にいつもの険しい顔つきに。ひえっと内心飛び上がりつつ、なるべく顔を見ないでも不思議に思われない程近くに寄って返事をする。
「ちゃんとチーズも持ってきました。それより、今何をしていたの?」
「これか?水にさらして虫食いのやつを捨ててた」
「はあー……なるほど?」
「……虫に食われてると中身が軽くなって浮いてくるんだよ」
「なるほど!」
どうして分かっていないことが分かったのかしら。
小首を傾げつつ、次に気になったことを考えなしに口にした。
「そもそも、どうしてドングリなんか洗ってるの?クッキーを作るんじゃなかった?」
ちなみに小麦は我が国にとって、周辺国への主力商品だ。だから庶民でも比較的手に入れやすいらしい。とはいえ、孤児で奨学金と細々とした国の支援金便りに暮らしているジルにとってはホイホイ買えるものでもないそうで、あの怖い目付きで睨まれた。
この後は煎って、皮を剥いて、砕いて、すりつぶして。そうして出来たドングリの粉を小麦粉と混ぜて嵩増しに使うそう。
口調はぞんざいでも、説明は子供でも分かるくらい丁寧だった。
なお、ドングリの中でもみんなから椎の実と呼ばれる物、とりわけ灰汁抜きのいらない物を使っているそうで、そこらのドングリを拾って食べたらお腹を壊すと注意されてしまった。
……あとで庭のドングリで試してみようとしたの、どうしてバレたのかしら。
気恥ずかしさでもじもじしていると、ジルは手早く桶や椎の実を片付け始めた。そして、乱雑に地面に置かれていた使い古した袋を担ぐと調理場に入る合図なのか顎をしゃくった。
寮では毎日朝晩の食事は出るものの、お昼は各自で調達するシステムらしい。確かに平日は学校で学食もあるし、休日だけ昼食を用意するというのも大変だ。当然、外に出掛けて食べる者もいるだろうし。
そのため、事前に申請すれば、休日は寮生が使えるようになっているそうだ。そこそこ広い調理場には、ぽつりぽつりと人がいた。
その中で私達もチーズ入りのクッキー作りを開始した。
あの担いでいた袋には小麦粉と、既に粉にしていた椎の実、そして瓶に詰まったオイル。……材料だけ見ると、これらで作ったものってクッキーと呼んでいいのかしら。でも、他の名前も思い付かないしクッキーでいいかな、なんてついついぼーっと考えていたら「やる気あるのか」と言いたげに胡乱な目を向けられたので、慌てて袖を捲った。
手際良く混ぜ始めたジルの横で、慣れないナイフを片手になんとかチーズを刻む私。
悪戦苦闘しながら初めて作ったクッキーはやっぱり小石みたいな見た目をしていたものの、格段に美味しく感じられた。
「自分で作ったからかしら、なんだか特別な感じがする!前よりずっとずっと美味しいわ」
「……チーズの塩気のお陰では」
一瞥もせず言い放ったジルは相変わらず素っ気ない。
いやでもあの恐ろしい眼光を浴びせられなかった分むしろラッキーかも?と前向きに考えるとして、鞄から自家製のハーブを詰めた瓶を取り出した。そのまま噛むと強い甘味を感じるハーブで、お茶にすれば砂糖を入れなくてもそれなりの甘さを感じられるため、丁度良いかと今回持ってきたのだ。
どうやらお裾分けのハーブティーはいたく気に入ったらしく、ジルを喜ばせた。私も思わず椅子から腰が浮かび上がってしまうくらい嬉しかった。なんと、あのキツい眼差しがほんの少しゆるんだの!
それじゃあ今度はハーブを株ごと持ってくることに、となって流れるように次の約束をしていた。
そしてその交流は、ジルが公爵令嬢の取り巻きの一人になるまで続いた。
◇◆◇◆◇
図書室の片隅でうず高く積まれた本に挟まれ一心不乱にペンを走らせるジルは、例の論文で薬草の効能を証明して以降も、ましてや公爵家のご令嬢が卒業しても変わりない。むしろより一層励んでいるようにみえて、なんだか胸がモヤモヤする。少しで良いの。こっちを見てはくれないかしら。
いつものように本を読むフリをしながらその後ろ姿を見つめていると、大きな溜め息と共に振り向かれた。
「……視線が鬱陶しい」
相変わらずの酷い顔色。
迷いなく草臥れたジャケットの内ポケットに手を入れ、ぽいっと投げて渡されたのは丁寧に折り畳まれた紙ナプキン。奨学金で通っている彼にとっては、寮での食事と共に支給されるそれも貴重品らしく、こうして再利用されている。
「これでも食べてれば」
言うや否や再び姿勢を戻してしまったので、内心溜め息を吐き返したくなる程がっかりした。
今日はもう絶対にこっちを見ないんだろうな。頑なな背中にうんざりする。
毎度のことながらこんな扱い、ジルのくれるものならゴミでも喜ぶと思っているのかしら。頭の中でめっためたに伸してやろうと思うも、健全な令嬢として育てられた私ではその薄い頬を思いっきり引っ張ってやるくらいが関の山。思わず、むむむと唸って睨み付ける程度はご愛嬌でしょう?
とはいえ、食べ物に罪はない。仕方なく頂戴した私は、中庭のベンチに居を移すこととした。図書室は飲食厳禁ですからね!
いそいそと包みを開き口に運ぶのは歪な形のクッキー。砂糖替わりに細かく刻んで練り込まれたハーブのほんのりした甘さと、椎の実の香ばしい風味がなんとも言えない。もひもひもひもひ。
ちょっぴりボソボソしているので、持参した紅茶の美味しいこと美味しいこと!
初めて口にした日以降、改良に改良を重ねたそれ。すっかりお馴染みとなった味にほっと息が漏れる。
さわさわと葉の揺れる音が耳に優しく、心地の良い日溜まり。確かに感じるの初夏の気配。時の流れの早さにびっくりしてしまう。
ちらりと木立の合間に見える窓へ顔を向ければ、小難しい顔をしたジルの顔が覗く。向かいに誰も座らない方が集中できるのか、もうずっと窓際は彼の指定席だ。図書室に接している中庭からは、その様子をこっそり伺うことができる。
いつだったか、ジルからお邪魔扱いされた私は「天気良いんだから中庭でも行ってろよ」と犬を追い払う仕草で追い出され、途方に暮れていた。迎えの馬車が来るまでまだまだ時間がある。けれど、行く宛もない。仕方無しにジルの勧めに従い中庭に足を向け、このベンチを発見した私はなんてツイているの!
そっと神様のお導きに感謝したものだった。
またひとつクッキーを口に含む。それからジルを見れば、数人の女生徒に話し掛けられているようだった。
例のパーティーでの活躍から、無愛想で近寄りがたい男の看板は返上しつつあるらしい。加えて、『恋に破れた男』とも噂されている。これはジルだけでなく、選ばれなかった元取り巻き達全員に言えることだけど。
そうなると、特に平民の間では有力な結婚相手に躍り出たようで、こうして声を掛けられている姿を目撃すること数知れず。
……少し前までは見向きもしなかったくせに。
半目でじーっと観察していれば、明らかに迷惑している様子が見てとれた。身振りで邪険にしている様を見ると、妙に清々した気持ちになってくるから不思議。いけいけ、もっとやっちゃえ!
心の中で声援を送っていると、程なく女生徒達は去っていき、大きな溜め息を吐いたジルと目があった。
あっ、私も人のこと言えないな。
お邪魔扱いされた身分で何を考えていたのか。急に恥ずかしくなって、これ以上不快な気持ちにさせたらどうしようとワタワタ片付け始めたら、不意にジルが薄く笑った。
思わず包みを落としてしまう。そんな顔、今まで見たことなかったから。
だから、断られるのは承知で卒業パーティーのエスコートをお願いしてみようかなって。急に、諦めていたお願いをする勇気が湧いてきたの。なんとなく、今のジルなら聞いてくれるんじゃないか、って。
こうして、メリルお嬢様は根拠のない自信に突き動かされ、ジルベール君に突撃したのでした。
「……あれ?前にもこんなこと、あったような?」
「は?なんの話だ?」
図書室へ向かう道すがら、丁度退出しようとしていたらしいジルを捕まえてカフェへと向かう。意外にも甘党なジルは、ケーキをご馳走すると言えば迷うことなくついてきた。
しめしめ、順調な滑り出し。と喜びも束の間、つい口が滑ってしまう。もちろん上手いこと言える筈もないので強引にメニューを渡せば、訝しそうな目を向けながらも季節のタルトを選んでくれた。今月は桃らしい。
私はクリームたっぷりのフルーツケーキにしよっと。
「それでね、ちょっとお願いがあって……」
「だろうな。で?」
一口大のタルト、それも中心寄りの桃がたっぷり乗った部分を私のお皿へ転がしながらの雑な返事。
いつもなら気にせず、なんなら二つもケーキを楽しめてラッキー!くらいに思うジルの行動も、卒業パーティーのエスコートという重要な話をするに当たってはもう少しちゃんと聞いてほしいなと思ってしまう。エスコートをするのは基本的に親族、あるいは婚約者、だから。
当然、ジルはこれから話す内容を知る由もないので我が儘なことと分かってはいるけれど、つい、こう、ロマンスの欠片くらい感じたいというか。でも、真面目にこっちの話を聞くジルなんて見たこともない幻の存在が急に現れたりしたら緊張して何も言えなくなるので、それならいつも通りで良かった?
いやいや、やっぱり目くらい合わせてお話したいもの!
「とってもとっても大事なお話なんだってば!」
「はいはい、それで?」
あー、もう、こっちみてよ!
「今度の卒業パーティー、エスコートしてくれませんか!」
両頬を両手で挟んで強引にこちらに向かせる。
何をふざけたことを、と思っているのか僅かに眉間の皺を増やしただけでジルは全く動かない。
……動かない。
「……ごめんなさい、変なお願いしちゃって」
気まずさに耐えきれず、そろりと手を下ろす。
すると、嘘のように素早く追い掛けてきたジルによって両手が捕らえられた。
「本当にな。パーティーのエスコートって、基本的に男から申し込むものだろ」
「ええっと、その、ジルには馴染みがない文化かなあと、思いまして……」
「この学園にいたら、流石にそれくらいは知ってるよ。卒業パーティーだって何回目だと思ってんの」
呆れた目付きでじっと睨まれて、とてもじゃないけど落ち着いた受け答えはできなかった。しどろもどろで、まるで取り調べでも受けている気分。
ああ、せめて桃のタルトも一口食べてから切り出せば良かった。
「……というか、そんな顔してさ。俺が断るとでも思ってる訳?」
えっ、と顔を向ければ苦々しく笑うジルの姿。
「むしろいつ誘ったら良いのか分からなくて、ここのところずっと寝れなかったし」
「えーと、でもいつも図書室で会ってるじゃない」
「あんな場所で言うべきことじゃないだろ」
「それは、そうだけど……じゃあ、カフェに誘うとか」
「っだから、それが出来ないから眠れないって話だろ!」
ジルが大きな声を出すなんて初めてで、思わず肩が跳ねる。
「やっちまったと思ったら戻ってくるのが見えたから、今日こそ誘おうと思ってそれっぽいタイミングで図書室出たのに、そっちから簡単に誘ってくるし。折角のチャンスでもメリルは何かしら相談ある時しかカフェなんて行かないから、先に話聞こうと思ったらエスコートの件だし……」
一気に首まで真っ赤になったジルは段々と小さくなる声で吐露していく。
これまた初めてみる姿に私も更に動揺してしまう。
だってだって、なんだかジルがかわいい!
込み上げる衝動に黙っていられず、けれど平時でさえ上手いこと言えない私は、ただただジルの言葉を繰り返した。
「や、やっちまったと思ったら戻ってくるのが見えた」
「そうだよ、窓際のあの席なら中庭が見えるから。……じゃなきゃ、なんでわざわざクソ眩しい席に座ってると思ってんだ」
今日だって目があった癖に、その考えはなかった。
「ええと、じゃあ、今日はたまたま誘えた訳でも、ケーキ目当てで来た訳でもなくて……」
「お前の誘いなら、例えコップ一杯の水だろうと有り難く頂戴しに行くよ」
わああ!開き直ったのか堂々と答えるジルに、今度はこちらの頬が熱を持つ。
もしかして、私達……!と思ったところで大変重大な疑問が頭に浮かんだ。
「……待って待って、ジルはあのスミス公爵令嬢が好きだったんじゃないの?」
「はあ?」
「あっ!私で妥協するってこと?」
「はあああああ?!」
何がどうしてそうなる、と鋭さを増した視線にびくっと肩が強張った。心なしか、両手を掴む力が増した気がしなくもない。
簡潔に話せと静かに問うジルに抗う術を私は知らなかった。
「その、去年は学年上がってからガーディアン……えーと、取り巻きというか、いつも一緒にいたでしょ。それに卒業パーティーで殿下がやらかしたときも格好良く撃退してたし」
「それで?」
「え?」
「それだけか?」
それだけも何も、好きでもない人といつも一緒にいる理由なんてあるかしら?
小首を傾げれば、据わった目をしたジルが口を開いた。
「まず、あの女とは利害の一致があって契約関係にあっただけだ。俺はなるべく早く爵位が欲しい。研究が認められての叙爵はどんなに早くたって十年以上掛かるし、貴族の養子になるにしたって、当然向こうの家の意向に従わなくちゃいけない。好きな女と結婚したいなんて要望、聞いてくれる都合の良い家から声が掛かれば良かったんだけどな。……まあ、そんな上手い話がある筈ないよな」
……なんだか凄いことを言われてる気がする。
呆然とする私に口を挟む余地もなく、更にジルは言葉を重ねた。
「そんな時、あの女から持ち掛けられたんだ。希望に沿った丁度良い養子先を俺の卒業後に紹介するかわり、派閥に入れって。あと、今後の研究成果は公爵家に寄越せって話」
もちろん、成果の全部をって訳じゃないけど、とは小声で付け足された。
「その派閥に入れって話を拡大して、毎日毎日、良いようにこき使われてただけだ。他の奴も婚約した男以外は大体そんな感じだったみたいだけど、特に俺は平民だから顎で使いやすかったんだろ」
吐き捨てるように告げたジルは、ご令嬢のことなんて本当になんとも思っていない様子に見えた。むしろ心底嫌そうに舌打ちをしていて、あんなにお綺麗な方でも誰もが好意を持つわけじゃないのねと妙に感心してしまう。
「というか、特にテスト前なんか毎日勉強みてやってたのに、よくいつも一緒にいたなんて言えるよな」
た、たしかに。放課後に勉強を教えてもらったり、時たまお礼として今日みたいにお茶をしたりはしていた訳で。ランチや実習はご令嬢のグループと過ごしたみたいだけど、いつも一緒は言い過ぎだったかも。
どれだけジルを独占したかったのか、今まで知らなかった自分を暴かれたような気持ちになって、身体中が沸騰したように熱い。
「あの、なんというか……ごめんなさい」
「誤解が解けてなにより。……まあ、格好良く撃退したって思われてたのを知れたのは収穫だった」
「え、あっ、うん」
「はあ、面倒だったけど。証拠集めに検証とか本当にクソ面倒だったけど。そう聞くと、ちょっとはやり遂げて良かったって思えるな」
微かに口角を上げて、まるでニヤニヤ笑うようなジルに、少しの苛立ちと心臓をぎゅっと握られたような強い衝動が私を襲う。ともすれば馬鹿にしていると感じる表情なのだけれど、赤らむ頬とこちらを見つめる双眸があまりにも甘やかで、クラクラしてしまう。
こんなジルも初めて。一体今日だけで、どれだけ沢山の顔を見せてくれたんだろう。益々好きになってしまって、もっともっと見せて欲しいと欲張りになるのが止められない。
「……エスコートだけど、是非」
ぎこちなく手の甲に唇を寄せたジルに、また胸が痛くなった。
不意にさらりと風に撫でられ、私の髪が垂れる。視界の邪魔と思う間もなく手を引かれ、引き寄せた手と反対の指先がそっと耳に髪をかけた。そのまま露となった耳朶に、聞いたこともないような甘い声。クッキーよりもケーキよりも、ずっとずっと。
「好きだ、メリル」
◇◆◇◆◇
いつもの席に腰掛けていた彼女は、注文を繰り返したウェイターに待ったをかけた。
「いえ、やはりケーキは結構。先にストレートティーをくださる?なるべくさっぱりとした口当たりの銘柄で」
いつも後ろのテーブルにいるクラスメイトのあれやこれやには慣れたつもりでいたが、流石に胸焼けがしそうだ。
「んもう、ようやくですの」
あれだけ自然に引っ付いているというのに、知らぬは本人達ばかりとでも言おうか。流石に学年が違えばアレに突撃しようという無知な愚か者もいたようだが、殆ど公認といって差し支えない二人。
まさに、ようやくと言いたくなる程の進展だった。
周りを見回せば、同じような生温かい目の数々。
誰が言うでもなく、彼らは静かにカップをあげた。