ジンメ渓谷の街道をカスコヨへ
かなり明るくなってきた頃、最初の野営地前に到着した。
土壁の上に、何かの姿が見えるが、人には見えない。
「何か居るね」
トヨがこちらを向いて
「安全確認、任せた」
と言うのへ
「任された」
と応えて、背負い籠を下ろして身軽になり、盾と棘棒を構えて、いつでも石斧も抜き出せるのを指先で確かめつつ、濠を渡る坂道へ近づく。
少し上った時、中から何かが出てきたので、ドキッとして一歩跳び退り、すっと落ち着けて心身の準備態勢をとりつつゆっくり退くと、相手は一匹のやや大きめの猿。
「なんだ、猿か……」
ほーっと溜息をつく。
猿の方でもこちらを目にして、「なんだ、狩人じゃなくてただの人か……」と落ち着いたらしく、こそこそとゆっくり退いて行く。
それで棘棒は下ろして、盾を構えたまま、また斜面を登っていくと、出て来る二、三匹の猿がこちらの恰好を見て、一匹が警戒するように横へ廻りだすので、
(こいつ俺の背後をとろうとしてないだろうな……)
と、そいつに盾を向け続けて警戒しながら、更に登って行く。
その猿は入口の端まで行って、上へ登った。
とりあえず狭い坂道で背後はとられていないから、入口一歩手前まで近づき、中の様子を確認する。
中には、左手の壁際に立て掛けられた防御工作物の上に猿が群れていて、大体五、六匹くらいか。
右手の土塁の上や、奥の杭の上などにも数匹ずつ居る。
念の為に一応背後を警戒しつつも、出て来ている猿が様子見中なので、小走りに仲間のところまで戻る。
「猿だよ、20匹かそこら居る」
「水は汲めそう?」
「刺激しないようにゆっくり行けば、多分」
「行ってくれる?」
とトモコに云われて、まあ俺だろうなと思い、頷いて、盾も下ろして、マサから壺を受け取って両手で抱え、落ち着いて水汲みに向かう。
刺激しないように、目を合わせずに、しかし堂々と歩み入る。
淡々とゆっくり進み、跳ね釣瓶を目指して一直線に進むと、跳ね釣瓶の腕木にぶら下がって遊んでいた猿が去って行く。
跳ね釣瓶はこうやって使うんだ、と猿に教えるような感じで、ゆっくり操作しようとして、はたと手を止める。
ここで壺を下ろしたら、猿に持って行かれるんじゃないか、と心配になったので。
でも今更戻るのも厭だ……。
仕方なく、周囲の猿の動きに神経を尖らせながら、片手で水槽の蓋を取り除き、片手で跳ね釣瓶を操作して中を浄め、片手で汲み上げて水槽を満たし、やっと水を壺に汲んだ。
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水分を補給出来たので、放置して街道で休憩。
水分補給後、再び漸次速度を上げて旅を続ける。
小走り20歩,速足30歩のペースに上げて少ししてジンメ渓谷のくびれ目に差し掛かった。
対岸の山の垂直にそそり立つ岩肌の荒涼たる凄まじさから目を逸らして、警戒しながら小走りに進んで居ると、トモコが急に、
「居る!」
と叫び、すぐにトヨもトモが警戒してた方へ目を遣ると、
「出た! 走れ!」
と叫ぶや否や、猛然と速度を上げたので、皆も必死に走る。
ぼくも反射的に背負子を下ろす紐を胸元に探る動きをしてしまい、無くて戸惑い、その所為で少しだけ出遅れたが、死に物狂いで逃げ出す皆に置いて行かれかけて、慌ててすぐに全力で走りだした。
雨上がりの曇天で、まだ街道がぬかるんでいたが、山で猟をする時に必死に走り抜けるのに慣れていたので、多少足元が滑りやすくなっていても、概ね平らな街道なら苦にもならず、転びもせずに走り続ける。
今回もまた、川の傍にこんもりとした姿を見せる野営地の横を駆け抜けて、休まず街道をひた走って、ジンメ渓谷から脱け出し、さすがに速度はそこで少し落としたが、勢いでそのままカスコヨまで駆け通した。
街の城門前に行列は無く、息を切らしたぼくたちは膝をついたり腰を下ろしたりして肩で息をしていたが、すぐに番兵が近づいてきたので、
「私が」
と手を上げて、どうにか旅券と依頼札を見せたトモコが、
「出ました」
とだけ声を押し出した。
それで何が起きたのか大体見当をつけることができた番兵に他の兵士を呼ばれ、少し話を聞かれてから解放された。
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すぐにも休みたいので、直ちに広場へ直行し、トモトヨが官舎に許可をとりに行ってる間に、木の下に場所を取った。
木の上に背負子などを隠した木の下。
だが前回の場所は他人が既に占めていたので、逆側の空き場所に陣取る。
足元に籠を下ろし、ひったくられないように籠を前に囲んで並び、籠から出した円座もどきに腰を下ろして、すぐに立ち上れるように片膝立てながら、少し休む。
トモトヨが戻って来て、同様に休みだす。
疲労が少し回復してきたので、
「そろそろ下ろせるよ」
と言って、立ち上がってぶらぶらする。
周囲の人影が減った瞬間に、トヨが
「今だっ」
と囁くので、俺はサッと木に取り付いてグイっグイっと登りだし、すぐに枝蔭に姿を隠し、更に上へ。
途中、枝の間から雲間にかなり膨らんだ月が浮かび上がってるのが見えた。
木の上まで登ると、枝の上に前回置き去りにしていった背負子と戈がちゃんと残っていた。
菰もあったが、残念ながら虫だらけになっていた。
本当なら焼き捨てるべきだろうが、今は真下に他人が居るので、動かして虫が落ちたら迷惑だ。
諦めて、戈と背負子だけ、紐が切れそうになってないのを逐一確認してから、まずは戈五本の束をそろそろと下ろして、気をつけて枝から枝へと降りていき、下で受け取ってもらい、また上へ戻って、次は背負子を同様に下ろした。
ついでに、上で内向枝ばかり少し折り取って、焚火に使ってもらう。
マサが背負子を水場に持って行って洗ってくれてる間に、エコとトモが戈の棘を抜いて回収し、戈の長柄五本を木の枝と組み合わせて物干しを作り、焚火の周りで装備を乾しだした。
トヨとぼくは警戒して二人で見張り番だ。
「そういや、依頼って見た?」
「あ、忘れてた」
マサが戻って来た。
「ご苦労様」
「きれいになったよ」
「マサ、見張りちょっと頼む」
「ん? わかった」
トヨが兵営に入って行く。
少し待っているうちに出て来て、
「どうだった?」
首を軽く振って、
「無いね、駄目」
「どんなの?」
「前と同じで、減ってた」
「ああ、じゃあダメだね」
「新しいのもあったけど、退治じゃちょっとな」
「うーん、止めておこうね」
マサが、
「ああ、お腹空いたなあ」
「言わないで、忘れてたのに」
「ああ、ごめん」
市場は夜はやっていないから、乾燥食糧を削りとって炙って齧るだけだ。
疲れてるので、エコとマサとぼくから先に眠り込んだ。




