夜の狩 ~ 乱れ雪月花 ~
翌朝、目が醒めると、小部屋に持ち込んであった温石はもう冷めていた。
低い壁の上の屋根に移る火影は薄く、炉の火も落ちかけていると判る。
火の番を立てず、皆のんびり安眠できているようだ。
寝不足は万病のもと。
健やかな眠りが得られて何よりだ。
立ち上がり、部屋の戸板を外して壁に立てかける。
家を改修した直後の頃はまだ深く掘っていなかったので、立ち上がろうとして頭を屋根にぶつけたトヨの
「アイタッ」
という頓狂な声をよく耳にした。
その後トヨの要望で家全体を少しずつ深めに掘り込んだ。
小部屋を出ると、足を引っ掛けたり転げたりしないように気をつけながら、ゆっくりと家を横切り、戸口の間まで行き、まずは用を足す。
戸口の嵌め板に付けてある覗き窓、その蓋の綴じ紐をボタンから外して、蓋をずらし、小さな覗き窓から外を確認。
思った通り、月光が雪を照らしているのが目に入った。
ということは、晴れている。
よし。
--
積み重ねた虫除けの草束の上で寝ているエイコを抱え上げる。
「……ん……行くの……」
「おやすみ、寝てていいよ」
お姫様抱っこでゆっくり炉辺へ運び、彼女のコットへ寝かせた。
炉の火へ焚き付けと炭と柴を適宜くべ、火を熾し直す。
それからマスクをつけた。
微かに音がして、トヨも目覚めた。
隣のコットにトモが寝ている。
目と手ぶりで意思疎通しながら、眠っている女の子たちを起こさないように、無言で起き上がる。
煮た保存食の残りを少し口にすると、黙々と出発準備に取り掛かる。
防寒着として、いつも通り枯草の束を身体に巻き付けて、その上から樹皮を重ねて綴じた外装を身につけ、同じように雪沓を履いたり、脚絆を巻いたり、手甲をつけたりして、ヘッドギアを小部屋へ取りに行く。
防寒着を腰で引き締めている紐編みのベルトには、蔓編みのポーチが取り付けてある。
留め紐を外してポーチの蓋を開けると、制音用の枯草のクッションの中に、石ナイフなどのツールが収まっているのを確かめる。
ベルトから垂らした縄を太腿の防寒着の樹皮の上から締めて、そこへ石斧を挿す。
両腿に一本ずつ。
臑当を締めている縄には、太串を五、六本も挿し、その尖端が膝の上を覆う。
太串は戈につける棘の予備だが、引き抜いて手に握って刺すこともできる。
手に構える武器はもちろん戈。
盾に破損が無いか、確かめる。
マサはまだ眠っている。
トヨへ視線を送り、
──やつはどうする? 置いて行こうか?
──いや、起こせ
──了解
マサの傍、炉と反対側に、逆光にならないようにしゃがんで、腕を軽く叩き、目を覚まさせる。
マサが黙々と炉の火にかかってる土器から煮た保存食の残りを食っている間に、ぼくは下半身の防寒着を部分的に脱いで、戸口の間に置いた便壺で出すものを出しておき、蓋をする。
片づけるのは帰って来てからでいいだろう。
少しして、炉に薪をくべておいてから、男子三人、夜の狩へ。
トモをトヨが起こして、施錠の為に見送りに来させている。
籠を背負っているのはマサだけ。
ぼくを先頭に戸口から出て行く。
今朝は未明から良い天気で、樹々の間に浮く満月が明るく輝いている。
全員が廂の下へ出ると、戸口を内側からトモが閉ざした。
鳴子を外して、山へ。
--
満月が煌々と樹々の間の雪の上を照らしている。
何処からか、小川の滾々と流れる音が、軽やかに踊る感じで響いて来る。
一つの足跡を追って、森の中を行く。
盾の把手に結んだ縄の環を額に引っ掛けて、頭から首、背中にかけて盾を被せ、頭上からの奇襲に対して防護している。
暗い木蔭に入った時に、木蔭に何者かの気配を感じた。
ハッとして、咄嗟に手を振り上げると、戈が頭上に枝を出している樹を叩き、枝葉から雪がサーッと落ちる。
降る雪が風に舞い、木漏れ日のように満月の光が、木陰に潜む何者かの姿を照らし出した。
パッと見て、よく分からない、黒っぽい何か。
その何かが、木蔭で後退してゆくそこへ、逃すかッ、と雪を蹴立てて走り込み、暗中の気配へ狙いをつけて戈で打ちかかる。
その途端、相手が跳びかかって来て間合いが狂い、棘でなく手元に近い棒の部分で叩きつけた。
激突の瞬間、真っ向から、ガッ、と重い手応えに、全身に力を篭めて弾き返す。
ギャッ、と間近で叫びがあがり、撲りとばされた敵が蔭の外へ転がり出て、月光に照らされる。
体当たり気味に突撃したぼくも、ほぼ同じところへ跳び込んでいた。
盾は左後ろに転がり落ちた。
敵に近寄り過ぎていて、間合いをとるべく一歩跳び下がりながら、すかさず燕返しに刃筋を上に切り上げると、今度こそ先の方の棘が突き刺さり、しかし浅く、且つ折れて、のけ反る敵へ引っ掻きながら振り上げる。
傷にアッと竦む敵へ、すぐさま戈の尖端を向けると、左脇を締めて戈を固定し、全体重をのせて突っかけた。
避けようとする敵の胸から腹のあたりに引っ掛かり、体重をかけて破り裂いた。
ケャハアアアァァァ……ッ!
と肺腑の息を吐き尽くすように絶叫して、敵が退いて、よろめくのへ、最後の一当て、ドンッと両手で突き出した戈の柄で叩くと、仰向けに倒れて、雪上にバァっと舞い散る、赤い血飛沫。
敵は転がり、伏せて、起き上がろうとして、突っ伏した。
戈を構えて、次の一撃の為に力を溜めていたが、
ふーっ、ふーっ
と、自分の息の音が耳についた。
我に返り、全身から吹き出した汗が、雪の中で冷えていく。
前に仲間が
「戈なんだから、先は尖らさないでもいいんじゃないか」
「女の子用のは、間違って後ろから刺されたら怖いし、尖らさないでくれ」
と言っていたのを思い出して、やっぱり自分用に尖らしておいて良かった、と、じっとり冷たい汗にまみれながら、思った。
マサが
「何だった、こいつ……?」
と追いついて来た。
「オイ、先走るから危ねえじゃねえか」
トヨが後方から弓を構えて近寄って来る。
「すまん、突っ込んじゃったな」
今、初めてそれに気がついたが。
「そいつ、死んでるか?」
突っ伏したまま、起き上がらず、下の雪に血が染みている。
盾と木の槍を構えたマサが、恐る恐る近づいてゆく。
つん、つんと尖端でつつき、
「死んでるみたい」
と呟き、ぐいっと力を込めて突き押してひっくり返す。
トヨが近づいてきて、
「知らないな、こいつは……」
正体は分らなかったが、魔物の特徴は無かったので、中型の獣だったのは間違いない。
「追っていた足跡って、こいつのだったの?」
「ああ、そうらしい」
いつの間にか、左腕を包んでいる樹皮が、かなり破り裂かれていた。
ヘッドギアも知らないうちに回転している。
幸い、身体に傷は無い。
自分でも気がつかぬうちに野獣の直接攻撃を受けていたのが分かったので、ダニがついていると厭だから、一旦防具類を外して、雪に擦りつけてよく汚れを拭っておく。
武器もだ。
その間に、トヨマサの二人で屍肉をいつも通りに処理して、夜明け前に本拠に持ち帰って、肉と毛皮とその他を得た。




