究極のVRMMO ~アバターの大久保~
「『究極』って、何が究極なんだよ。五感の再現性高いのはこないだ出てたろ?」
「『ファイブリーブス』な。CGやら再現性やら反射速度やら自然反応NPCやらそんなのはもう当たり前。これはな、なんと記憶を封印してくれるんだ。」
「は?ナニソレ?恐い。記憶を封印?」
「ゲームをゲームとして楽しむのはもう時代遅れ。ガチ勢はゲームを現実として楽しむ。」
「言ってる事がわからん。」
「だからこのゲームを始めると、これがゲームだという記憶を封印されるわけ。実際にその姿でその世界に ほおり出されるわけですよ。これは究極に人間性を問われると思うな~♪」
「そっちの究極? つまり要するに、それを始めると、その世界に本気で実際に生きてるということか~。クエストとかは?」
「そこまでは知らん。」
「そうか~、あれ、でもゲーム中って大概のめり込んでて、ゲームだってことを忘れてないか?」
「それでもどこかでゲームだと分かってるから、デスペナとか意識してるだろ?これはそんな甘い考えはない。死は本当に死。実際はデスペナくらうだけだが。だからみんな慎重になるんじゃないかな?現実みたいに。」
「それはゲームとしてどうなんだ?誰も強キャラに挑まないんじゃないか?まあ現実のようなシビアな戦闘になるということか~。」
授業中も、次世代VRMMOゲームのことを考える。
つらい現実を一時でも忘れるため、人はマンガや小説や趣味に没頭するのかもしれない。
そういう意味では現実を実際に忘れられるというのは需要が多いのかもしれない。
でもこっちの現実を忘れられても、またそっちの世界の厳しい現実にもまれることになりはしないか?
そっちの世界の現実がつらくなったらどうするんだよ。逃げ道はあるんだろうか。
まだ発売されていないのに、そんな心配をしてしまう。
ゲームだと割り切れないなら、それは真剣にはなれるけど、精神的にかなりな負担になるんじゃないか。
・・・まあ一度やってみないと、何事もやる前に決めつけちゃいかんか。
自分が遊ぶ気前提なのにあきれてしまう。
ゲームを始めると情報なしにいきなりその世界にほおり出されて、ゲームと知らずになんとか一生懸命生きていく、と。
死んだらログアウトして、そこがゲームの世界だったと思い出す、か。
それをおもしろいととるか、おもしろくないととるか。う~ん。
そこまで言っててふと気付く。
あれ?それって、俺たちの現実の人生と同じじゃね?
生前の記憶を持たず、この世界にほおり出されて、一生懸命生きていく・・・
俺が自分だと思っているものは、実は本当の俺のただのアバターだったりして・・・
死んだら死後の世界でネタバラシがあったりして・・・
まさかね、ハ、ハハ・・・
冷たい汗が背中を伝った。
おわり