『この国』の名は? 〜 文字に残された国号のコレクション 〜
ユーラシア大陸の北東の端から少し離れた海上にある、
山がちな火山性の弧状列島。
現在、日本と呼ばれる地域は、昔から「日本」と名乗っていたわけではありません。
勝手に他国からつけられた国号もあれば、自ら名乗った国号もあります。黄金の国ジパング、サムライジャパン。そして公式なものでなければ神話伝承、芸術文化に根ざした美称もあります。
── 以下中国の歴代王朝の公文書(史書)にかかれた「日本」の漢字表記です。
『後漢書』=倭
『三国志(魏志倭人伝)』=倭
『宋書』=倭
『隋書』=倭
『旧唐書』=倭と日本が併記
『新唐書』=日本
『宋史』=日本
『元史』=日本
『明史』=日本
一方、「なろう」小説のヨーロッパ風ファンタジーは『サムライの国』を登場させることがあります。
和風剣士の出身地だったり、主人公がコメやミソ・ショウユを輸入したり、冒険の舞台に訪れることも。
そのさいの国名は「ワ(の国)」をはじめとして、「ヤマト」「ヒノモト」「ミズホ」「スメラギ」などなど… けっこう、似通っています。
それなら!
古い日本の国号や別称、美称などをまとめて紹介したらどうだろう。雑学も添えて… 。何かの参考になるかも ?
そう思い、今回の記事にしてみました。最後までどうかお付き合い下さい ──
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では、まず公式の国号「わ」「やまと」「にほん(にっぼん)」を続けて!
◎「わ」「倭」
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弥生時代、からだに入れ墨をした海洋民族が大陸の東の海を活発に行き来し、西日本から朝鮮半島の南、大陸東岸にかけて海上のネットワークを作ったようです。
その後、列島のクニ(の連合勢力?)が力をつけて、大陸の大国に使節を送り、史書に国号が記されます。
最古の国号は「わ」、
漢字「倭」が当てられました。
では「倭」の意味は?
文字そのものは「ゆだねしたがう」「柔順なさま」「つつしむさま」…… さらに「なよやかな女性」の意味があります。古代の中国王朝は、遠方にすむ倭人に従順なイメージをもっていたかも知れません。
しかし、文字の意味は「服する、従属する」と言い換えできてしまい、少し蔑視のイメージがあります。
ただし「小さい・つまらない」という意味は本来ありません。それは別の文字の「矮」です。
「倭」の国号は少し不思議です。
漢民族は、自分の文化風土を理想的・文明的とみなし『中原(華北)』を天下の中心地としました。四方の土地の民は未開で野蛮として「四夷」「夷狄」と呼びます。
中原の王朝の呼び名は、漢、魏、宋、隋、唐など漢字一文字。
異民族の蛮夷は漢字二文字、それも「北狄」「匈奴」「鮮卑」など ── 獣や魚、蔑みの意味の文字を入れて、国号から差別しました。
「倭」はそのルールを逸脱した一文字で、しかも人=ニンベンでした。
人気作家の夢枕獏氏は、ある作品で卑弥呼の鬼道を取り上げ、国号について「人に委ねると書いて倭、鬼に委ねると書いて魏」と書きました(たしか)。
いわれてみれば、ふたつの国号は対照的で意味あり気です。「倭」には失われた深い意味が ⁉︎
── さっぱりわかりません。
ただ、古代中国の伝説に、東の海の彼方の仙人のすむ山、日の昇るところにある神木の話があります。倭人はもしかしたら(ある意味勝手に)神秘的イメージを重ねられていた??
エンターテイメントの「ワの国」は、人気漫画「ワンピース」の舞台「ワノ国」として、文字検索すると関連記事がズラっと出てきます。また、ファンタジー小説「人狼への転生、魔王の副官」の主人公は元日本人で、ある時、日本風の巫女服の使者が東の「ワの国」から訪ねて来ました。
△「邪馬台国(邪馬壹国)」
── 所在不明・詳細不明。熱い論争が続くことで知られる古代国家です。うかつな解説などしたくない…
国号に限り、少しだけ触れると── 大陸の魏が親交を結んだ相手国は「倭」でした。
魏志倭人伝に「邪馬壹国」「女王国」と記述されていますが、魏が授けた金印は「親魏倭王」。卑弥呼はあくまでも倭王…… 「倭の女王・卑弥呼」です。
女王の国は、東アジアの世界で特異でした。
なお、朝鮮半島の三国史記(新羅本紀)には、《 173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」)wiki 》と、記録されているそうです。
◎ 「やまと」、「倭・大倭・大和」
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日本の国号に話をもどします。
古代日本をまとめたクニは、自国を“やまと”と呼称しました(ヤマト政権)。
はじめのうち、倭をそのまま使って「やまと」と読ませ。のちに「大倭」とも書き名乗りました。さらに、倭の漢字のイメージを嫌って、 「やまと」を「大養徳」へ。
最後に、倭と同音で好字の「和」を当てて「大和」としました。
◇「やまと」への当て字
「やまと」の漢字表記はほかにもありました… パターンが多すぎる?ほどに。
◆ 夜麻登
「夜麻登は国のまほろば~」と、万葉仮名における当て字です。
『古事記』にも「夜麻登」の表記がみられます。
◆ 野麻登、夜麻苔
…『日本書紀』より。夜麻登と見比べると、誤字を疑いたくなります。
◆ 也麻等、夜末等、夜万登
… 『万葉集』より。 歌人が思いを込めてさまざまな文字を当てたのでしょうか。
教科書などの万葉集の歌は、すべて「大和」と翻訳?されています。以下の「やまと」も同様──、
◆ 山跡
『古事記』より。
◆ 椰麼等
『日本書紀』より。
◆ 山常
◆ 八間跡
『万葉集』より。
◎ やまと = 日本
「日本」は「日(太陽)が昇る国」という意味でしょう。
「やまと」「ひのもと」と読まれましたが、奈良・平安時代から「にほん・にっぽん」と音読されます。
「日本」が公に記されたのは、大宝元年(701年)施行の大宝律令の「明神御宇日本天皇(あきつみかみとあめのしたしらすやまとのすめらみこと)」の文言が最初のようです。
ただし、新しい国号として使ったものではなく。対外的に使い出したのは西暦700年頃からのようです。
『古事記』は現存する日本最古の歴史書で、712年に成立しました。ヤマトを「日本」と書いていません。少しあと(720年)に成立した『日本書紀』は、ヤマトの大部分を「日本」と記しています。
── それどころか。過去の出来事さえ、当時「倭」の表記だったにもかかわらず「日本」にかえた項があるということです。
◇ 中国の記録はどうだった?
中国の史書は、それまで一貫して「倭」「倭王」の国号を用いていました。隋に「日の出る国」と国書を送った話は有名ですが、そのようなことを「倭」がした、と、いう扱いです。
国号が「倭」から「日本」に変わったのは、西暦700年頃、『唐書』の時代でした。
当時の唐は、女帝の時代です。
則天武后── 中国の歴史上唯一の「女の皇帝」が君臨し、国号も唐から周に改め、さまざまな制度改革や人材登用を進めていました。
(……女王卑弥呼とは、もちろん全く違う独裁政治です)
「則天武后が倭を改めて日本とした」
── という記述がみつかっています。
ヤマト政権から国号変更を申し出て、則天武后が承認したようです。果たして、どんな交渉があったのか………
◇ 新たな国号「日本」の経緯。
この時期、中国の史書『唐書』は『旧唐書』と『新唐書』の二つがあります。
それぞれ「倭」が「日本」へ変更された経緯が記されていますが … どうもすっきりしません。
「日本」の国号の意味に関しては、
「日のあるところ」(『旧唐書』)、
「日の出る地に近い」(『新唐書』)、
── と。説明はだいたい一致しています。
変更理由は「倭」の文字を嫌ったとあります。
(『倭名を悪み、更に日本と号す』)
ここから先が問題で──
中国の王朝側は「日本」は、中国と親交を結んでいた「倭」と異なる勢力という認識でした。
①『旧唐書』は「日本」が「倭」を併合したのだといいます。
……『日本国は、倭国の別種なり』
……『日本はもと小国なれども、倭国の地を併せたり』
②『新唐書』は逆に「倭」が小国の「日本」を併合したとしています。
……『日本は小国にして、倭のあはすところとなるが故にその号を冒す』
── 盛大に食い違っています。
そもそも「倭」も「日本」も両方「やまと」、ヤマト政権のはずです。どういうことでしょう。
唐は、古代日本を白村江の戦い(663年)で破り捕虜を連行しています。また、一時、朝鮮半島全域が唐の藩属国に変わり、敗者の日本は唐の『隣国』で、東アジアで唯一の敵対国になりました、
時代が下り、緊張が緩和されると、唐の科挙に合格して官吏になる遣唐使の日本人があらわれました。
唐は、日本の社会と歴史について正確な情報を集めていた可能性があり。唐書の記述は、ヤマト政権の史料から除かれた事実の断片かも知れません。
エンターテイメントの話題で「やまと・ヤマト」というと「宇宙戦艦ヤマト」が有名です。架空国家の名前として思い浮かぶのは、わたしは戦闘国家・やまと(漫画「沈黙の艦隊」)です。アメリカから「シーバット」と蔑称をつけられた日本の原子力潜水艦が、突然、独立宣言するとニューヨークへ進路をとります。
── どちらもハイファンタジーではありませんね。
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◎「にほん・にっぽん」「日本」
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現代につながりました。
先に少し触れましたように、漢字「日本」の音読が「にほん・にっぽん」で奈良平安時代からありました。
「にほん」と読むか「にっぽん」と読むか。どちらが正しくてどちらが広く受け入れられているか、昔から議論がありましたが、現在日本国はどちらが正しいと定めず。にほん・にっぽん、どちらでも良いことにしています。
なお、漢字文化圏では「日本」をリーベン(中国語: Rìběn)、イルボン(韓国語: 일본)、ニャッバーン(ベトナム語: Nhật Bản)など。自言語の発音で読んでいます。
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◎「 ヒノモト 」「日ノ本」
「日本」の訓読で「やまと・にほん(にっぽん)」とともに昔から存在しました。
ただし、ヒノモトが、日本語風の国号として独立するのは平安時代以降。それまで《日が昇る本の国》の意味のヒノモトは、古くからの国号のヤマトにかかる【枕詞】に使われるにとどまりました。
「日の本の大和の国の鎮めともいます神かも」
〈万葉集・三一九〉
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つぎに「この国」の神話伝承、芸術的文化的風の呼称を挙げましょう──まず、古事記、日本書紀、万葉集から抜き出して行きます。
◇ 大倭豊秋津島; 古事記
◇ 大日本豊秋津洲; 日本書紀
(おおやまととよあきつしま)
── 上段は古事記、下段は日本書紀で読みは同じです。
本州の名称として使用されていますが、後にこの「やまと」あるいは「あきつしま」という名称が、日本の国そのものを指すようになりました。
『秋津』とはトンボの古名で、秋津島はトンボが多数飛び回るほど作物が豊かに実る国、という意味です。
その由来は、孝安天皇の都の名「室秋津島宮」とされます。
◇ 大八島国; 古事記
◇ 大八洲国;日本書紀
(おおやしまのくに)
日本列島が生み出された時、8つの島が最初に作られたということで、この国全体をこう呼びました。
八島は次のものです。
・淡道之穂之挟別嶋
→ 淡路島
・伊豫之二名嶋
→ 四国
・隠伎之三子嶋
→ 隠岐
・筑紫嶋
→ 九州
・伊伎嶋
→ 壱岐
・津嶋
→ 対馬
・佐度嶋
→ 佐渡島
・大倭豊秋津嶋
→ 本州
「大八島国」の本来の意味は「多くの島からなる国」ということです。日本神話において八は聖数で、特別だったり数が大きいことをあらわしました。
→【事例】 八百万の神、八咫の鏡、八握剣、八岐大蛇…
◇ 八島国;古事記
◇ 八洲国;日本書紀
(やしまくに、やしまぐに)
大八島国と同じ意味です。八つの島しか把握していなかった、ということではありません。
なお、某アニメの「日本中から電力をかき集めた」狙撃作戦の呼称は八島に由来するともいわれます。(── 最有力は屋島説?(源平合戦の扇のエピソード?))
◇ 豊葦原之千秋長五百秋之水穂国;古事記
(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)
葦原中国平定の項で、最初に呼ばれる名前です。
葦が豊かに生えていて、秋の実りが豊かで、水が豊かで稲穂がたくさん広がっている国、ということでしょう。『豊葦原国』、『水穂国(瑞穂国)』などと短く呼ばれることもあります。
万葉集3253の中で、柿本人麻呂は『葦原の 瑞穂の国(葦原水穂國)』と歌っています。
小説『八男って、それはないでしょう!』には、日本的文化のミズホ伯国(ミズホ公爵領)が登場しました。ほかにもアキツシマ共和国、アキツシマ島(琵琶湖あり)もみられます。
◇ 葦原中国;古事記
(あしはらのなかつくに)
中国とは、高天原(たかまがはら-天)と根国(ねのくに-冥界)の中間にあることを示しています。
中津国(中つ国)とも表します。
余談ですが── 中原の古代王朝は、自らの国や中原地方を「中国」と呼んでいません。それどころか、辺境にあたる現在のベトナムの阮朝(1802〜1945)が自国を中国と呼んでいたそうです。
── つまり?
古代日本が『中国(中津国)』を新たな国号に名乗り。唐王朝の史書に記される歴史イフもありえた(かも?)。
◇ 浦安国;日本書紀・神武紀
(うらやすのくに)
心安らぐ国、平和な国の意味です。
◇ 細矛千足国;日本書紀・神武紀
(くわしほこちたるくに)
精巧な武器が備わっている国、の意味です。
◇ 玉牆内国;日本書紀・神武紀
◇ 玉垣内国;神皇正統記
(たまかきうちのくに)
玉垣に囲まれている国、という意味です。玉垣とは皇居や神社の周囲に巡らした垣根のことで、国そのものが神域ということでしょうか。
◇ 敷島、敷嶌
◇ 磯城島
◇ 志貴島;万葉集
(しきしま)
堅固に守られた国という意味です。
山に囲まれた奈良地方を指す言葉ですが、日本の国自体を指すときも使われました。
◇ 言霊の幸わふ国;万葉集
(ことだまのさきわうくに)
万葉集894の歌に出てくる言葉です。
ことばに潜んだ霊が幸福を与えてくれる国、ということです。
◇ 言霊の助くる国;万葉集
(ことだまのたすくるくに)
万葉集 3253の反歌になっています。
ことばに潜んだ霊が助けてくれる国、ということです。
◇ 神ながら言挙げせぬ国;万葉集
(かみながらことあげせぬくに)
万葉集 3253の柿本人麻呂の歌に出てくる言葉です。
神様のなされるようにしておけばよく、人間が色々求める必要はない国、ということです。
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◇ 日出処国
(ひいづるところのくに)
聖徳太子が607~609年、隋の煬帝に送った親書に「日出処天子、日没処天子に書を致す。恙無きや?」と書かれていました。
日本の歴史上、有名なエピソードです。
ただし、煬帝が怒ったのは国号ではなく「天子」という表現でした。
天子、つまり皇帝は世界に一人の存在です。それを自分の国に「天子」がいると言ってきたのですから…… 煬帝の権威と隋王朝の政体の全否定 ⁉︎
大問題の文章は、日本書紀にはなぜか「東の天皇が西の皇帝に」と改ざ… 書かれています。「日出処天子」の語句が残っていたのは中国側の文書………
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◇ 大日如来の本国
(だいにちにょらいのほんごく)
中世日本で、日本書紀の「大日本国」が「大やまと国」ではなく「大日如来の本国」と解釈されました。
「天照大神 = 大日如来」
この観念が背景にあり、鎌倉時代末につくられた、日本書紀の注釈本『釈日本紀』巻第五にもこの説が記述されています。
また、徳川幕府は 1613年1月28日、キリスト教の禁教令を全国に広げたさい「伴天連追放之文(バテレン追放令)」を公布しましたが、キリスト教を批判した「追放之文」の内容に「大日の本国なり」とありました。
『日本は仏の国である、なぜなら大日本国とは「大日(如来)の本国」だから』
これを書いたのは臨済宗の僧・金地院崇伝。
「国家安康、君臣豊楽」の一文に難癖つけたことで知られる徳川家康のブレーンです。
単純な感想をいうと……日本書紀を改竄したようなもの。神も恐れぬ超解釈が、宣教師を通じて海外にも広まった⁉︎
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◎ 大日本帝国
明治政府は 1890年 11月29日、憲法施行にあたり『大日本帝國』という国号を世に………
……… という話ではありません。
「大日本帝國 大君の全権」
1860年、江戸幕府が ‘日米修好通商条約’ を批准したときのこと。安政五年条約批准条約交換証書上の日本側代表(幕臣)の表記です。
『大日本帝國』の国号は、開国後の江戸幕府がつかっていたのです。
『帝國日本』
この6年前の1854年、開国の皮切りとなった日米和親条約が結ばれました。
歴史的な条約の前文に初めて使われた国号は「帝國日本」(英文ではEmpire of Japan)でした。
日本の国号に、対外的に『帝国』をつけたのはこれが史上初です。その …… つかった江戸幕府は武家政権なんですけど。
『帝國大日本』
「大」・入りました!
── 1858年、米国と調印した日米修好通商条約では「帝國大日本」の国号が本文に使われました。
さらに江戸幕府の老中 脇坂安宅は「大日本帝国外国事務老中」の肩書きで署名しています。
対外的に、国号に『大』をつけ加えたのもこれが最初です。
そして、二年後の1860年、江戸幕府の重臣たちの「大日本帝國 大君の全権」の肩書きになる訳です。
── 『大日本帝国』は外交上、江戸時代にすでに存在していたことになる、のでしょうか?
不平等条約は成立して、明治政府は改正に四苦八苦します。
開国後の江戸幕府のつかった国号はまちまちでした。「日ノ本」「日本」「日本國」「帝國日本」「帝國大日本」「日本帝國」などの表記が使用されています(……「帝国」大安売り?)
国号がぶれぶれで、よく条約が成立したと思います。
△『 大日本皇御國 』
明治新政府が一度取り上げた幻の国号── ではなく。これも江戸幕府がつかった国号のひとつです。国学系統では「皇国」「スメラミクニ(皇御國)」という言葉が比較的早くから使われたそうです。
「皇国」は「帝国」とともに、大日本帝国の通称となりました。
エンターテイメントとしては、なろう小説「俺の死亡フラグが留まるところを知らない」に、開幕早々、日本風文化の「スメラギ家」が登場しました。ヨーロッパ風貴族の跡取り息子(主人公)の婚約者の生家で、近隣貴族です。
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── ここまでの内容はいかがだったでしょう、興味をひく話はあったでしょうか?
『言霊の幸わふ国』
今日のエンターテイメントに、新しいものが生まれるとよいのですが。
それでは、まだ物足りないかも知れないので。ここから先は中国の伝説由来、漢語表記です。
合わせてご利用下さい。
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《 日本を指す、中国の伝説をもとにつけられた雅称 》
⦿ 瀛州、東瀛
瀛州または東瀛は、中国の伝説で仙人がすむとされる、東の海の三神山のひとつです。日本を指すときも使われました。
(ほかの三神山は、蓬莱、方丈)
⦿ 扶桑
中国伝説で、東方のはてにある巨木(扶木・扶桑木・扶桑樹とも)のことです。さらに、巨木の生えている土地を扶桑国と呼びました。
… 後世、扶桑・扶桑国は中国における日本の異称となり、日本もまた、自国を扶桑国と呼ぶことがありました。
・>平安時代(1094年)の史書の一つ『扶桑略記』。
・> 室町時代に作成された行基図(地図)の『日本扶桑国之図』。
エンターテイメントの「扶桑」は、アニメ・小説・漫画の『ストライクウィッチーズ』から──「扶桑皇国」の知名度が高そうです。
《 日本の和漢通用の国称 》
・ 「倭国」
・ 「和面国」
・ 「和人国」
・ 「野馬台国」「耶摩堆」
・ 「姫氏国」「女王国」
・ 「扶桑国」
・ 「君子国」
・ 「日本国」
…… 江戸初期の書籍『日本書紀神代講述鈔』に掲載されています。
《日本の漢語の国称 》
・ 「東海姫氏国」
・ 「東海女国」
・ 「女子国」
・ 「君子国」
・ 「若木国」
・ 「日域」
・ 「日東」
・ 「日下」
・ 「烏卯国」
・ 「阿母郷」
( 阿母山・波母郷・波母山 )
「日域」「日東」「日下」は大陸の東の果てのイメージより。「烏卯国」は、烏を太陽神とする古代信仰に由来するといいます。
総じて、女性のイメージが強い気がします。
古代中国がつけた国号「倭」は「女(と人)」があり。魏志倭人伝は倭を「女王国」と記しました。
「東海姫氏国」「東海女国」「女子国」は文字に「女」があり。「阿母郷」は「阿母」が「お母さん」といった意味です。
すべて東の島の女王・卑弥呼のインパクト?
あるいは── いにしえの「和の国」は、オレサマな中華思想をいだき、四方の民を公然と侮蔑する漢人(唐人)からすると主張が弱い女の国。あるいは浮世離れした、仙人の郷に見えたのかも知れません。
以上になります。
「この国」の新しいイメージは生まれたでしょうか?
国号、雅称だけで物足りなければ、キイワードを抜き出して検索してみて下さい。それぞれ背景を深く掘り下げた歌や物語、エッセイが見つかるかもしれません。
お読みいただきありがとうございました。