魔法
生まれて初めてテーブルで席に座って朝食を食べ終えた。分からないことは依然として積み重なっていたが、それでも何か一つ進めた気がした。
ジェイルは満足するまで果物やパンを食べると、すぐに指示された部屋へと向かった。アイラがまだ小動物のように果物を食べていたが、彼女がこちらを嫌っているのにわざわざ待ってやる理由などなかった。
……指定された部屋は広間と同等の大きさをしていた。剥き出しの煉瓦の壁と床。天井は高く、部屋の隅にはなぜか金属の塊や炎が描かれた絵などが乱雑に置かれている。チェイサーはおそらく広間にあったであろう椅子を一つばかり拝借しており、それに腰掛けていた。
「やぁ、よく来てくれたね。アイラも来たみたいだし、さっそく始めようか」
言われて振り返ると、ついさきほどまでリスのように頬を膨らませていたはずのアイラがそこにいた。彼女は蒼い瞳でこちらを一瞥したが、それも一瞬だけであった。
「うーん……仲良くしてくれると助かるだけど」
「向こうが勝手に嫌ってるだけだろ。俺にはどうしようもない」
「ワタシがエドワードに与えられた命令のなかにジェイル・シルヴァーと友達ごっこをするというものはない」
言葉に篭られた悪意の刺が胃を締め付ける。ジェイルは頬をひくつかせ、鋭い目付きでアイラを睨み返して、不快感を露わにした。
「俺が何かしたか? 挑発するくらいなら黙ってろ」
「はいはいそこまで! とりあえず魔法の基礎を教えようか」
チェイサーはそう言うと、部屋の隅に置いていた炎が描かれた絵を床に敷き、アルコール度数の高そうな酒を瓶に入ったままいくつも並べていく。
「この世界には魔素っていう酸素とか炭素の親戚みたいな成分があってね。この世界のありとあらゆる物に含まれてるんだ。僕らとごく一部の動物が、それを利用して魔法のようなことを起こせる」
「それで酒と火の絵を並べてどうするつもりなんだ?」
ジェイルが怪訝そうに尋ねると、チェイサーはこれまた壁の隅に置かれていた長さ一メートルほどのサーベルを手に取り、にやりと怪しげな笑みを返した。
「それは見てからのお楽しみさ。それでね。僕たちは魔素を蓄えた状態で、イメージをすることで魔素が反応するんだ。微弱な脳波を感知して、僕たちの体に含まれた魔素と、対象となる物体に含まれた魔素が魔術反応を起こす。つまりは…………」
チェイサーがサーベルで空を斬った。瞬間、刀身が揺らめき、煌めくように燃え上がる火炎を纏った。ひりひりと焼きつけるような熱が触覚を刺激し、火花の弾ける音が耳に入り、炎の臭いが漂う。
「体に蓄えた魔素を脳内で刺激し、物体に含まれる魔素に干渉するんだ。何もないところからドラゴンや物体を生み出すことはできないがサーベルに『炎』を付与することはできる」
「……剣に何か仕込んでたとかはないよな?」
「もう分かっているはずだろう。物置での扉はどう説明するんだい? できないだろう? つまり科学で説明できない力は存在するのさ。なんならやってみるといい。もう火が生み出す臭いや音、光はその体で感じただろう。あとは床に置いた炎の絵を本物だと思え。並べた酒にやがて引火してしまうのではと本気で不安視するんだ。そうすればできる」
サーベルが纏っていた紅蓮の炎が、音もなく消滅すると、チェイサーはサーベルを手渡した。
サーベルは満タンに水が入った大きなペットボトルより少し重いぐらいだった。刀身は鋼色で、照明の光を鈍く反射して、その刃を鋭く輝かせている。
「……燃えないぞ」
「持つだけで燃えるはずがないだろう。ちゃんとイメージするんだ。もしイメージが難しければこの部屋の気温を上げる。そして壁も床も赤色にする。赤は熱いイメージがあるからね。そういう些細な変化がイメージを確立するのさ」
現実世界のあらゆる法則も、常識も根底から覆された気分だった。イメージしろと言われても、そう簡単にできるものではなく、ジェイルはサーベルの刃を瞬き一つせず凝視し続けたが、何か小さな火種さえも発生することはなかった。
「……チェイサー。期待してくれてすまないが――――」
「諦めるのですか? エドワードの、偉大なる魔術の生みの親の実の子だというのにも関わらず、期待外れですね」
ジェイルの顔に諦めの表情が染み付こうとしたとき、淡々とアイラはそんな挑発をした。ハッとして振り返ると、アイラは表情のない顔をこちらに向け、蒼い瞳でこちらをジッと見つめていた。
瞳は虚ろで、底の見えない蒼が広がっているようにも見えたが、敵意は紛れもなく透き通った蒼色の中に混ざりこんでいる。
黙って彼女のことを見ていると、アイラは機械的な口調で喋り続けた。
「……あなたの父はあなたと違って偉大でした。…………あなたの母はあなたと違って優しく、死んでも諦めるということをしない人でした。しかしジェイル・シルヴァー。あなたはぬるま湯みたいな世界でのうのうと生き続けた所為で、二人から受け継がれたはずの優れた能力もドブに捨てましたか」
チェイサーが珍しいものでも見るかのように驚き、薄ら笑いを浮かべるなか眼を見開いていた。両親共々死亡したと知らされたばっかなのだ。
偉大だとか優しいだとか知るか。ぬるま湯? あの狭苦しい牢獄を、命こそは危険に晒されないが、それ以上に尊厳を踏み躙られるような地獄を――――ぬるま湯だと?
ジェイルは眉をピクリと動かすと、狂った獣の形相を呈した。炎のように激しい怒りが、焼けるような熱を帯びて全身を駆け巡った。
「経った1日会っただけの奴にぬるま湯だとか知った口聞かれる筋合いはない。お前は意味もなく腹をけられ続けて吐いたことはあるか? 何日も飯がなくて、空腹を紛らわすために指の皮を食ったことがあるか? なぁ! 俺がいた場所はぬるま湯だったのか!? 俺はぬるま湯で精神が死ぬような想いをし続けてたのか!?」
それは八つ当たりに近かった。猛毒のように荒々しく殺気立った言葉を発すれば発するほど、怒りの熱が込み上げた。
「ジェイル。落ち着くんだ。感情は魔術を増幅させすぎる。危険だ」
チェイサーが発言すると同時、ガラスが割れるような音が連続的に響き、サーベルが、サーベルを持つ腕が灼熱を巻き付ける業火を纏った。