異なる世界
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――――狭い物置に現れた扉の向こうにあったのは文字通り別世界だった。そこにアメリカの郊外はない。まず視界に映りこんだのは深夜の闇と深い霧、そしてそれを照らそうとするガス灯の明かりだった。
背後でガチャリと音が響くと、扉はなくなっていた。どうやら道の中心に出たらしい。大通り思われる舗装されたこの道は酷く閑散として、ゴミが散かっていた。
周囲を見渡すと三四階建てのレンガ造りの建物が道を挟むようにして並んでいた。
吐息がうっすらと白く染まる。
「……寒いな。それに……まるで昔のイギリスみたいな街だ」
「言い得て妙だね。この世界の中心軸は君たちの世界ではイギリスに該当するんだ。何を言っているかよくわからないかもしれないけど、それは後で説明するよ。付いて来て」
チェイサーは帽子を深く被ると大通りの中心を悠然として歩き出した。アイラと名乗った少女の形をしたモノは未だに手を握ってくれており、ジェイルが少女の顔を覗くと、彼女はか細い声で言った。
「…………ワタシはあなたを守る役目がある。だから守る。けれどそれ以外のことは必要ない。あなたはただチェイサーの背中を追えばいい」
機械が喋っているかのようだった。そこに感情はない。それはどうにも気味が悪く、ジェイルは不快感を露わにして眉をひそめた。だがなんと言えばいいかも分からず、ただ黙々と歩き続けることを選んだ。
……しばらく歩いていくと、大通りから細く狭い路地裏へ入って行った。手を伸ばさずとも壁に触れられるような場所で、チェイサーは不意に立ち止まる。
「ここだ。着いたよ」
ジェイルは辺りを注視するが、あるのは薄汚れた建物の壁とパイプだけだ。しかし、チェイサーが壁のある一点に手を伸ばすと、ガチャリと鍵を開ける音が響き、戸の開く音がした。
「驚いただろう? さぁ入ってくれ」
チェイサーはニコリと笑みを向けると、壁の中へと入ってしまった。腕が、胴体が、最後には全身が壁の中に消える。
ジェイルは狼狽して思わず後ずさった。すると、アイラは忌々しそうに妬める蒼い瞳を向けると、依然として握っていた手に痛いほど力を込め、挙句に爪を立てた。締め付け、刺すような痛みが痛覚を刺激し、ジェイルは力強く腕を振り解くと、険しい口調で尋ねた。
「っ! なにすんだよいきなり!?」
「エドワードの血を引き継いでいるのなら、もう少しマシな対応をして欲しい。あなたがシルヴァーの家名を受けていること、ワタシは決して認めない」
強い憎悪を含んだ言葉を発すると、アイラは白銀の髪を靡かせて、チェイサーと同様に壁の中へと消えて行った。
「……本当に魔法みたいだな」
驚きを越えて呆れさえ覚える。ジェイルは冷めた表情をして、壁に手を入れた。腕が壁に飲み込まれる。壁に触ったという感覚はなかった。なすがままに全身を入れると、建物の内部に入っていた。小さな部屋で、床は入り口近くだけがタイルで、それ以外は木製だった。
天井には電気の照明がぶら下がり、幾何学模様の壁紙が貼られた壁に沿うようにして、濃い茶色をした棚や大人びた雰囲気を醸し出す椅子が置かれていた。棚の上には小さな花瓶もあり、名も知らぬ紫の花が健気に花開いていた。そして目の前には上へと向かうための螺旋階段があった。
ガチャリと背後から音がした。振り返ると木製扉がひとりでに閉じていた。どうやら外側からはただの壁に見えるが、中からは普通の扉だったらしい。
「ようこそ。僕たち【暁の星】の拠点へ」
チェイサーは帽子を取ってジェイルに一礼すると、壁に取り付けられていた帽子掛けに帽子を投げ込み、螺旋階段をカツカツと音を立てながら上がって行った。アイラも上へと行ってしまったため、ジェイルはただただ後を追った。
二階へ上がると、そこは縦に長い広間だった。床には赤を基調とした絨毯が引かれ、いくつもの椅子やソファなどが暖炉を中心にして並べられ、点々と丸テーブルも置かれていた。
暖炉の上には馬のオブジェ、壁には名前も知らない肖像画が掛けられていた。名前は知らないはずだが、なんとなく見覚えがある気もした。
「ここが広間だ。それでもって食堂、応接室が二階にある。さっき使った螺旋階段で三階に行けば浴室、娯楽室、書斎、寝室があるよ。地下はキッチンとランドリー、それに……おっと、これは後で教えようか」
チェイサーはどこか誇らしげに建物の説明をした。アイラは近くにあったソファに腰掛けると、ぼんやりとした目でこちらをずっと見つめていた。
「俺は……どうすればいいんだ?」
言われるがままこうしておかしな世界に来てしまったが、結局ぼんやりと理解できているのは命が狙われていることと、科学を無視した力が存在することだけだ。どうしてここの建物に来たかも、【暁の星】とやらもまるで理解できない。
「今は深夜の3時だ。君も眠いだろう。君の部屋は三階の一番奥の部屋だ。今日はゆっくりと休んでくれ。ベッドで寝れるよ」
「……本当か?」
ジェイルはわずかに声色を高めた。
「あぁ。本当だ。朝起きたらこの部屋に来てくれ」
「分かった。ありがとう」
「どういたしまして。それじゃ、また朝」
チェイサーが手を振り、アイラがこちらを睨み続けるなか、ジェイルは螺旋階段を上がった。三階は細い廊下が伸びており、点々と扉があった。一番奥の部屋はいままで暮らしていた物置とは比べ物にならない広さをしていた。
いや、物置が比べ物にならないくらい狭かったのだろうか。ソファと机しかなかった部屋と比べて、丸テーブルに洒落た椅子、机はもちろんのこと、照明に暖炉。壁にはショットガンや鹿の角、時計が掛かっていた。温かみのある赤い絨毯に壁紙。しかし何よりジェイルの目を惹いたのは白いシーツの掛かった大きなベッドであった。
「……マジで寝れるのか」
生まれてからいままで一度もベッドで寝たことがなかったため、感嘆せざるをえなかった。昔のイギリスのような街並みに魔術のような何か、少女に変身する銃……あまりにも現実離れしていていま一つ実感しにくかったが、これが現実なのだと初めて実感できた気がした。
ジェイルは疑い深くベッドに近づき、そっと腰掛けると、そのままバタリと倒れ、天井を振り仰いだ。天井は落ち着いた茶色をしていた。誰もこの上を歩くことはない。天井から足音が響き、埃が舞い落ちて目が覚めるようなこともないのだ。
――――にしても一体、この世界はどうなっているのだろうか。明日になれば分かるのだろうか。胃が強く締め付けられるような感覚と痛みがした。
期待と不安が入り混じって、こうしているだけで頭は随分と思考を続けていた。しかし、疲労が溜まっていたのか、気付けば意識は眠りに落ちていた。