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黄金の夜明け

 体が闇のなかに溶けていく。この世界と一体化していく。その感覚は全身に広がって、ついにジェイルは諦めて思考を閉ざした。けれども、無いはずの手からずっと誰かの熱が伝わってくるのだ。全てを包み込むような、そんな心地がするのだ。消えてしまいそうな意識を保ち続けたのはその僅かな感触であった。



 …………い。…………てください。



 やがて、声がした。誰もいないはずなのにすぐ傍で聞こえた。か弱くて、涙に濡れた声だった。――――身体の全てが無くなってしまったはずなのに、この世界に存在しない手から冷たさが、否、暖かな熱が伝わってくる気がした。



「……あけて。…………あけてください。目を開けてください。ジェイル! ジェイル!! 開けてください……!! 死なないで…………」


 ハッキリと声が聞こえた。意識が呼び戻されて、必死になって無い腕を伸ばし、黒く塗り潰された世界から抜け出さんと目を開ける。絹を触るかのような心地がした。ぼんやりと黒一色だった視界が晴れて、アイラがぼろぼろと涙を落としているのが見えた。みっともない顔だった。彼女の涙で濡れた顔に細い髪が触れていた。


「……ヒグッ、心配…………したんです。死んだみたいに……体も冷たくなって…………でもよかった。…………本当に、本当によかった」


 アイラは咽び泣きながら、依然として醜い怪物にかわらないはずのこの身体をしっかりと抱きしめた。……暖かかった。呼吸ができないほどの愛おしさが胸を突き上げて、心臓が力強く脈動した。


「生きてた……のか?」


 ジェイルは目の前の光景が本当に現実だとは思えず、弱弱しく懇願するように尋ねた。アイラは何度も頷きながら、感極まった声で言った。


「本当に死ぬつもりでした。事実撃ち抜いて、そこから魔素が流れ出ていきました。けれどもジェイル、ジェイルの魔素がワタシを満たしました。ワタシを持つ腕から、こうして――――」


 アイラは抱きしめる力を強めた。全身に、彼女の熱が伝わっていくと、呪いにも等しかった異形の身体が、紐が解けるかのように白い粒となって、アイラのなかへと吸収されていく。


「こうやって、ジェイルがくれた力がワタシを生きることができたんです。ジェイル、ジェイルが伸ばしてくれた手は――――間に合いました。ずっと握ってくれていたから、生きています。あなたがワタシを守ってくれたんです。……ありがとう。こうやって…………また、話せると、ヒグッ…………思わなくて………………」


 ジェイルはようやく、今起きていることが現実であることを理解し、魔法のように元に戻っていくその体で強く抱きしめ返した。ゆっくりと琥珀色を取り戻していく瞳から涙を流した。


「アイラ……! アイラ!! 二度とあんなことしないでくれ……! ……お願いだから、本当に、怖かったんだ」


「――――はい」


 それ以上言葉などいらなかった。アイラは蒼く透き通った瞳がこちらを見詰めると、恥ずかしそうに微笑んだ。白銀の髪が揺れる。ジェイルは手を握り、そっと顔を近づけると互いに唇を重ねた。それは一生の別れを決意するためのものではない。ただ純粋な想いに突き動かされただけだった。


 ――――どれほどの時間をそうして過ごしたかは定かではないが、……確かに滑稽だとしても、あの『ロミオとジュリエット』の方が好きだと今なら断言できるだろう。


 やがてゆっくりと口付けを解いた。お互いに顔を改めて見合わせるとなんだか気恥ずかしくて、ジェイルは空を振り仰いだ。気づけば夜の帳は晴れて、薄い紫に太陽の色が混ざっている。

「戻りましょうか。もう少し……二人だけでいたい気持ちもありますが」


「……だな」


 長い暗闇のなかに居続けていた所為か、ホームシックにも近しい感情が湧いていた。ジェイルは銀の鍵を拾い上げ、からかうようにアイラを抱きかかえると暴れる彼女を無視して【浮遊】を唱えた。直前、天国の門があった場所を振り返る。だが神々しい光を帯びてそこに存在していたはずの死への入り口は夢まぼろしであったかのように消えていた。


 安堵と幸福に心が満たされていくなかゆっくりと地上を出ると、遠い遥か彼方から太陽が出てくるのが見えた。暁の爽やかな薄明が東の空に夜のまどろみを消し去っていた。


「……黄金の、夜明け。ですか」


 アイラがつぶやくように言った。



 ――――確かに、今の俺にはその光は黄金のように美しく見えた。輝かしい光が照らすなか、少女はまた優しく微笑んでいた。

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