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死の向こう

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 上下感覚が消えてしまいそうなほどの黒い闇が四方に広がっていた。数秒の浮遊感をおいて、足が着く。そこが外なのか、どこか建物の中なのかすら分からない。文字通り黒一色だった。自分の体すらあるのか不安になって、ジェイルは自らを見詰めた。そこには確かに怪物がいた。だが、片腕が見当たらない。拳銃を握っていた手だった。人間性を残していたその腕が、霧のように曖昧に無くなっていた。そこにあるという感覚だけはするのに、触れず、見えない。奇妙な感覚だった。ただひんやりとした残滓があった。


「アイラ!? アイラ! どこいったんだ!?」


 先の見えない黒の中心でその名を叫んだ。反響もせず、声がむなしく消えていく。返事はなかった。少しすると段々と目が慣れてか、それとも別の要因か、魔素の粒子が見えた。白い粒が泡のように宙を浮かび、破裂して消える……ただそれだけを繰り返している。


「ジェイル……あんたまでこんなところに来ちゃったの? 死んじゃったの?」


 気配はなかった。不意に声が聞こえて、慌てて振り返るとそこにはアベンジャーがいた。長い金の髪が風もないのに揺れて、鋭い一瞥が向けられた。


「……本当にアベンジャーか? ここは……本当に死んだ向こうにある世界なのか? それとも俺かメイザスが作り出した都合のいい幻想か?」


「さぁ? どっちを答えても分からないでしょ。証明する術がないんだから、私はその問いに答えられない。私はただ、待っていただけ。でももう待つ必要はない。全てが終わったもの。でもジェイル? あなたはここにいるべきではない。自分を信じてみたらどうかしら?」


 次の瞬間、彼女は消えていた。今その瞬間までいたはずなのに、跡形もなく消えていた。意味の分からないことだけ好きなだけ言って心を惑わせる。ジェイルは亡霊のように歩みを進めた。どこが前か後ろかも分からないが、ただアイラを探して歩き続けた。


 ……どれほどの時間が経っただろうか。ふと視界の隅に人影が見えて、ジェイルは声を上げながら駆け寄った。段々とその人物の面影が見えてきた。誰か分かったところでピタリと足を止めた。


「…………チェイサー」


「やぁ、ジェイル。まさかこんなところで会うとはね。迷惑を掛けてしまった。辛い想いもさせてしまった。……本当にすまない」


 チェイサーもこの姿に何かを言うことはなかった。ただ深く頭を下げた。そこにいつも浮かべていた笑顔はない。変質してしまった瞳が赤く蛍光しているのがどこか寂しげであった。


「謝らないでください。チェイサー、俺はあなたに救われました。……心から感謝しています。……それと、話が代わってすみませんが、アイラを見ませんでしたか? 俺は……彼女を死なせてしまった。だから探しているんです」


 ジェイルの問いに彼は首を横に振って答えた。


「……残念だけど見ていないよ。ここにいては見れないからね。他に用はあるかい? いや、やっぱり言わなくていい。僕にも見えるんだ。片目だけだけど。だから、今君が言おうとすることに先に返事だけさせてもらうよ。アベンジャーは不親切だからね……。残念だけどジェイル、僕たちは狭間の世界に帰るつもりはないよ。……そういうものだろう?」


「そういうものって何だよ!? 意味が分からない! チェイサー! ブロウワー達が待ってる! なのになんで! …………なんで消えるんだ」


 ジェイルは声を荒らげ霞を掴むかのごとく手を伸ばした。しかしそこにはもはや何もない。誰もいない。あるのはおぼろげに現れ、絶えるを繰り返す魔素の粒子と深い闇だけだった。その光景を目の当たりにして声は急激に萎み、ついには黙り込んだ。


 しばらくそこで立ち尽くし、ふと我に還ったかのように闇のなかを走り出した。疲労することもなく何時間と、無意味に抗い続けけれども晴れない深淵とどれだけ願おうとも姿の見えない少女の幻影に絶望した。そうしているうちに段々と自分自身を見失っていた。精神が壊れていくのが実感できた。


 何もない空間にいるうちに何もかもが麻痺して、膝だけ闇に着いて、立ち尽くしたまま身動きが取れなくなった。……それでも涙はでなかった。気力が潰れ、感情が虚に支配されていく。目を閉じているのか、開いているのかすらついには分からなくなって、ジェイルはどうすることもできず、ただ意識だけが混迷としていた。


「哀れだ。実に哀れだ。……ジェイル・シルヴァー。いや、それはオレか。結局、あらゆる死を覆すことなど叶わなかったのだから」


 声だけが聞こえた。メイザスのものだった。だがもはやなんら感情は浮かばない。返事をすることすらできず、ただぼんやりと死の景色を見詰めていた。ああ、蘇らせることはやはりできなかったのか。……全てが無意味だったのだ。しかし、もはや戻る術さえ分からない。闇に捕らわれて、抜け出せそうになかった。


「だが一つ驚かされた。今この瞬間起きている奇跡にな。……ジェイル・シルヴァー、貴様らは誓いを破ったりなどしていない。熱を忘れてはならない。ああ、時間だ……もう少し見てみたいものだったが」


 ――――再び静寂が全てを支配した。脳が言葉を処理しようとして、同時に退廃的な想いがあらゆることを諦めてこのまま死の世界に居座ろうとしている。熱……なんの? この世界には何もないじゃないか。ただじんわりと絶望の淵から死に至ろうとしていた。

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