燃え朽ちる屍
「高度が高いと魔素が少なくて困るなぁ。長時間はいたくない。だからアイラ、お前にはしばし黙って見てもらおうじゃあないか! そうして拳銃らしく喋れずにただ黙って戦いの道具となるといい! お前の愛しい愛しィ、ジェイル・シルヴァーが四肢をもがれ血をばら撒く様をな」
アイラは何も言わなかった。しかし手から伝わる緊張と畏怖がただならぬ状況であることを物語っていた。
「…………アイラに何をした!?」
「別に大したことはしちゃあいない。ただ笑顔になれるように協【力】してあげただけさ。お前にもやってやろうか」
チェイサーは不敵な笑みを浮かべた。それは彼が彼であったころの魔術のトリガーで、今そこにあるのは外道の物真似であった。本物となにひとつ変わらない表情が怒りと殺意を煽る。
が、そのドス黒い感情とは裏腹に、第三の力によって口角は上がり、笑顔を留めざるをえない強制力が働いた。緻密でミリ単位にまで働く【力】の付与によるものだった。
表情はそれこそ仮面のごとく硬直化し、激昂して声を荒らげることも許されず、しかしあまりにも入り組んだ魔術は解くことすらも困難であった。不意に、アイラのことがフラッシュバックした。何かを言おうとして、それでも言うのを憚り違和感のある笑顔を浮かべた瞬間があった。彼女はこれを受けていたのだ。
「そうか! そんなに愉快だったか。チェイサーの真似事は、アイラが同じ苦しみを受けていた事実が! フヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!」
感情が渦巻いていた。アイラの苦しみがどれほどのものか想像も出来なかった。何を考えて彼女が今日の行動に出たのかと思うと、喉の奥が焼けるようだった。
ジェイルは笑顔の鉄面皮を保ったまま、心のなかで血が滲み肉が裂けんばかりの勢い唱えた。
深淵広がる夜の空に火花のごとき紫光の電撃が走った。チェイサーは僅かに驚愕し、目を見開いた。しかしそんなものは余裕であることの証明であった。チェイサーの周囲を漂っていた剣が空を薙ぐだけで稲妻は裂けて、夜の闇へと消えていく。
「電気か……。オレが教えた技じゃあないが、間違ってもチェイサーが教えるものでもないな。習得するまで何回自分の体に通電したんだ? 随分と自傷行為が過ぎるんじゃあないか?」
表情を仮面にする鬱陶しい呪縛が消えていく感覚がした。アイラは依然として閉口しており、こちらの反応を楽しむために解除したのだろうと思うと、より一層、胸の奥で黒い炎が燃えていた。
「チェイサーとアイラが来てくれなければ今頃また躾と称して通電されていただろうさ!! 俺は救われたんだ。だからチェイサーを呪縛から救い出す。メイザス、お前を絶対に殺す」
「口だけは達者じゃあないか……。やってみろ!」
同時、紫と蒼の閃光が交差した。遅れて轟音が響き空間が歪む。両者変わらぬように対峙していたが、着実とダメージを受けていたのはジェイルであった。メイザスが攻撃を受ける直前でそれを無効化し、攻撃を進めるのに対しジェイルはゆっくりとではあるが体は傷つき、皮膚の一部が裂けて血に濡れ、体力の限界が近づいていく。
夜空の元、街の遥か上空で息を荒らげて人を殺そうとするなか、思い出していたのはジャックを殺したときのことだった。……チェイサーを、メイザスを直接狙っては勝ち目がないことは明白であった。敵に致命傷を与えられる不意打ちでなくてはならなかった。
「アイラ、まだポットに紅茶残ってたろ。今渡せるか?」
「…………」
言葉は封じられていた。それでも小さな白い光と共に彼女は銃から少女の姿へと変えた。蒼い瞳が疑念を抱いているようだったが、彼女はすぐに籠からポット等を渡してくれた。
「いや、カップはいい」
ジェイルがそう伝えるとアイラは淡々とティーカップを地上に捨てた。白く脆い陶器が落ちて、点になっていくなか、ジェイルは呟くように魔術を付与する。
「どうした? ……諦めて最後のお茶会か? その程度の激情なら期待外れよ!! 死ねッ!」
全身にプレス機で押し潰すような力が掛かった。すぐに魔術をかけ直して対処するも、ついには足が軽快で痛々しく砕ける音を響かせた。骨砕け、血肉が熱を帯びて裂けた。気を失いそうなまでの激痛が神経から脳髄へと走る。
だが反してジェイルは痛みを掻き消さん勢いで一層激烈な怒号を上げて、滑稽ながらポットをチェイサーに向けて投げ付けた。
「フハハハ! 随分お粗末な攻撃じゃあないか!!」
メイザスはポットがぶつかる直前でそれを浮遊させて、自身の周囲に漂わせ、投擲による一撃もあっさりと無力化していく。しかし、攻撃の前段階に過ぎなかった。ジェイルはしてやったとばかりに目を見開いて口角を上げた。
「【灼熱点】」
魔術を唱える。同時、指を鳴らした。乾いた空気のなか、その音はよく響いた。――――魔術の解除。ポットのなかの紅茶に掛けた【圧力】を解除する直前、人体ならたやすく燃え、水程度なら一瞬で気化してしまうほどの【熱】を付与した。
結果、起きたのは小さな爆発であった。液体だった物が膨張し、文字通り爆発的なまでに体積を増やしたのだ。圧力の檻が消えて、陶器でしかなかったポットは白い水蒸気と残り滓を舞い上げて、破片を粉々に炸裂させた。それは散弾のごとくチェイサーの胴体に広く突き刺さった。
「突拍子な小細工を!」
爆発は小規模といえど空気の流れを、力の方向を大きく変えた。それによってチェイサーの身体の操作にズレが生じたのか、動きが急激に鈍くなる。今この瞬間のみなら敵は対応できない確信が持てた。
ジェイルは叫んだ。死体を操られているのだとすれば、銃を撃ち込んでも、それこそ頭を絶とうが意味はない。尊厳を取り返す方法は一つしかなかった。
「【灼熱点】!!」
物体が発火するほどの熱を付与する魔術。チェイサーの前で初めて魔術を行使したとき、暴走して自らの身体が燃え上がったが、今は違う。燃え尽きるのはチェイサーだった。その身体が忌ま忌ましい煙と臭気と共に橙に輝きながら朽ちていく。
……泣けることならば泣きたかった。耐え切れず涙腺が熱くなり、嗚咽だけが零れた。が、感傷に浸る時間さえもメイザスは与えてくれなかった。
「合格点だ! ジェイル・シルヴァー……。魔術の精密さ、意思……どれも素晴らしい!!」
不意にどこかから声が響いた。メイザス・ダロウェイの声だった。壁などないのにその音は何度も反響し、聴覚を刺激する。直後、チェイサーの周囲を漂っていた鋭利な剣が眩い光を帯びた。
――――アイラが変身する際に発するそれと酷似したものだった。直視できないほどに白い閃光が眼前を埋め尽くす。ほんの一瞬であった。一秒もない……視覚情報が白一色に隔絶された刹那、ただそれだけの時間でいままでの行動は全て無意味となった。




