遺された者達
…………エドワードのこともあってか彼もチェイサーの存在を疑心しているようだが、確信するに至っていないのだろう。夕食を終えてチェイサーを部屋に戻すと、ジェイルの警戒から逃れることは容易であった。
アイラの感情の変化もあったに違いない。初めてその姿を見たときや、エドワードの姿で会ったときとは何かが大きく変わっている。……だが、実に都合のいいことだった。おかげで不安定な計画の最終段階へと移れた。
メイザスは何気なくチェイサーの身体を動かして、本棚から一冊の本を取り出し開いた。
相変わらず彼の部屋は簡素で飾り気のないものだった。だが、ご丁寧に書物だけは全ての拠点に同じものを置いていた。おかげで原本はとっくの昔に燃え尽きたはずなのに、記録だけは永遠と残り続けている。
もはや呪いのようにこの身を縛る過去。しかし何よりも尊いものだった。本には写真がいくつも貼られていて、そこには三十年以上前の姿のエドワードやリティシアも写っている。メイザスの三人で、大切な親友に見せる笑みを浮かべて。
…………それは我ながら予想外なことであった。チェイサーの身体はいわば魔術の作用で動く物体であり、機械のようなものでしかないのに、どうしてか無意識のうちに涙を流していたのだ。実におかしなことだった。あまりにも唐突で、噴出した感情を疑った。――――魔術の暴走? 否、ただの身体の反応だ。そうでなければエドワードらを殺した意味が無くなる。
次の刹那、扉を叩く音が二度響いた。ハッとして視線を向ける。……扉の向こう側にあるのは明確な敵意。孤高な恐怖。――アイラだった。リティシアに瓜二つな髪、瞳。けれどもその表情は似つかない。独立した個を得ていた。
「……メイザス、いえ、メイザスの遺品ですよね? 扉の鍵は閉めましょう。ですからこれ以上ワタシの目の前で、チェイサーを弄ばないでください」
すっと胸の奥が底冷えて、我に還った。
「いいだろう」
そう返事だけして、チェイサーに一本の剣を引き抜かせる。それが今のメイザスだった。刃が玉虫色の歪みを孕んで、瞬きの間に姿を変える。――――荒れ狂うような金の髪。目の前に立つ少女とは正反対に真紅色をした瞳が残光を宙に描きながら輝く。
「これが今のオレだ。今はオレがメイザスだ」
その男は悠然とアイラの元に歩み寄り、喉元に自らの指を突き付けた。瞬間、少女も脳天に指先を向ける。
「今ここで殺し合いますか?」
「……違うな。いつでも殺せると言いたいだけさ」
アイラが僅かに表情を曇らせた。怒りと悲しみ、けれどもそれ以上に強い意志の力が空気中の魔素から伝わってきた。
「何が目的なのですか? ワタシ達の皆殺しですか?」
メイザスは薄ら笑いを浮かべた。瞳孔が重なり合うかのように瞳の朱色が鈍く光る。
「はは……皆殺しか。確かに何度もお前らを殺したいとは思ったがぁ、違うな。安心するといい。オレは皆殺しなどもはや眼中にない。もっと崇高な目的がある」
「…………あなたは、」
アイラは言い淀んだ。哀れむような、分かったような同情といたわりの眼差しがこちらに向けられて、メイザスは反撃するようにそれを冷笑する。
「あなたがその本を見て泣いていたことと関係がありますか?」
――――咄嗟に出てしまった感情の吐露を、顫動を見透かされていた。直後、狂ったような激情が沸き立って、メイザスは少女の華奢な身体を腕で弾き飛ばした。小さな悲鳴を零してアイラは全身を壁にたたき付けた。
だがその声は、苦痛の音は誰にも届かない。メイザスはどれだけ激昂ていようとも、暴走の一つさえなく冷静に、その音をも掻き消していた。続けざまに、空気の塊を鎚のごとく圧縮して、少女の腹部に叩き込む。一発、二発と……殺さない程度に、痛め付けて、苦しみを刻み付ける。
そのたびにアイラは嗚咽して、痛みに身体を反らした。瞳に涙を浮かべながらも、歯を食いしばり堪え続けた。そんな八つ当たりを淡々と何十分と続いたが、やがてメイザスは我に還るようにその手を止めた。苦悶の表情で床に蹲り、えずくアイラに近寄り、全てを嘲笑うかのような表情で囁いた。
「君、ジェイルに随分と好かれていたよなぁ。それに君自身好いているだろう? 皆殺しは嫌だろう? 他の仲間や、特にジェイル・シルヴァーには死んで欲しくないだろう? なら君一人でいい。思うに、全員が等しく死ぬより愛おしい誰か一人が儚く消え失せる方が苦しいだろう」
海の底のごとく青く神秘的な瞳が揺れ動いていた。アイラは物理的な外傷よりもこんな言葉の方が気掛かりらしく、ゆっくりと顔を向けた。その瞳はいまだ屈せず。羨ましいくらいに凛々しかった。
「……どういう意味です。…………皆殺しではなく、シルヴァーだけを残して、苦しみを与えたいというちんけな復讐が目的ということですか?」
メイザスは顔をしかめた。自らの存在意義にも等しい行為を愚行と同列視された事に対する嫌悪からだった。
「随分とまた反抗的な言い方じゃあないか。しかし勘違いしないでくれ。身が裂けるほどの悲しみを与えることは、あくまでも手段に過ぎない。感情は道具だ。魂が体を突き動かすためのな」
「魔術の暴走を起こそうとしているのですか? しかし何故? まるで意味が分からない」
当たり前だ。これを行うにあたってどれだけ魔素を、この狭間の世界を調べたと思っている。だが確実に少女は耳を傾けていた。声が空気中の魔素を刺激し、見える者からして見ればその言葉の重みは容易に理解できるはずだ。
「……そうだな。言ってしまおうか。その方がお前も協力する気になるだろう」
メイザスは後ろに下がると、近くにあった椅子に脚を組んで座った。アイラは依然として警戒を崩さないが、勝機がないことを理解してか、大人しくベッドに腰を下ろした。




