戻れぬ食卓
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…………それなりに時間が経過していた。チェイサーを毒殺したときはまだ昼にも達していなかったが、今となっては夜の帳が下りて、妖しく虚ろにガスライトは輝いている。食堂でブロウワーが夕食を並べていくなか、メイザス・ダロウェイは一人のみを警戒していた。
その少女は誰も踏んでいない雪のように白く美しい髪をもち、真意を見据えるような瞳がリティシアを彷彿とさせる。……アイラと言っただろうか。彼女は思い詰めたたかのように窓の外を、否、窓に映る彼女自身を睨みつけていた。時折、こちらを……チェイサーの体を睥睨して、警戒心をいまだ解こうとはしない。
当然といえば当然だろう。彼女もこちら側なのだ。人間としては中途半端で、何が目的で何が使命かも曖昧な存在。従うべきものがあれば、それが全てだと思い込むだろうし、事実、自分自身受け継いだ記憶に従っているに過ぎないのかもしれない。
「アイラ、何ボケっとしてるんだ? せっかく私がメイドに代わって素晴らしい料理を作ったってのに、冷めちまうだろ。それとも腹減ってないのか? なら林檎だけでも渡すけど」
ブロウワーが頬にパイを詰め込みながら、器用にもペラペラと喋っていた。記憶が正しければ、普段から彼女の食事方法は粗暴であったが、今日は少しでも雰囲気を良くするために行っている節があるようで、いつもより派手だった。もはやある種の曲芸の域にまで達している。
「すみません。少し考え事をしていただけです」
その考え事はおそらくこちらの目的を理解していないことにあるだろう。魔素の呪いを受けて生まれて、魔素が見えるならば既に料理を口に入れるチェイサーが、その味を堪能していないことも、この暖かな場で喜びを感じていないことも明らかなはずだ。
【力】の付与を受けて動く傀儡。肉人形。十数年と一緒にいた家族同然の者が死んでいることに彼女しか気付いていない。皆、彼が生きているかのように振舞う。そんな事実がどれだけ精神を疲弊させるか想像もたやすい。傷ついた精神は魔術の安定を阻む。
ジェイルはどうやらこの少女に想いを寄せているようだった。まるで昔のメイザス・ダロウェイを見ているような気分にさせられて随分と不快だが、これを利用しない手はない。しかしその前にアイラの処理をしなければなるまい。リティシアに似て利口で、彼女は真実を皆に語ろうとはしないが、何も企めないようにしっかりと警告する必要があるだろう。
「なぁチェイサー、顔が結構侵食されちまったみてえだが、痛いんじゃないのか? 平気か?」
ブロウワーが心配顔で尋ねた。口調は荒いが優しい声で、なぜだか不意に胸が痛むような錯覚がした。メイザス・ダロウェイの記憶が、本当に幸せだったころのことを彷彿として、頭が酷く痛んだ。
――――そうだ。そのころに戻るために、オレがメイザスであったときの過ちを正すために、オレは全てを賭けるのだ。
「心配してくれてありがとう。でも僕は平気さ。本当に痛くないさ。むしろ貫禄がついたんじゃない? どうかな?」
チェイサーの……ロレンスの表情は完全に把握している。エドワードは死んだという前提が最初から会ったからダメだった。しかしまぁ、あの肉体はロレンスの怒りを買うのに役立ったがな。
「貫禄ってよりは余計に奇怪さが目立つな。モテなくなっちまうぞ。まぁその食べっぷりは嬉しいけどな。ほらジェイル、てめえもちゃんと食べろよ。それともなんだ? 私の料理がメイドのよりまずいってか?」
ブロウワーの矛先がジェイルに向いた。確かに彼はアイラのことで今も思い悩んでいるようで、その手はなかなか進んでいなかった。彼もそのことを自覚していたのだろう。
「あ、いや……すまん。少し考え事しててな。まあでも確かにメイドの料理のほうが美味しい」
申し訳なさそうに謝るも、すぐに場の空気を優先してそんな軽い冗談を言った。それに続いてブロウワーが切り返し、段々と団欒の暖かさが発していく。それでもなんと美しいことか、リティシアの移し身は決してこちらへの緊張を解くことなく自然に会話を続けているのだ。
「……アイラ、少し話さなければいけないことが君にあってね。このあと僕の部屋に来てもらってもいいかな? なに、大したことじゃないから大丈夫だよ」
緩やかで優しい微笑みを完全に再現して、空気の振動を、言葉を発する。瞬間、アイラは注視されていようとも気付けないほどの、それこそ空気中に漂う魔素が僅かに揺れ動く程度に表情を変化させて、酷く慄いた。
――――なんとも言い難い感情が心を満たした。悲しいような、晴れ晴れとするような……どのみちドブのように汚らしい感情であったことに間違いは無い。
「……分かりました。夕食後すぐに向かいます」
アイラは淡々と返事を返して、表情では気付けないような陰鬱さを僅かに零した。魔素が淀む。これに気付けるのは人間ではないが人間に近しい我々だけなはずであったが、ジェイルが怪訝そうにこちらを睥睨しているのがどうにも気になった。琥珀色の瞳が、鋭利な刃物のように静かに輝いていた。




