元に戻れたのか
そのとき、ガチャリと音が響いた。一階から、扉を開けるような音がした。瞬間、再び期待が湧き上がり、ジェイルはまさかと思いながらもその名を口にした。
「……チェイサーか?」
その呟きに対する返答はなかった。代わりに階段を上がっていく二人ほどの足音が鳴り渡り、やがてこの部屋の戸を開けた。そこにいたのは凛とした表情のブロウワーと、彼女の肩を借りて立つチェイサーだった。
「メイド! 無事だったか!!」
ブロウワーは翡翠の双眸で部屋を一瞥し、目をパチクリとさせてまるで亡霊でも見てしまったかのような態度を取るメイドに対して声をあげた。彼女はチェイサーを支えていたことも忘れて、ベッドにいるメイドの元へと駆け寄る。
バランスを崩したチェイサーが面白いように倒れるなか、ブロウワーは喜々として声をあげた。
「よかった! 生きてたか! ったく、お前はドン臭いんだから気をつけなきゃダメだろ」
メイドはほんの一瞬だけ酷く憂鬱な表情を浮かべるがすぐに微笑を取り繕った。ジェイルは彼女が魔術を使えなくなったことを言うべきか否か逡巡するも、その結果言い出すタイミングを失う。
「エヘヘ……。でもおかげでこうしてピンピンしてますよ!」
今この場で彼女の身に起きた悲劇を言うべきではないと思ったのか、誰一人として言い出そうとはしなかった。
…………いや、しかし、だが、こうして全員生きて戻ってきてくれたのだから、せめて今はその事実に感謝すべきで、場が落ち着いたら二人に話そう。ジェイルは歯を噛み締めたまま考えをまとめて、チェイサーのほうに視線を向けた。
「それよりも皆無事でよかったです。ブロウワーさんとチェイサーさんは怪我はありますか?」
ちょうどメイドが二人の無事を尋ねたときチェイサーはよろよろと立ち上がった。表情こそは明るく、いつものどこか掴みがたい笑顔なのだが、その相貌の一部は異形のごとき変貌を遂げて、黒い鱗のような装甲が頬を覆い、瞳の色は赤く変色し瞳孔は縮まっていた。
ビクリと、アイラが肩を震わせていた。ジェイルも驚愕せずにはいられずに口を半開きにしたが、少女の反応は皆と比較にならないほどだった。じんわりとその青い瞳に涙を浮かべて、頬を引き攣らせ、まるで化け物にでも遭遇したかのように数歩たじろいでペタリと尻餅を着いた。しかし立ち上がろうとはせず、放心してチェイサーを見詰めていた。
その表情を見ていると、どうしようもないほど胸が苦しくて、焦燥感が全身を掻き立てた。ジェイルは咄嗟にアイラの傍によって、手を握る。
「――――大丈夫だ。俺がいる」
頼りないかもしれないが、少しでも彼女の不安や緊張を和らげたかった。……冷たい手。けれどそれはアイラが暖かいと感じてくれているということだ。
アイラはゆっくりとこちらに視線を合わせ、何かを伝えようとした。けれどもそれは声にならず、ただ口が空を掴むかのように動くだけで、彼女自身唖然とするように目を見開いていた。けれども次の瞬間、アイラは大人びた、けれどもどこか快活な笑みを浮かべながら立ち上がった。
「ありがとうジェイル。わたしは平気です。ちょっと驚いただけですよ」
――――違和感。脳天を小さな針で突き刺されたかのような不快感が脳をまさぐって、だがその正体が分からない。なぜこんなにも彼女は怯えている? まさかと思いジェイルはチェイサー達を一瞥した。
「ああ、これかい? どうやら魔術の暴走でこうなっちゃったみたいでね。でも見た目以外は何も変わってないから安心してくれ」
チェイサーがいつものように微笑んで、その変異してしまった頬を掻いた。よく見てみれば片手も僅かに黒い色素が混ざっていた。けれども本当にそれだけで何もないように見えた。しかし聞かなければならないことはある。ジェイルは眉間に皺を寄せた。
「エドワードは……父さんはどうなったんだ?」
「――倒したよ。遺体はさっき棺おけに入れた。まだ一階に置いてある。顔を見せてあげるといい。きっと向こうの世界にも想いは伝わるよ」
どこか寂しげな様子でチェイサーは窓の向こうを眺める。しんみりと部屋全体が重い沈黙に包まれると、ブロウワーがぶんぶんと腕を振り回しそんな空気を振り払った。
「メイドがこんなんだし、私が飯作ってやる。せっかく皆無事であの危機を乗り越えたんだ。豪勢なの作ってやるぜ。たとえば………………パンとか?」
メイドのことを不安げに見ながらも、彼女ニヤリといつもの調子を取り戻して腕を捲くると部屋を出て行った。ガチャリと音を立てて部屋の戸が閉まるなか、チェイサーはこちらを見て呆れ混じりに尋ねた。
「……彼女の料理は大丈夫なのかい?」
「俺にも分からん」
ジェイルはすっかり毒気を抜かれて、脱力しながらそんな返事を返した。




