表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狭間の国のメモラビリア  作者: 終乃スェーシャ(N号)
四章:鎮魂歌は響かず
43/68

選択

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ――――じゃあじゃあとお湯が流れ、体を伝う。メイドが腹部を貫かれた瞬間、チェイサーが発した怒りと悲しみの魔素の感覚が全身にこべり付いているような感覚がして、洗い落としたかった。


 ジェイルの手から伝わる暖かさと想いが申し訳なくて、洗い流したかった。


 他の部屋と比べてどうにも殺風景なシャワールームで、頭からお湯を被りながら鏡の自分と睨み合う。


 白い髪、肌。青い眼。あぁ、なんてリティシアに似ているのだろうか。だが所詮ワタシは人間ではない。ただの負の想いが作り出した非現実的現象の一例に過ぎない。


 だからだろうか。ワタシには分かっていたのだ。目の前に現れた持ち主が、彼ではないと。何となくでしか感じ取ることができないはずの魔素の違いがハッキリと確信に基づいた第六感によって理解できていたはずなのだ。

 一秒一秒が嫌になるくらい長くて、頭のなかをムカデが渦巻くかのごとく思考が錯綜し、むなしさがこみ上げる。チェイサーは無事だろうか。考えれば考えるほど息苦しくて、つらくて、鏡に体を寄り添わせ呻いた。


「う、う……」


 自分が嫌になる。まともに命令一つこなせなくて、けれどもリティシアの代わりとなって皆を励ますこともできなくて、ワタシは何のために造られたのだろうか。


「っうぅ――――――」


 吐き気がするくらい憂鬱が、手の届かない場所を蠢く。胸の奥、涙腺の奥、空っぽの心のなかで暴れている。それが無くなることはなくて、せめて皆の前ではいつもの様子を取り繕おうと思って、だからワタシは仮面を被る。シャッターを下ろして誰にも奥を覗かれないようにした。


「…………」


 鏡のワタシは無表情で、元に戻れたと思うのだ。……こんなことをして何になるのだろうか。それでもやらなければと思う強迫概念がどうしようもなく、


 むなしかった。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ――――手を、手を離してしまった。無理をしても止めるべきだったのではないだろうか。あんなに悲しそうなアイラを見たくなかった。何か少しでも言葉を……何か一言でも伝えるべきだったのではないだろうか。……何を? 分からない。


「ユイ、……俺はどうすればよかったと思う?」


 ジェイルは手すりに寄り掛かったまま、どこを見るわけでもなくぼんやりと視線で尋ねた。ユイは同じ目線になるまで階段を上がると、こちらの顔を覗く。その表情は複雑で、哀愁漂うような、熱っぽくもあった。


「……そんなこと私に聞かないでよ。どう答えたらいいか分からないわよ…………」


 ユイは囁くような小さな声で呟くと、頬を朱に染めてしかしそれを隠すように俯いた。黒く艶やかな髪が揺れて、ほのかに甘い匂いがした。少女はしばし閉口し沈黙していたが、やがて覚悟を決めたように仰々しいため息をつくと、がしりとジェイルの両肩を掴んだ。


「でもジェイル。ジェイルは分かってるでしょ? 放っておけないって、思ってるんでしょ? 私は助けてもらえた。その所為でどんな酷いことが起きるか分かっていたはずなのに。……私は……私は! そういうジェイルを見ていたい。嫌だけど…………ジェイルはあの子を追うべきだと思う。それが一番格好いいじゃない! 私は、そういうジェイルを見ていたいの」


 親切な響きの篭った声が緊張と熱を張らんでいく。ユイは睨みつけるほど真剣な眼差しでこちらを見つめ、顔を真っ赤にしていた。その黒く凛々しい瞳は既にボロボロと涙で潤み、頬を流れていて、それでも彼女は涙を拭い堪えようとしている。


 ――――ユイまでも傷つけてしまった。


 ジェイルは返答に思い悩んだ。今、彼女の双眸が向ける視線と感情がただならぬものだと分かってしまった。どうしてこんなときに、いや、こんなときだからなのか。こればかりは絶対に何かしらハッキリとした答えを出さなければいけない確信が持てた。それによって今の関係に齟齬が生じてしまうとしてもだ。……勘違いであれば自意識過剰だったと笑えばいい。


「ユイ……ごめん。ありがとう。お前の言う通りにする。これがそういうものかは正直よく分からないし、ただの使命感かもしれないけど、今はそれをしたい」


 罪悪感がまるで嗚咽感のように喉の奥から這い上がり、頬の内側を強く噛んだ。ジェイルは恐ろしく厳粛した形相を浮かべて、決して聞き漏らすことのないようにハッキリと伝えた。


 ――――再びの静寂。だが心臓はバクバクと脈動し荒れ狂うような音が静かなときのなかに存在していた。ユイはその間、瞬き一つさえしなかった。たった数秒間の無音であったが酷く長く感じれた。やがてユイは全てを受け止めるかのように笑顔を浮かべた。


 その笑みはあまりにも完璧で、青空のなかの木漏れ日のように清々しい表情で、彼女が一世一代の演技をしていることは明らかであった。


「よろしい! ……そのほうが格好いいジェイルだよ。だから、応援してる。けれどね? 私も人間だから……意地悪だから、一つだけ、どうか一つだけのわがままは許してください」


 ユイはニヤリと、何かを企む様な笑みを刹那浮かべると、その凛とした顔一瞬にして近づけて、柔らかなそれを唇に押し当てた。彼女の瞳が文字通り目と鼻の距離にあって、嗅覚がくすぐられて、いや、それ以上に大切な、神聖化されるべき事が不意打ちで行なわれていて、思考が追いつかず、ごちゃごちゃしていて状況が理解できなかった。


 ユイの華奢な手がこちらの両耳に触れて、顔を押さえるように力を込めていた。芸術作品のような黒髪が頬を、首をくすぐり惑わす。……だが段々と頭が追いついていて、ジェイルが目を見開いて驚愕を露わにしていくと、ユイはそっと顔を離し、自身の唇をあでやかに人差し指で撫でた。


「……これで、ジェイルのファーストキスだけは絶対に私のものです。ごめんなさい? 意地悪でしょ? 私って。……ジェイルが苛めるからだよ?」


 ユイは穏やかで達観した微笑を浮かべると、とてとてと拙い全力疾走で階段を駆け上がって行ってしまった。その場に残されたジェイルは自らへの苛立ちに握りこぶしを作り、自嘲気味に一人呟いた。


「……もう引き返せないな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ