離握
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……狭間の世界などと言う以上はいくつも街や国が広がっていて、事実そうした書物は存在するのだが拠点を出たことはまだこれで二度目でしかなかった。
文明レベルは元いた世界より劣るといえど、その活気と乱雑さは劣らず。小さな屋台を引き下げて呼び売りをする人や上級階級らしき服装の夫人からホームレスまで何もかもがこの街にいた。
夜のように静かであればどれだけ幸いだったろうか。仕方ないこととは理解しつつも、無垢な笑顔や奇異な視線が欝陶しくて、見てるんじゃねえと声を上げたくなる。
それでも黙って歩き続けていくと、やがて街中にあった地下階段を降りて、地下鉄の駅へと辿り着いた。煉瓦の壁に木製の床。それなりに広いホームであった。換気口が点々とあるのが見られたが、それでも通気が悪いのか蒸気機関車の煙が充満し淀んだ空気が広がっていた。
列車は木製で、まもなくすると切符を買ったらしいウォッチャーが付いて来いと一言だけ告げて中に乗り込んだ。切符は五人分だった。
内装は簡素で、木の床が張られていて、席も座る部分にこそは緑のクッションのようなものがあるものの硬い木製の向かい席であった。
「ウォッチャー、メイドの様子は?」
「……分からない。もう傷自体は治せたはずだが……それでもショックが大きすぎる。それに出血量もあまり良くはない。安静にしないといけないだろうな」
ウォッチャーは深く皺を刻んだまま、ゆっくりと席にメイドを寝かせた。彼女は腹部の傷こそ塞がっているものの、顔色は悪く、息も荒らいでいて事態はあまり良くなかった。
「大丈夫……じゃないわよね。その……部外者にこんなこと言われたくないかもしれないけど、……死なないで」
ユイが物憂いげながらも、苦しそうに怪我をした腹部を押さえて呻き続ける少女の手を握り、声をかけるなか、アイラは虚ろな瞳でその光景を見つめ、呆然と通路の中央で立ち尽くしてしまっていた。
無表情のまま床に雫を落としながらも感情を押し殺す姿はアベンジャーが殺されてしまったときに見せたものとあまりに酷似していた。
――――剣や銃で貫かれてなどいないにも関わらず、胸の奥底が引き裂かれるような、のた打ち回りたくなるような苦痛がした。アイラのそんな表情は見たくなかった。
いや、それは無理な頼みなのだろう。彼女は生まれたときから彼らと一緒にいたはずなのだ。僅か二週間程度一緒にいただけの人がとやかく言える状況ではないだろう。
「……アイラ、とりあえず座ろう。通路だから、人が通る」
――――大丈夫だ。などと無責任な言葉を吐けることなどできるはずもなく、でもせめて、少しでも落ち着かせようと思い、ジェイルはアイラの手を握り席に座らせた。
やはり少女の手は冷たく、まるで凍えるかのようだった。
「アイラ、……いや、なんでもない。ごめん」
何か言葉を掛けようと思った。だが俯き、窓に寄り掛かるその姿を見て言葉を無くし、ただ手を握る力のみを強めてその時間を過ごした。
何を喋るわけでもなくただじっとそのままでいた。途中、ユイが目を見開いてこちらの顔を覗いたが、彼女は呆れ混じりのため息だけついて、何も言わずに向かいの席に座った。
……ガタガタと列車が連続的に揺れ続けながら、地下トンネルを進んで行き、いままでいた場所がどんどんと離れていく。チェイサーとブロウワーが無事かも分からず、憂鬱だった。しばらくすると車掌が来て、切符を確認していく。
喪中のような雰囲気に呑まれたのか、その男は帽子を深く被ると足早のこの車両から去っていった。沈黙。ただ目的の駅に着くまで、意気消沈とするように皆、黙り込んでいた。
――――どれくらいの時間が経っただろうか。随分と長い間揺られていた気もした。時間の感覚が狂いそうだった。列車はだんだんと車輪の音のテンポを遅らせ、甲高い汽笛と共に空気が抜ける音を吐き捨て、最後にはその駅に停車した。
「……もうすぐだ」
ウォッチャーの言葉が耳にしてすぐさま淀んだ空気の纏う地下を出た。外はあまり変わらぬ町並みで、だがそんなことお構いなしに歩いていくとやがて初めて来たときのように狭い裏路地に入り、結局は無意味であったカモフラージュされた玄関扉を開けて移動先とやらに辿り着いた。
同じような構造だった。小さな玄関に螺旋階段……何も変わりはしない。チェイサーたちが戻ってくれば、またやり直せる。
「ようやく着いたか……。君たちも休むといい。急な移動で疲れたろう」
そうは言われたものの、チェイサーたちがどうなっているかも分からないというのにのんびりと休めるほど強情な精神はしていなかった。
「ジェイル……。ジェイル、ワタシはもう平気です。ありがとうございます。少し一人にさせてください。そういう気分なので」
アイラは白銀の髪を揺らしながら淡々と手を振り解いてしまい、逃げるように階段を駆け上がろうとする。ジェイルは咄嗟に彼女の華奢な手首を掴みその歩みを止めようとした。
「嫌! っ。……離して」
アイラは今も泣き出しそうなくらい顔を歪めて、嗚咽混じりの声で訴えると今度こそ一人で行ってしまった。空いた手に感じる空気の暖かさが耐え難い寂寥感を胸に伝え、頭がぐわりと揺れた。
――――こんな状況だというのに、彼女に拒絶されたことがショックだった。心身を打ちのめされたような気がして、ジェイルはうな垂れるように階段の手すりに寄り掛かる。
ユイはそんな様子を寂しげに眺め、ただじっとその場に立っていた。まるで何かの言葉を待っているかのように。




