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狭間の国のメモラビリア  作者: 終乃スェーシャ(N号)
四章:鎮魂歌は響かず
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逃避

 液体と肉が擦れ合う音と共に、メイザスは腕を引き抜く。少女は自身の腹部に手を当てて、その手が赤一色に染まるのを見詰める。


「…………ごめん、なさ……い」


 涙を流しながら寂しげな声でその一言だけを告げると、糸が切れたかのように倒れてしまった。

 ――――少女が力無く倒れるまでの時間が酷くゆっくりと見えた。


 ジェイルはその凄惨たる光景とそれを見るアイラの表情を目の当たりにし、怒り以上に使命感に襲われ、腹の底から声をあげた。


「アイラ!! 銃に!」


 人の姿のままでいれば、今目の前で起きている事がアイラの身に起こりかねない。いや、虚ろで今にも死んでしまいたそうな彼女の顔を見るのに堪えかねただけかもしれない。


 それでも声は伝わってくれた。彼女は目を見開いて、深く頷きその体を無骨な銃身へと変える。金属質な感覚が敵への殺意を押さえ込んでくれていた。


 ――――直後、喉が裂け切れんばかり怒号が轟いた。チェイサーのものだった。堪えようがない激情によって部屋の壁が爆音と共に炸裂し、砂塵と飛礫が舞っていく。


 立て続けに、落雷のごとき衝撃が走るとその場にいたはずのチェイサー、エドワード、メイザスの三人が部屋から消えた。


 そして道を挟んだ先の建物で連鎖的に脳を揺らすような衝撃と破壊が生じていく。屋根の煉瓦が雨のごとく辺りに降り注ぎ、なかには戦車の一撃でも受けたかのように倒壊していく建物さえあった。僅か十数砂もの間に周囲の住民はパニックとなって悲鳴も重なり始めていた。


「その子……た、助けないと」


 ユイはそう言って床に倒れてだらだらと血を流し続けるメイドに歩み寄った。しかし彼女に何かできるわけでもなく、蒼白とした表情で助けを求める。ウォッチャーはすぐさま血まみれのメイドを抱き上げると、腹部の傷口に指輪を向けた。――魔術のトリガー。怪我を治すための行動であった。


「幸いにもまだ息はある。……だが助かる保障はない」


 自らの無力さを嘆くように、ウォッチャーは俯いた。しかし少女を抱える力を緩めることはない。


「ウォッチャー、後は頼んだ。私は民間人の避難をさせる。……おいジェイル! 男なら何があろうと女の子ぐらい守れよ? 守るために、救うために魔術を使えよ! じゃあ、私は行って来る。無関係の奴をこれ以上傷つけさせはしない。会えたらまた会おうぜ」


 ブロウワーは壊れた壁から大通りに出ると、こちらを振り返ってニヤリと歯を見せて笑った。外から太陽の光が零れ、風で髪が靡く。


「ブロウワー……なぜです。なぜ笑うことができるのですか」


 声をあげたのはアイラだった。その問い掛けは行かないでと訴えているように聞こえるほど寂しげで、親に捨てられた子供のようだった。


「なぜ? そりゃ私が強いからだ。メソメソしてたら救えるものも救えねえだろ。アイラ、お前はいい加減命令と卑下に捕われてねえで自分に正直になっとけ。その方が進むだろ?」


 ブロウワーはカツカツと鉄底の音を数回鳴らすと、外に視線を戻し、両手を合わせた。所作によってトリガーが引かれ、彼女は自身を【浮遊】させると、有無を言わさず爆音と衝撃の中心へと行ってしまった。


「……ジェイル、分かっていると思うがチェイサーのところに加勢しようとは思うな。今は状況が悪すぎる」


「ああ、……分かってる。分かってるよ、ウォッチャー」


 ――――それぐらいは判断できる。……いや、手を握られていなければ、分からなかったか。だけれども、今は判断できる。チェイサーは……彼は激昂の最中、他の皆を逃がすために距離を離してくれているのだ。


「ユイ、怪我はないか? ……怖いよな。ごめん。俺の所為でこんなことに」


「私は平気。驚いただけ。ここにいる皆よりは辛くない。本当よ」


 ユイは真剣な眼差しをこちらに向けた。力強い声で、床に散らばる瓦礫を踏み締める。


「私は助けてもらったから怖くない。だから、大丈夫。急がなきゃいけないんでしょ。私は何もできないから、せめてテキパキ行動するの」


 ウォッチャーはユイを一瞥しながら淡々と伝えるべきことだけを伝えた。


「移動する。襲われた場合の集合場所は決めている。だいぶ歩くが我慢しろ」


「待ってください」


 アイラはチェイサーを呼び止めると、その銃身から眩い光を放ち人の姿へと戻った。冷たい銃の感触が華奢な人の手に変わる。彼女は青く大きな瞳でこちらの顔を覗き込むとその手を振り払い、近くの瓦礫を掘り起こし始めた。


「……ありました。チェイサーの腕です。腕がなければ治癒では傷口が塞がるだけです。ですがこれで彼が戻り次第腕を治せるはずです」


 アイラは表情を変えようとはしなかった。しかし淀んだ空気に押し潰されて、生きるために必要な何かが抜け落ちてしまったような、そんな雰囲気を纏っていた。頼りないほど青く透けた双眸は酷く虚けていた。


 ジェイルは彼女になんと声をかけてあげればいいのかが分からなくなりそうだった。ウォッチャーも彼女の様子に堪えており、ぷるぷると手を震わせて、険しい顔つきをしていた。


「……そう…………だな。その通りだ。腕、鞄に入れるから貸してくれ」


 アイラはこくりと頷き、腕を手渡した。その腕は思っていたよりは重く、まだ生きているような暖かさがあって不気味であった。何か鋭い刃物で切られたかのような断面からはいまだ血が滴っており、骨も露わとなってしまっている。


「うぐ……が、」


 そのあまりにもおぞましい有様を見てしまうと、酸が胃の底から這い上がりそうになり、ジェイルは咄嗟に口を押さえた。


 さすがのユイもこれには顔を引き攣らせ、慌てて数歩後ずさる。ジェイルは舌に不快な味が広がるところまであがってきた吐き気をなんとか飲み込んで、持っていたハンカチで断面を覆い鞄にしまった。


「では向かうぞ。これで君らにまで死なれたら……さすがに何も言えなくなる」


 ウォッチャーの後ろを三人は黙々と付いて行った。パニックとなった大通りで我先にと逃げ惑う人々でさえ戦慄するまでに一人の少女は自責を続け、病的なまでに生気のない顔をしていた。

 ――――ジェイルには彼女に掛けるべき言葉が分からなかった。そんな自身が情けなくて仕方なく、彼もまた歪んだ相貌のまま歩き続けていた。

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