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狭間の国のメモラビリア  作者: 終乃スェーシャ(N号)
四章:鎮魂歌は響かず
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来訪

 ……ジェイルは朝食を食べ終え次第すぐに訓練室へと下りた。チェイサーはどこか楽しげな様子でこちらを見詰めながら、何食わぬ笑顔で辺りにあるサーベルや水の入った瓶を【浮遊】させていた。


 やがて栓を開け、中に入っていた水さえも器用に漂わせ始めていく。ジェイルは宙にいくつも形成されている水の球体をまじまじと睨みつけた。


 部屋の隅ではアイラとユイが見学しており、ユイは改めて非現実的光景を見せ付けられたからか開いた口が塞がらない様子だった。アイラはいつもの鉄面皮である。


 しばし全員がシャボン玉のように浮かぶ水を眺めていたわけだが、ジェイルはやがて若干の苛立ちを示し拳に力を込めた。


「チェイサー、いまいち俺には【浮遊】だけがよく分からない」


「ふむ、どうしてだろうか。分からない理由を明確にすることは魔術を理解するうえで重要だ。その理由を言葉にしてくれ」


 チェイサーは【浮遊】を巧みに行い水をまるで生きているかのように動かし続けていた。だがジェイルにはそれができない。いくら【浮遊フライト】と唱えようと大雑把な動きが限界なのである。


「……他の熱とか硬化は実際の物に触れたりしたけど、【浮遊】を使えるようになるためにしたことと言えば全身に【浮遊】を付与されたことぐらいだ。おかげで浮く感覚は全身で感じれたけど結局最初の人はどうやって使えるようになったんだ? 鶏が先か卵が先かみたいになってるだろ」


「【浮遊】は正確に言うと物体を浮かせる魔術じゃなくて物体が浮くような力を付与する魔術なんだ。浮かぶ感覚っていうのが一番分かりやすいし習得する分には早くできるから教えただけなんだけど、だからこうすることもできる」


 チェイサーはそう発言すると作り笑いを浮かべる。その笑みは魔術のトリガーとなって、魔素に反応し、ジェイルの全身に力が付与されていく。それまるで重い金属の塊が全身に圧し掛かったような感覚に近く、地面へ押し潰すかのごとく働く下方向への力によって、ジェイルは立つことさえままならず、膝をついた。


「【浮遊フライト】!!」


 ジェイルは咄嗟に相反する魔術を唱え、体に掛かる術を軽減させて必死の思いで立ち上がる。雷に打たれるような驚きに目を見開き、数秒の出来事であったがだらだらと冷や汗が流れ落ちていた。


 魔術で道具を介して間接的に攻撃するのとは違う、あまりにも直接的で回避不能な攻撃。ユイが不安げに立ち上がり、チェイサーを敵視するように睨むなか、ジェイルは引き攣った笑顔を浮かべて呟いた。


「……直接魔術で攻撃されるとこうなるのか」


「そうさ。いきなり燃え上がることもあればそうやって異常な負荷が突然体に掛かることもある。君にいままで教えてきた魔術は全てそういった攻撃に転用できるし、もちろんそんな理不尽な攻撃から身を守ることもできる」


 チェイサーはそこまで言うと、訓練部屋の壁に出来ている傷や焦げ跡を懐かしむように一瞥した。

「僕としては……エドワードがくれたこの奇跡の力を攻撃に使うのはあまり気が進まないけど、そんなことも言ってられない。ともかく、【浮遊】いや、【力】の付与の理屈はこんな感じだ。教え方が下手だったかもしれないけど分かったかな」


「……ありがとう。チェイサー、今のおかげでもう少し練習すれば……できる気がする」


 ジェイルは自身の手を見つめ何かを掴むように力強く握りこぶしを作った。


 ――――変われてきている気がした。この世界のなかで、なにをしなければならないかがようやく理解できてきたのだ。この世界に来たことやジャックと対峙したこと。小さなことで言えばベッドで始めて寝たことまで、それらは何らかのターニングポイントとなってくれた。


「ん? どうしたんだいジェイル。自分の手を見つめて」


「ああ、いや。なんでもない。本当にありがとう。これで絶対できる。アイラ、メイド呼んで来てもらっていいか? 彼女なら今頃紅茶淹れてくれてるだろうし、持って来てくれって」


「ワタシをパシリにしようとはなかなかの度胸です。しかしその点には及びません。もうまもなく彼女はここに来ます」


 アイラが微笑を浮かべ部屋の戸を指差すと、発言通りメイドがティーセットをもって現れた。


「お疲れ様です。魔術の練習は集中力が必要ですからね。これで少しでも心を休めてください」


 彼女は天真爛漫な笑顔でジェイルやチェイサーはもちろん、見学していたアイラ達にも紅茶の入ったカップを寄越していった。


 ……そして、ジェイルが軽く礼を言って受け取った紅茶を一口ばかり喉に通したときのことだった。


 ガチャリと、玄関のほうから音が響いた。本当に何気ない音だった。ウォッチャーかブロウワーでも戻って来たのだろうと思い、あまり深くは考えなかった。


 チェイサーとメイドが談笑するなか、ただ何となく足音が近付いてくるのを目で追っていると、やがてその人物はさも当たり前のように視界に入った。


 黒い髪に琥珀色の眼、四十代ほどの男性で、ロングコートを着ていた。


 ……見覚えがあった。初めて会った人物のはずなのに、彼を知っている確信があった。呼吸の方法も忘れてしまい胸が苦しくなっていく。今ほど現実と夢の境が曖昧になったことはない。


 ジェイルは呼吸を荒らげて、その人物をじっと見据えた。


 ……ああ、間違いない。何十回と写真で見たのだ。間違うはずがない。しかし、どうやって? 思考しようとすれど頭が混乱して何も考えられない。


 ジェイルは半ば意識の外のうちに全身を震わせながら、振り絞るような声で尋ねた。


「……エドワード?」


 その言葉は部屋にいた全員の意識を一点に差し向けた。一番に唖然として言葉を失っていたのはチェイサーだった。彼は何十年とエドワード・シルヴァーと一緒に過ごしていたのだ。当然の反応だった。


 ……父さんとは聞けなかった。肩に凶暴な蜂が止まってしまったかのような、もしくは毒蛇が首に巻き付いたかのような、あまりにもいびつな何かがおぞましくて堪らなかったのだ。


「チェイサー、ジェイル。遅くなったな」


 その男は、エドワード・シルヴァーは、愛しいものを見るように優しげに微笑んで、空虚な双眸を向けた。

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