茶が来るまでに
しかしアイラは何事も無かったかのように装った。
「目覚められましたか。コヅカユイさん」
ユイはさすがに状況が理解できないようで、引っ越ししたばかりの猫のように辺りを見渡し、やがてこちらに目を合わせた。凛々しい瞳が向けられる。
「ジェイル! どこ行ってたの!? ずっと心配したんだよ!」
ユイは嬉々として声を上げると、手を力強く握り締めた。華奢な外見からは予想もできないほどの握力が、もう離すものかと言わんばかりに掛けられる。
「よかった……。変な人に攫われたって聞いてたから…………それに、それに……!! こ、殺されそうになって! それで、ええと。…………怖かった」
「……すまん。俺が悪かった」
「ううん! いいの。生きてるし、また会えて嬉しい。……けどここは一体どこなの? それにその凄い可愛い子は誰?」
そう言ってユイは窓の外とアイラを交互に眺めた。今は夜だが、満月のおかげで明るく外は鮮明といっても過言ではないほどに街の景色がよく見えていた。
「ワタシの名前はアイラです。可愛いと褒めてくださりありがとうございます。リティシアも喜ぶに違いありません」
確かにリティシアに、母さんに似ているのは偶然ではないのだろうが、ユイがその名前を知るはずもなく、彼女は疑問符を頭に浮かべるかのように首を傾げた。
「……? アイラのお母さん?」
「いいえ。ジェイルの母です」
アイラは淡々と返すが、ユイは目を見開いて、頭に響くくらいの大声を上げながら肩を揺さぶってたずねた。
「お母さん見つかったの!?」
ジェイルはなんと説明すればいいか考え、口篭った。――どのみち今の状況を説明するにあたって言うつもりではいたが、言葉が見つからなかったのだ。両親は捨てたわけではないが、もうこの世にはいないなどとさも当然のように話せるほど、頑丈な精神はしていない。
「ええと、まぁ。とりあえず落ち着けよ。お茶持ってくるからさ。話すならちゃんと話したい」
ジェイルは席を立ち上がり、チェイサーへの報告も兼ねて二階へと向かった。戸が閉まる音が響く。
――――部屋にユイとアイラが残され、気まずい沈黙が張り詰めた。ユイは黙ったまま頭を軽く下げ、改めて一礼すると近くの椅子に腰を下ろした。
「…………辛いことがあったのは分かりますが、暗い感情を維持し続けても良いことなどありません。いずれ押し潰されてしまいます。ジェイルから聞きました。あなたは恩人であると。よければお話聞かせてもらってもいいですか?」
アイラが思い出したかのように質問すると、ユイはビクリと肩を揺らした。緊張に張り詰めていた顔が一瞬にして羞恥に染まり、艶やかな色へと変わる。
「え? う、うん。いいわよ。で、でもあいつそんなこと言ってたのね。助けてくれたのはあいつなのに。えっと……私ね、留学してたんだけど、日本人って理由だけで嫌がらせされてたの」
「バイロンとかいう奴にですか? ジェイルが酷く嫌っていた肥満体の男性です。見るも哀れでした」
アイラが無表情で淡々と罵倒していくを見て、ユイは素直に笑みを零した。
「白ブタ……バイロンもしてきたわね。大人数で髪を引っ張ったり、物を隠したり、皆で暴言を言いながら水を掛けてきたりされたわ。凄い辛かったし、死にたくなるくらい嫌だった。でもね! ジェイルが助けてくれたのよ。得なんて一切ないはずなのに、あいつの顔を思い切りグーで殴ったの」
「確かにジェイルは上っ面だけ冷静ですが実際は短気で無計画です」
「でしょ? でもそのことがあってジェイルとよく話すようになったんだけど、あいつ、私なんかよりもずっと辛い状況に置かれてたの。家でも学校でも休める場所がなくて、だから私は少しでも関わろうと思ったのよ」
熱の篭った口調でユイは説明を終えると、我に返った様子で赤らんでいた顔を俯けた。アイラは彼女の素振りを見て、特に気遣うこともなく直球に質問した。
「ジェイルに好意を寄せているのですか?」
「…………そうよ。悪い? あーダメね。役者志望なのにこういうことはどうしても隠せないわ。助けられたときのことを思い出すとどうしても顔が赤くなっちゃう。馬鹿みたいでしょ」
アイラは特別な反応を示すことはなかった。無表情に機械的な口調を保ち続け、けれでもどこか苦しむように胸を摩った。
「表情が出やすい人間というのは親しまれやすいでしょう。悪いことではありません」
「あ、その……変なこと聞くみたいで悪いけど、アイラさんはジェイルと付き合ったりとか、……好きとか」
ユイが視線を泳がせるなか、アイラは思いつめたように重いため息をついて、その小さな手で胸を押さえた。
「恋情は……ありません。ワタシの心は愛や恋は分からない。真逆の感情から生まれたから。けれどもだからでしょうか。さきほどジェイルには言いそびれましたが…………ワタシはジェイルのことが、『羨ましい』のです」
アイラは吐き捨てるように言った直後、青く透き通った瞳を見開いて、自らの口を押さえた。
「……羨ましい? うーん……どうして?」
「いえ、すみませんでした。コヅカユイさんに話すべき話題ではありませんでした。忘れてください。」
アイラはそう言って完全に黙り込んでしまった。頬をピクリとも動かさず沈黙して、話が途切れてしまったころに部屋の戸が開かれる。
「戻ったぞ。選んだ紅茶に合わせて菓子作ってくれるってさ」
ジェイルがチェイサー、メイドと共にティーセットを持って戻ってくると、アイラは造り笑いを浮かべて言った。
「ジェイルも戻ってきました。本題に戻りましょうか」




