業火のなかで
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
誰もいない広い道を走り続け、ようやく残り数十メートルで狐塚ユイの家に着くというところで、――――夜闇に閉ざされた寂れた郊外に一発の銃声が轟いた。拳銃よりも重々しい破壊の音は少女を助けるべくと走り続けていたジェイルの耳にこべりついた。
「【浮遊】!!」
狭間の世界とは違い、この世界には魔素がない。そのため不用意に魔術を使えばすぐに体内のそれは空になってしまうと警告されていたが、使わないわけにはいかなかった。
アスファルトの地面を蹴り上げ、重力を無視して低空飛行でもするかのように、風を切り裂く勢いで少女の家の前にまで辿り着き、既にジャックがこの家に侵入していることを確信した。
「扉が開いてやがる……!」
不安。戦慄が駆ける。張り詰めた緊張が嗅覚を刺激する。すると脳内でジャックに殺されそうになったときのことが鮮明な映像としてフラッシュバックした。だが慄き立ち止まることはない。
ジェイルはすぐさま家の中に足を踏み入れようとした。しかしそのとき、歩みを止めるかのように二階から悲痛な声が響いた。
「痛い……いたいよ…………!」
ユイの声だった。その声と嗚咽には頭の中で何かが吹っ切れるほどの痛々しいものだった。
次の瞬間、ジェイルの胸のなかをドス黒い感情が蠢いた。ピシリと――体内の魔素が乱れる。が、その僅かな暴走で研ぎ澄まされた五感によってジェイルとアイラは数秒後に起ころうとしている惨劇を誰よりも早く予期することが出来た。
「ジェイル・シルヴァー! 今すぐ上に逃げなさい!」
アイラが淡々と、しかし鬼気迫った様子で声を上げた。ジェイルは声に従い、自身の体により強い【浮遊】を付与する。体内に備蓄された魔素が重力よりも強い浮遊力を作り出し、体は一瞬にして宙に浮かび上がった。
そして、悲鳴の聞こえた部屋の窓を覗いたとき、一人の少女が虚ろな目をして倒れている姿と、恍惚として猟銃を向けるジャックの姿が目に入った。
ふつふつと湧き上がっていた怒りが、今この瞬間与えられた視覚情報によって抑えきれないほどに膨れ上がった。周囲に魔素が無いためか魔力の暴走は体内のみに発生した。大きく見開いていた眼から色の無い血液が流れ出す。だが、そんなことは関係なかった。
ジェイルは文字通り喉が張り裂けん勢いで叫び、唱えた。
「【硬化】!!」
その魔術が行使されるのと家の一階から爆発が生じるのは全くの同時であった。大地を揺らすほど衝撃が空気を伝い脳を揺さぶり鼓膜を破く。
爆発の発生現場と思われる1階部分は窓ガラスはもちろんコンクリートの壁さえも粉々に砕き、二階にもその衝撃は轟いた。花火のように硝子片が散らばり、薄暗い夜の闇を頭痛がするほど眩い紅蓮の炎に煌めく。
黒煙と砂塵が宙を舞い、半壊した壁や支柱では上の階や屋根を支えきれずに轟音を響かせながら崩壊していくなか、ジェイルはまだ形を保っている二階のその部屋に飛び込んだ。
つい一秒前までは綺麗で整っていたはずの部屋も、今は爆発の衝撃によって家具が倒れ、はたまた砕けていた。壁と床の一部分が崩れ階段との境目もなくなり、その破片が床一面に広がっている。
パチパチと火花を散らし煙を生み出しながら煌々とした業火が近づくなか、ジェイルは瓦礫に埋もれてしまったユイを抱えあげた。黒い髪が、華奢な腕が重力に従ってだらりと垂れる。
「…………」
彼女は生きていた。呼吸も心臓の鼓動もある。間に合ってよかった。しかしまだ安堵することは出来ない。ジェイルは顔面の筋肉を痙攣させ、額に深い皺を寄せながら目の前に佇む敵を一瞥した。
その男は……ジャックは爆発のダメージによって顔の皮膚は焼け爛れ、飛び散った支柱の一部分が腹部に深く突き刺さり貫通していた。服は尋常ではない量の出血で真っ赤に染まり、彼の立つ場所に血溜まりが作られていた。
しかし痛みに悶えることも無く、ただ落ち着いた様子で棒立ちし、その双眸は燃え上がる炎よりも恐ろしい残光を帯びて、夜闇に潜む肉食獣のごとく輝いている。
「あのスプレーか。彼女は……狙ってやったのか? それとも神様とやらが奇跡でも与えたか? まったく大したものじゃあないか」
ジャックの声は怒りも悲観も篭ってはいなかった。あるのは強迫概念に等しい殺意のみで、彼の体内に残っている魔素が暴走しているようだった。瞳の光が揺れ動くたびに、部屋に充満する煙と炎が退いていく。
「少しでも動いたらお前を撃つ。この距離だ。絶対に外さない。下がれ! ジャック!!」
ジェイルは瞬き一つせずにジャックを見据え、拳銃を構えた。
――――仮にジャックが【治癒】の魔術を使えたとしても、もう助からないことは明らかであった。明らかな魔素の欠如。そして今も僅かな時間のうちに暴走により体内中の魔素が外界に排出されていた。意識して魔術を使うにはあまりにも足りない。
「…………」
熱がじわじわと皮膚を焼くなか、燃え上がる火炎の音だけが響いていた。緊張は頂点に達し、鋭敏な神経が張り巡らされる。まるで互いの脳天に銃口を突きつけているような感覚だった。
――――酷く長い数秒だった。ジャックはその顔に底の見えない影を差すと、悠然として言った。
「……試してみる価値はある。わたしの刃よりも……君の、いや、君とその拳銃が一手早いかどうかを…………」
再びの沈黙。二人は戦火に赴く軍人のごとく顔を引き締め、殺意と覚悟の入り混じった瞳で両者を睨んだ。
次の刹那――――ジャックは残っていた魔素の全てを一本のメスに注ぎ、ジェイルの首元に狙い済ました一撃を放った。対してジェイルはただ淡々と引き金を振り絞った。視認不能な速度で放たれた弾丸と刃がぶつかり合う。
轟々と炎の音とあらゆる物が崩れていく音が絶え間なく響き続けるなか、教会の鐘のような荘厳な金属音が広がり――――弾丸はメスを打ち砕いてジャックの心臓に吸い込まれた。
噴き上がる鮮血が床一面を濡らす。焦げるような臭いと鉄臭さが混ざり合うなか、ジャックはその場にバタリと倒れると、口から血を垂らしながらかすれ声を発した。
「……君達は、天国があると思うかい?」
「あったとしてもお前がこれから行くのは地獄だ」
ジェイルがまもなく死ぬであろう彼を見下ろしながらに答えると、アイラは自らに言い聞かせるように呟いた。
「恐れる必要はありません。ただ眠るだけです。いずれ目を覚ますでしょう」
「……最期に、いいことを……えて、あげよ……う。メイザスは…………信じている。死者の世界を。蘇りを……死をも超克する――――力を」
その言葉を残して、ジャックは二度と動かなくなった。いままで彼が抑えていたのだろうか、不意に部屋にこれ以上居座るのが不可能なまでに炎の勢いが強くなる。
「ジェイル・シルヴァー。感傷に浸る時間はありません。脱出しましょう」
ジェイルはその言葉に頷きを返すと、二階の窓から飛び降りるように部屋を離れた。着地する直前、以前やったように地面に銃弾を撃ち込んで衝撃をゼロにしてアスファルトを踏み締めた。
「……チェイサーのところに向かおう」
ジェイルはそう呟くと、毅然とした態度で来た道を引き返して行った。
――――ジャック・シッカートは死亡した。
敵は……【金の十字架派】は残すところメイザス・ダロウェイただ一人である。




