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狭間の国のメモラビリア  作者: 終乃スェーシャ(N号)
一章:奇妙な訪問者
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闖入者の来訪

 ――――徒歩で帰宅する人などアメリカではそうそういない。高校にもなれば車を自分で運転し、登下校の交通手段として使う。だがジェイルは例外であった。


 お前は車に乗るなと言われ、十数キロほど黙々と歩き続け帰宅することを強制させられているのだ。学校が終わるなり歩いて帰宅する様を、皆は面白そうに馬鹿にするが、それももう慣れた。


 唯一、狐塚ユイだけは馬鹿にせず、疲れたらいつでも車で送るよ、と心優しい提案してくれるのだが、もし同乗を目撃されれば、バイロンが何をしてくるか堪ったもんじゃない上に、色々とよろしくない噂が立つのは必然であるため彼女の好意には頼れなかった。


 広々とした道を、車が悠々と通り過ぎる中、ジェイルは郊外にある一つの家を見て嘆息した。二階建てで庭付きの煉瓦造りの家だ。


 日本人からしてみれば随分な豪邸らしいが、この国では比較的普通の家だろう。


 ジェイルは大きく息を吸って、鼻から吐くと、見るものが同情しそうなほど焦燥と不幸に満ちた表情を浮かべて、その家の鍵を空けた。


 ガチャリと僅かな音が鳴った直後、響くのはヒステリックで姦しい怒鳴り声だった。


「やいジェイル! あんたの所為でうちの可愛いバイロンがテストで低い点を取ったそうじゃないか! おまけにあんたの飼ってるイエローモンキーの所為で恥掻いたって!!」


 耳を苛む甲高い声と共に、バイロンの母である金髪デブの不細工は激昂してジェイルの胸倉を掴み、挨拶でもうるかのように頬に一発、握り拳を繰り出した。


 骨と頬の境目と上顎を中心にして痛みと衝撃が走り、脳が酷く揺らされた。口のなかでは歯との接触によって出血したのか、随分と血の味と鉄の臭いがした。


 殴られたことは何度もあったが、それで痛みが緩和されるはずもなく、苦痛に声を上げそうになるのを必死で堪えた。……声を出すともう一発殴られるからだ。だから反論も意見も許されない。


「この醜い糞餓鬼が。本当殺してやりたいよ。てめえは親にも存在を拒否されるような、どうしようもないゴミだ! 分かったらさっさと物置で引き篭ってな! このウスノロの疫病神が!!」


 女はそう言うと、ジェイルを床に叩き付けるようにして投げ飛ばした。バイロンに蹴られた脚やまだ治っていない怪我が共鳴するように鈍い痛みを走らせる。


 声を押し込めた代わりとばかりに目が潤んだ。それでもジェイルは亡霊のように力無く立ち上がると、言われた通り物置へ向かった。


 物置は階段下の小さなスペースを使って造られたもので、広さは二人用テーブル三つ分程度で、部屋は机とベッド代わりのソファで埋まっている。


 路上で寝たことなら何度もあるが、生まれてこのかたベッドで寝たことはない。それに私物は持つなと言われているのでベッドと机、本当に最低限の筆記用具以外はなにもない。


 窓は昔あったが、脱走を企んだために鉄格子が付けられた。その後、格子を挟んでユイと会話しているところを見られて以来、窓は消えた。ご苦労なことにお手製の壁が造られた。


 外が見れず、オマケに時計も無いため時間が分からない。そしてトドメとばかりに、物置に入ると外から南京錠を掛けられるので密室となるのである。これではまるで牢獄である。


 ジェイルはやることもなくソファに腰を下ろし脱力した。皿洗いのときに呼ばれるが、このとき寝ていると一週間は飯がなくなるため、ただ惚けるようにして、天井と睨めっこを続けるしかできないのである。


 …………本当にただ呆然と天井の小さな凹凸を眺め続けること数時間後、皿洗いに呼ばれて南京錠が外されたので、リビングへ向かった。


 しかし放送されるはずの番組が中止になったという理由でバイロンの父親……金髪デブに殴られ、頭をぶつけ、その際に皿を割ったがためにバイロン本人に腹部を蹴られた。


 口のなかの出血が増し、内蔵が揺らされて吐きそうになった。オマケと言わんばかりに夕食は空気と自家製の血のみである。


 いや、最近あまりにもひもじくなって爪と指の皮を少しだけ食べる癖がつき始めているから、それもだろう。食べるのは手のだけだ。足はさすがに食べない。


 ……まぁ、飯があったとしても合計金額4ドルもしないようなものしか渡されないのだ。あってもなくても変わらないだろう。と、何度も自分に言い聞かせながら物置に戻り、ソファに寝転んだ。


 このまますぐに寝てしまえば指を食べるような真似はしなくて済むが、口のなかの傷口が気になって舌が勝手に動き回った。ざらざらとした傷口の感触が不快だった。それに気付けば4箇所も口内炎が出来ていた。


 ジェイルは世の中に絶望しきった力の無い息を吐いて、目を閉じると同時に自らの腕で視界を覆った。長年不眠に苦しんでいたが、こうするとまだマシな程度に寝れるようになった。


 早く寝たかった。……夢を見ることだけが、もはや唯一の癒しとなりかけていた。悪夢を見ることは多いが、それでも、夢のなかならば幸せな生活ができている気がしたのだ。


 ――――数時間が経った。具体的な時刻は分からないが深夜に間違いはない。バイロン父に殴られた場所が時間が経つにつれ痛みを増し、とてもじゃないが眠れずにいたときだった。


 本当にそれは何の脈絡もなかった。突然、ドン! と何かが破裂するような音がした。


 何が起きたのかと思ったが、部屋に鍵をかけられているため、ジェイルはどうすることもできずに、ただソファに寝転んだままジッと扉を眺めていた。


 するともう一度、重い金属的な衝撃音が夜の静寂を切り裂くようにして轟いた。


 ……銃声だ。


 随分と近い。この家の外……玄関の辺りから聞こえているのではないだろうか。


 バイロン達はこの音で目を覚ましたのか、物置の真上、階段をドタドタと降りる振動が伝わってきた。天井から埃が舞いジェイルは咳き込みながら状況把握に勤しんだ。


『ピーンポーン!!』と場違いな家のチャイムが何度も鳴り渡る。しばしの静寂。玄関から緊張が滲み、ジェイルは心臓を高鳴らせる。


「こんな時間になんだと思ってるんだ! 警察呼ぶぞ!! 入ってきてみろ! このショットガンでてめえの胴体撃ち抜くぞ!!」


 バイロンの父が怒鳴り声を発した。数秒の沈黙をおいて、どこか懐かしいような、しかし聞き覚えのない声が耳に入った。


「うん。じゃあ入りますね。ショットガンなら問題ないし」


「はっ?」


 あまりにも落ち着いた、しかし意味不明な返答に、素っ頓狂な声を誰かが零した。するとまもなくして、ガチャリと鍵の開く音と扉が開く音が聞こえた。


 それと同時、バイロンの父が持っていたのであろうショットガンが火を噴く音がした。ビリビリと壁越しでも銃が生み出す破壊の衝撃が伝わってくる。ジェイルは無意識のうちにソファから起き上がり、鍵の閉められた扉から聞き耳を立てていた。


 再び音が聞こえなくなった。深夜の闖入者は銃口から放たれた散弾によって死んでしまったのだろうか。いや、そんなことはなかった。


「な、ななな! なぜ銃弾を受けて平然として!! ヒィ!」


「受けてない。空気が銃弾を止めたんだ。そして無力化した。わかる?」


「わ、わかるか!? 頭がおかしいのか! 意味のわからんことを言うな! 不法侵入だぞ! 誰だお前は!」


「そんなこと後でいいじゃないですか。まぁそんなことよりもさ。んーと、ジェイル・シルヴァーってここに住んでるよね。どこ?」


 突然の名指しにジェイルは驚いて扉から後ずさった。しかしその際、近くの壁を蹴ってしまい、ゴンと小さな音が鳴った。それはこの状況ではどんな音よりも響き渡っていた。


「こんな物置にいるのか。それに鍵が閉まってるじゃないか。彼悪いことでもしたのかい?」


 それに対する返答はなかった。ただ淡々と、扉に歩み寄る足音が近づき、やがて床に金属が落ちる音がし、閉ざされていた物置の扉が開いた。


 その男はバイロンとは違い爽やかな金髪を揺らし、こちらにニコリと笑顔を向けた。


 その瞳は細く、どこか怪しげだ。それに随分と奇妙な……時代違いな服を着ていた。まるでシャーロックホームズのようなフロックコートにベスト、ボーラーハットを被り、右手には鋼色のリボルバー、左手はステッキを持っていた。

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