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狭間の国のメモラビリア  作者: 終乃スェーシャ(N号)
三章:魔術師は冷徹に笑う
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逃撃 その1

本当遅れて申し訳ございませんでしたぁ!! どうか許してくださいまし!

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 狐塚ユイは夕食のための買い物を済ませ、誰もいない家に一人帰宅した。


「……ただいま」


 それでも、もはや癖となっていた日本語での挨拶を暗闇にして、照明をつける。……ここ二週間、まともな食事はしていないし、授業も頭に入らなかった。


 彼女は不安に押し潰されたような表情を浮かべたまま、作業的な足取りでキッチンに向かう。ガスコンロを付け、鍋で水を沸騰し始める。


「…………本当、どの国でも警察って使えない」


 胸奥に隠していた鬱憤が漏れ、肉を切る包丁に過剰な力が入った。思い返してみると、留学をしてから良い青春を送れた自信がない。


 ――――高校と大学生活をアメリカでするために日本から留学した。しかし日本で抱いていたような暮らしはなかった。


 彼らはヒーローに憧れているのにやることは陰湿で、暴力的だ。結局はイエローモンキーだと笑われる。どの国も苛めというのは変わらない。


 ふと、鏡を見詰めた。そこには短めの黒い髪をした日本人が一人映っていた。海外の人達と比べると随分チビな奴で、見ているだけで嫌悪感がしたときもあった。


 しかし……ジェイル・シルヴァーに助けられてからは心が軽くなったのだ。そんなのは傷の舐め合いだ、と笑われもしたががそれの何が悪い。


 私は彼に救われた。アジア系特有の顔つきも、皮膚の色も馬鹿にせずに受け入れてくれた。自身がより酷い状況に追い込まれてもだ。


「どこかに行っちゃうなら一言言ってくれたら一緒に…………」


 少女は物憂いげに、胸が焼けるような想いを両手に力を込めて抑えた。


 ――――ジェイル・シルヴァーが行方不明になってから2週間が過ぎていた。警察はいまだ手がかりも掴めずにいる。バイロンの両親はあんな奴いなくなって清々すると笑っていたが、バイロン自身は予想外にも動揺していた。


 ……彼らの証言では、深夜頃に拳銃を持った男に攫われたらしい。知り合いなのかその男はジェイルの名を呼んだとも言っていた。あとの発言はやれ銃弾を止めただとか訳の分からない妄言であった。パニック状態だったのだろう。


『ピンポーン』


 不意に家の呼び鈴が鳴った。宅配が来る予定はないし、ジェイルの行方不明の手がかりを探す警官だろうか。……何か知っていたらとっくのとうに全部話しているというのに。


「はーい! 今出ます!」


 ユイは手に持っていた包丁をまな板の隣に置くと、玄関まで向かった。すぐに扉を開けようと思ったが、念のためチェーンを付けてから、ガチャガチャと鍵を開ける。


 数十センチほど開いた先にいたのは、一人の男性だった。目もとは落ち窪んでいて、清潔感のない無精髭を生やした不気味な男。浮浪者にも見えたが、そんな奴が家に尋ねてくる理由などない。


「…………ッ!? あ、いえ、すみません。こんな夜にいきなりだったもので。……どちら様ですか?」


「君……ジェイル・シルヴァーの友人だろう?」


 ジェイル・シルヴァーの名前を出されると、心臓が高鳴った。恐怖よりも、何か手がかりを見つけたかのような期待がぼんやりと浮かぶ。


「ジェイルのことを知ってるんですか!?」


「ああ。知っているとも。彼がこの世界にいなかった二週間どこで何をしていたかもね。彼を攫った人の名前も分かるとも。……知りたいかい?」


 ユイはごくりと唾を呑むと、その黒い双眸で目の前の男を見上げた。……怖い。だが、目の前の男が嘘を言っているようには思えない。嘘吐き特有の声色や仕草を感じられない。……知りたい。そして叶うのならば、ジェイルに会いたい。


「教えてください。ジェイルはどこにいるんですか? 生きてるんですか!?」


「ああ……教えてあげるとも。にしても……綺麗な髪と目だ。……肌も美しい」


 次の瞬間、体中を舐められ、視姦されるような不快感が全身をまさぐった。背筋が凍る。本能が訴えるのだ。今すぐ逃げろ、さもなくばお前は人間として生きることはできないと。


「ひッ……!」


 少女は恐怖に顔を引き攣らせながらも、即座に扉を閉めようと行動に出た。しかし男は扉が閉まる直前に足を挟み、それを拒んだ。


「そんなに怖がる必要はないじゃあないか。ジェイルに関する情報を教えてあげようとしているというのに……」


「離れてください! 警察呼ぶよ!?」


 それは決して脅しではなかった。これ以上なにかがあったらすぐにポケットに入っているスマートフォンで呼ぶつもりでいた。しかし目の前の男は警察という言葉を聞くと、むしろ面白がるように言うのだ。


「警察か。試してみるといい。君が助けを求めて実際に助けが来るのが早いか、どうしようもなく倒れて……その綺麗な柔肌が切り裂かれるのが早いかをね」


 男の血走った瞳が少女をクッキリと映し出していた。このまま何もしなければ殺されると確信させるようなおぞましさがそこにはあった。


 事実、その男はどこからかメスのような刃物を取り出すと、こちらの怯える様を嘲笑いありえないことにチェーンを一瞬にして切断した。


 勢いよく力技で断ち切ったわけではない。ただメスをゆっくりと撫で下ろしただけで、金属で出来ているにも関わらず、あっさりと切れ落ちたのだ。


 ギギギと立て付けの悪い音を響かせながら玄関扉が開かれ、男が遠慮なく玄関に足を踏み入れる。ユイは後退あとずさりしながらも、咄嗟に近くにあった金属製の靴べらを手に取り、本能のままに振り下ろした。


 だが、防がれた。男は靴べらをあっさりと掴んでいた。彼女は武器を取られないように力を振り絞ったが、少女の力が男性に叶うはずもなく、たやすく奪われ家の外に放り出された。


「いけない子だね……。何を怖がる! 大丈夫。痛みを畏れているのなら心配はない。痛覚は遮断してあげれるからね……」


「こ、来ないで!!」


 このままだとまずい。確実に最悪な未来が近付いている。逃げないと。どこから?


 思考が錯綜し、どうしようもなく脚が震えた。心臓は荒々しく脈拍を伝えていく。目の前の男は来るなと言っても聞く様子などさらさらなく、遠慮なく家に上がり、怯える様を楽しむようにゆっくりと歩み寄っていく。


「に……逃げないと」


「逃げる? どこへ? 試しに窓から脱出を試みてみるといい。わたしがその体に刃を入れるのとどちらが早いか競おうじゃあないか。無駄な抵抗は止したほうがいい。暴れられるとなぶり殺したくなるんだ。冬眠するカメみたいに大人しくしてくれれば、的確に手術してあげようじゃあないか」


 男がギラリと銀に輝く小さな刃を見せる。それは非現実的なことに金属さえも切り裂くことができる、あまりにも鋭利な凶器で、腹部や首を斬られれば間違えなく……助からないだろうと推測できた。


「死にたく……ない! 私は絶対に死ねるもんか!」


 少女は自らを奮い立たせるように叫んだ。本当は助けてと叫びたかった。しかしそう叫んだが最後、気丈に振る舞い涙を堪えるのが精一杯な現状を維持できなくなりそうで怖かった。もし涙を流せば目の前のサイコパスを喜ばせるに違いない。それだけは嫌だった。

 逃げるのが無理でも、まだ方法はある。武器だ。武器がいる。私の部屋にある武器が必要だ。……しかしそれを使えば、それを使えば目の前の人は死ぬ。私は人殺しになる。けれど、けれど何もしなければ殺されるんだ。

 奇跡を期待していては駄目なんだ。ジェイルには一度助けてもらった。なら、私は――――!!


「私は助けられたんだ! 二度と泣くものか!! お前を……ぶっ殺してでも生きてやる!!」


 少しだけ嘘をついた。人殺しをする勇気も、人殺しを躊躇いなくできるほど荒んでしまった精神も持ち合わせてはいない。だからどうか神様……私の願いを聞いてください。


 ――――どうか私に勇気をください。

 どうか私に…………人を殺す覚悟をください。

 私は死にたくない。この体を汚されたくもない。


 だからどうか私に…………人を殺す覚悟をください。

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