迫る刃
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……周囲を見渡せばそこはアメリカの郊外、見慣れた一角であった。こちらの世界も今は夜のようで、薄暗い空が覆っており、辺りは酷く閑散としていた。
狭間の世界と時間が同じならば、まだ深夜ではない。が、やはり外灯の無い場所は夜のとばりが下りていた。地平線まで伸びる道路の脇には点々と家が立ち並んでいる。
チェイサーは周囲を警戒し、視認できる範囲に敵がいないことを確認するとバイロンの家がある方向を指差した。
「僕は彼の居場所なら分かる。けれど君が助けたい人の位置は分からない。だから手分けをしないかい? 嫌ならどちらかを優先しよう。手分けしての行動にはリスクが伴うからね。より死なせたくないほうを選ぶのは致し方ない決断さ」
どちらかを優先するならば迷いなく白ブタは切り捨てるが、両方助かる可能性をみずみず切り捨てることはしたくなかった。優柔不断、偽善。どうであろうと構わない。
ジェイルは爛々と目を光らせて、チェイサーに背を向けた。
「手分けしよう。……させてください」
「構わない。……死なないでくれよ? エドワードとリティシアに怒られてしまう」
「分かっ――――」
「ワタシが死なせません。命令は絶対厳守です」
ジェイルの返答を妨げて、アイラがしっかりとした声で答えた。チェイサーはその様子を見て呆れ笑いをしながらも、真剣な眼差しは依然として保ち続けていた。
「君の助けたい人と合流できたら、ここに戻って来てくれ」
「分かった。それじゃ急いで向かうぞ。アイラ」
チェイサーに背を剥け、ジェイルはアスファルトの道を蹴り飛ばすように走り出した。この世界でも夜は実に静かだった。どこを見ても暗く、異質な静けさが一帯を支配していた。そんな静寂を嫌ってか、不意にアイラが声を発した。
「――ジェイル、助けようとしている人物はどのような人なのでしょうか? あなたの義理の親のような方だと正直な話、視界に入れたくもないのですが」
「そういえば俺のときも視界に入れようとしなかったな。大丈夫、バイロン共と違っていい奴だから。俺の恩人みたいなもんだ」
狐塚ユイがいなければ、本当に孤独な状態になっていた。どれだけ助けられたか分からない。人格がさほど歪まずに済んだと自己判断できるのも彼女のおかげだろう。
「そうなのですか。しかしワタシも既にジェイル・シルヴァーの恩じ…………。走るのを止めてください。すぐ近くから血の臭いがします」
アイラの突然の発言に、ジェイルはピタリと足を止めた。周囲を見渡すが、近くにあるのは庭付きの、それなりに大きな一軒の家だけだった。部屋は灯りはなく、留守のように思える。
「……そこの家からか?」
ジェイルには彼女の言う臭いを感じ取ることはできなかった。それでも瞬時に、猟犬のごとく体を強張らせ、いるかもしれない敵を警戒し、額に皺を寄せる。
「嗅覚に障るような、鉄の臭いがします。家の中からです」
「分かった。……警戒して行こう」
ジェイルはいつでも発砲できるようにしっかりと拳銃を握り締めると、目を凝らしつつゆっくりとその家に歩み寄っていく。その距離およそ8メートル弱にまで迫ったとき、ピシリと嗅覚が危険信号を上げた。……甘いような臭みがかった鉄の臭い。紛れもなく血であった。
ジェイルはごくりと唾を呑み込んだ。足音を最小限に抑え、しかし迅速に玄関扉まで歩み寄る。そしてピチャリと水音を靴底から鳴らした。
ハッとして地面を見ると、そこには黒い水溜りがあった。いや、夜闇で黒く見えるだけで、それは赤く滴る血であった。玄関扉の隙間からは血が川のように流れているのだ。
まともな出血量ではなかった。もし生きているならば放置すれば間違いなく死亡するほどの、もしかしたら既に手遅れなレベルまでに鮮血は溢れ出ていた。
「やばいぞこれ。すぐに入るぞ」
ジェイルはドアノブに手を触れ、押し開けた。鍵は掛かっていなかった。建物のなかは全て電気が消されており、奥のほうは暗闇そのものであったが、むわりと腐臭が漂っていることだけは分かった。嗅覚、触覚、味覚を舐め回すような、不快極まりない感覚で、目が酷く滲んだ。
扉の向こうにまで血を流していた者は、玄関から少し離れた場所で、壁に寄り添うようにして死亡していた。彼からも腐ったような臭いはしており、どこから入ってきたのか、既にハエがたかり始めていた。
「うぐっ…………」
ジェイルは口を抑え、腹の奥から酸が這い上がってくる衝動を堪えた。
「首を切られたことによる失血死ですね。死後数分でしょうか。切り傷の形からしてジャックだと見て間違いないでしょう。固定化の付与もされてないように思われます。この世界では魔素の補充が不可能に近いからでしょうか。それとも男だからでしょうか。ともかく急ぐべきだと考えます」
アイラはこんなときでも冷静だった。もしかしたら内心では怯えの表情を露わにしているのかもしれないが、拳銃の姿では声しか分からない。少なくてもその声はいつものように淡々としていた。
「ジェイル・シルヴァー。この建物には死人しかおりません。すぐに移動しましょう。切り裂きジャックはすぐ近くにいます」
「ああ…………急がないと」
玄関で殺された奴は、狐塚ユイのことを知っている。ジャックが彼女のことを知ってしまった可能性は否定できない。それに手当たり次第に殺しているのだとしても…………ここから彼女の家まで近すぎる。時間がない。
ジェイルはすぐさま家を出ると、呼吸をするのも忘れるほどに全力で道路を駆け出した。




