現界進出
単純な奴だと嘲笑うように、アイラは含み笑いを浮かべた。実に自然で柔らかな笑みだった。
「ワタシに下された命令に他人を救うことはありません。ワタシはジェイルが行くことに反対します。しかしまた無理矢理にでも行くと言うのであればワタシも連れて行ってください」
そう言って彼女は手を伸ばした。小さく美しい手だった。ジェイルはごくりと唾を呑み、その手をしっかりと握った。直後、部屋を白い光が包み、柔らかな感触は金属質で無骨なものに変わる。手にずしりと、銃器の重みが伝わった。
「オーケー。僕は認めよう。ジェイル、君の友人や関わりが深い人は何人いる?」
「一人だ。いや、……バイロン共を含むなら四人。もしあいつらも狙われるなら俺は助けたい。ざまあみろの一言で見殺しにできるほど、俺はあいつらみたいに完成した人格はしてねえんだ。同じになりたくない」
チェイサーは少しばかり意外そうに目を大きく開き、だがすぐにニコリと口角をあげて、両腕を仰いだ。
「……君は強いね。思っていた以上に。きっと誇らしく思うだろう。……ゴホン! 銀の鍵には定員がある。全員で進軍は残念だけど不可能だ。僕とジェイル、それとアイラが向かう。三人は拠点を頼んだよ」
「晩餐はあとだな。チェイサー、戻ってこなかったらお前の分まで食べるからな。ちゃんと戻って来いよ? ジェイル、アイラ。お前達もだ。私は太りたくないからちゃんと戻って来い」
ブロウワーが手を振るなか、チェイサーは銀の鍵を捻った。
――――ピシリと、軋むような音がした。チェイサーの手に握られた鍵を中心にして、空間に亀裂が走った。魔素が視認できるまでに密集し、玉虫色の輝きを見せる。やがて、ぼんやりと巨大な木製扉が現れた。隙間風が吹き付ける。
鼻が懐かしさを感じた。向こうの世界は実に二週間ぶりだろうか。ゆっくりと扉が開いていくにつれ、鋭く、先の見えない閃光が扉の向こうから入り込んでいた。
ジェイルは拳銃を強く握り締め、チェイサーと共に扉の先へと――――向かった。背後で、バタリと扉が閉まる音が鳴り渡った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
満月の光と家から漏れる明かりが周囲を照らしていた。アメリカのとある郊外で、ジャックは点々と立ち並ぶ家を見据え、適当に一つを選ぶと、その家の玄関扉を数回ノックした。
静寂のなか、コンコンと音が響く。無反応であれば、ジャックはノックの音を強めた。窓から照明が漏れている以上、中に誰かがいるのは明白である。
やがて鍵を開ける音が鳴り、中から一人の青年が姿を見せる。彼はバイロンの取り巻きの一人であった。
「こんな時間になんなんだ? また警察か?」
「……? いえ、一つ尋ねさせて頂きたいことがありましてね。手当たり次第に質問しているんですよ。この辺りにジェイル・シルヴァーという男が住んでいるだろう? 彼の友人の家が知りたいのだよ。君は知らないかい?」
ジェイルの名を聞くや否や、男は動揺を露わにして声を荒らげた。
「おれは知らねえぞ! あいつが行方不明になったのだって全部バイロンの所為だ! 帰ってくれよもう! 警察だのなんだのとしつけえんだよくそが!」
男は罪悪感と怒りの入り混じった面構えをすると、勢いよく扉を閉めようとする。だが、ジャックは足を挟みこんで扉が閉ざされるのを拒むと、男の首筋にメスを突き付けた。少し触れただけで刃を沿って血が一滴、地面に落ちる。
「おっとぉ! 動かないでくれよ? 動くとわたしのメスが君の動脈を手術してしまうかもしれない……。君はジェイル・シルヴァーを知っているようだね。なら彼の友達が誰で、どこに住んでるかも分かるだろう? ……早く喋ってくれ」
倦怠の影でくぼんだ瞳でジャックが睨みつけると、男は怯えで瞳を揺らし、焦燥しきった様子で震える声を発した。
「だ、誰なんだよお前……?」
「疑問文に疑問文を返す馬鹿がいるとは……まったく驚きだよ。次はないぞ? さぁ言え。わたしだって好きで人殺しになりたいわけじゃあないんだ」
メスを持つ手に僅かに力を込める。刃と脆い皮膚が接する面積が増え、さらに数滴暖かな血液が滴り落ちた。男は慌てて思考をめぐらし、ジェイルとよく一緒にいた女の姿を思い出す。
「ジェイルは…………コヅカユイって女と仲が……よかった……です。日本人で、黒髪の女で、そこの道を南に1キロぐらい進むと……家があります」
「そうかそうか。ありがとう。これでジェイル・シルヴァーの友人を殺すことができる……。女か。この世界の女は……どんな味だろうか。実に楽しみだ。……ああ。情報提供感謝するよ。お礼に苦しまずに殺してあげよう」
ジャックは優しく微笑むと、首筋に当てていたメスを撫で下ろした。大した力は掛けていない。それでも柔らかな首の皮を掻っ切るには充分過ぎる鋭さで、パックリと血管が切り裂かれる。血は一滴足りとはでなかった。
男は叫び声も出せずに自身の体に起きた異変に戦き尻餅をつくと、ぼろぼろと涙を流し始める。そんな彼を見て、ジャックは淡々と語りかけた。
「ジェイル・シルヴァーの友人は最優先に処分する。仕事だからね。これも仕事さ、皆殺しの前段階の……。本当に申し訳ないと思っているよ。だから君は痛みのない世界で安らかに殺してあげよう。人の終着点は死だ。絶対に抗えない。痛みなくそこに達することができるならば……最期は幸せじゃあないか?」
ジャックはこれから死ぬ男を丁寧に廊下の壁に寄り添わせると、その家に上がりこんだ。まもなくして、――――その家から灯りが消えた。
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