最悪な日常
一章:奇妙な訪問者
アメリカの、とある高校の食堂……一番隅の席にその少年、ジェイル・シルヴァーはポツンと座っていた。
時刻は昼時で、ジェイル以外の皆は仲良く雑談をしながら昼食を取っている。
ジェイルはそんな光景を羨ましそうに眺めていたが、やがて琥珀色の瞳はテーブルに置いたハンバーガーに視線を戻した。ふわりと暑い夏の風が吹くと、灰色に黒と白が混ざったような世にも珍しい髪が揺れる。
……忌ま忌ましい髪だった。他にこんな髪をした人はいなかった。染めていると勘違いされることも多く、どこにいても過ごしづらい。こんな髪を遺伝させた親の顔を見てみたいと何度考えただろうか。
そんな憤りを一人噛み締めていると、背後から敵意に満ちた声が響いた。
「おいジェイル。その燃えカスみてえな髪の所為でテストに集中が切れたじゃねえかよ」
そんな訳の分からない言い掛かりをつけたのは金髪でぽっちゃりデブな男、バイロンだった。
バイロンは数人の仲間を引き連れてこちらに近付くと、手に持っていたマスタードを、ぶりぶりと不快な音と共にハンバーガーに垂れ流し始めた。それはパテが黄色で塗り尽くされるまで続いた。
当然ながらそこまでマスタードを掛ければまともに食べれるものではない。……まぁ、パテ以外を食べればいい話ではあるが、それでも嫌がらせ他ならない。
ジェイルは舌打ちをして睨み付けると、バイロンは周囲の奴らと一緒に馬鹿笑いをした。
「おいおい怒るなよジェイル。親切でやってあげたんじゃないか。それともなんだ? 文句あるのか? あー、親に捨てられたお前を誰が住ませてると思ってるんだろうな?」
彼らの嘲笑に対し、ジェイルは不快感を露わにして眉間に皺を寄せたが、怒りを堪えて何も言うことなく押し黙った。
「ッチ! しらける奴だな。もっと面白い反応してみろよ!」
バイロンは唾を撒き散らすと、その巨体を支える足でもってジェイルの脚を蹴り付けた。根棒で殴打されたかのような痛みが走り、ジェイルは思わず脚を押さえ、呻き声を上げた。
「はは! 似合ってるぞジェイル。お前はそうやって顔を下げて呻いてるのが一番だ!」
バイロンが手を叩いてより一層愉快げに馬鹿笑いすると、周りにいた奴らも便乗するように隙だらけのジェイルの腹部などに蹴りを叩き込んだ。痛みと衝撃が何度も走り、嘲笑が耳に障る。しかし反撃することもできずに、歯軋りをして堪え続けていると、不意に凜とした声が響いた。
「何してるの!? 止めなさい!!」
声のする方に視線をやると、そこには短めの黒髪を揺らし、くっきりとした黒い瞳をした少女……狐塚結依がいた。留学生としてこの学校に通っている日本人で、身長など他の誰と比べても小柄であるがために、逆に目立つ。こんな状況に首を突っ込めるのも正直異常だ。
バイロンは威圧的な態度で睨み付けるも、ユイが動揺することはなかった。それどころか彼女は毅然とした態度で仁王立ちをして睨み返した。その眼力は、幼げな顔に似つかない猛禽類のような鋭く、恐ろしいもので、周囲の奴らはみっともないくらい萎縮した。それでもバイロンだけは依然として態度を変えることはなかった。
「なんだイエローモンキー。お前は関係ないだろ? それとも猿だからキィキィ噛み付かないと気が済まないのか?」
「私が黄色い猿ならあんたは白豚。そろそろ出荷されそうなくらい太ってきた?」
バチバチと二人の間に稲妻が走っているように見えた。バイロンの取り巻きや普通に昼食を取っていた生徒も息を殺して一連の状況を見届けようとしている。
しかし、この騒ぎを訝しげに眺めている教師の存在に気付いたのか、バイロンはもう一度舌打ちをすると、踵を返した。そして去り際にユイの顔に唾を吐き捨てると、怒気の篭った声で言った。
「目立ちたがり屋の糞女が。ざまぁみやがれ」
ユイは表情も変えずに、ウェットティッシュで唾を拭き取ると、そのちり紙をバイロンに投げ付けながら言い返した。
「お返しするわ。自分の排泄物ぐらい自分で片付けたら? 家畜じゃあるまいし。そうそう、日本では、こいつは俺の物だってアピールすることを唾を付けるって言うの。もしかしてそれを実践してくれたのかしら? だとしたら先に断っておく。ごめんなさいね」
バイロンはしばし足を止めて、苛立ちに体を震わせていたが、近くにあった椅子を蹴り飛ばすと、その場を後にした。
事が終えると彼の取り巻きもガヤガヤと騒ぎながら適当に解散していく。そんななか、ユイはさきほどまでとは一転して、しおらしい少女の顔になると、不安げにこちらの顔を覗いた。
「……凄い蹴られてたけど大丈夫? 私が来たからもう平気?」
「あぁ。みっともないところ見せちまったな」
ジェイルはそう言って服に着いた泥を取り払うと席に着いた。ユイはテーブルを挟んで向かい側の席に座ると、バイロンに対する愚痴を零し始めた。
「あいつ本当最低。本当はジェイルのほうが腕っぷし強いのに意気がっちゃってさ。あんな殴る蹴るしといていざやり返されるとチクるんでしょ? 親に」
「もう慣れたさ。飯抜きも軟禁状態になることもな」
こんな目に合うのも全て両親の所為だ。…………親がまだ赤ん坊だった俺をあいつの家の前に捨てたからだ。おかげで365日24時間いつでも奴隷以上召使い以下の扱いを受け、おまけに何か少しでもバイロンや彼の親の機嫌を損ねると面倒事は避けられない。よく殴られ、真冬の夜中に家の外に出されたりもした。
「……本当に大丈夫?」
ユイが表情を曇らせて、深刻そうに尋ねる。
「あ、あぁ! 平気だ! 平気だとも」
とは言ったものの。正直な話、実際はもう詰んでいた。手を出せばさらに状況が悪化したというだけで、バイロンが今日不機嫌で、こちらに八つ当たりした時点で、帰宅後の処置が最悪であることはおそらくだが……揺るがない。