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【硬化】

「チェイサー、落ち着くんだ。今この場で怒ってもどうにもならないことは分かっているだろう」


 ウォッチャーの年季を重ねた威厳のある声が響いた。彼はチェイサーの隣に歩み寄ると、コートのポケットから煙草を一つ取り出して、チェイサーに手渡す。


 チェイサーは受け取ったそれをまじまじと凝視していたが、やがて脱力するように大きなため息をついて、煙草をポケットに入れた。


「…………ありがとう。落ち着いたよ。……彼女を弔ってくる。せめて最後に、彼女に言葉をかけてあげてくれると嬉しいよ」


 チェイサーの発言を聞いて、一番に棺の元に駆け寄り、座り込んだのはメイドだった。


 彼女は自らの赤髪をアベンジャーに見せると、懐かしむように語りかけた。


「私の髪を嫌わずに、綺麗って褒めてくれたのは……アベンジャーさんが最初なんですよ? ……私は死んでもあなたのことを忘れません」


 ウォッチャーも同様にして、床に膝をついてしゃがむと、愛娘(まなむすめ)を褒める父親のように優しく声を掛けた。


「……よく頑張ったな」


 ジェイルは自身の背後で棒立ちしているアイラに視線をやった。彼女が何を考えているか分からない。


 揺れる白い髪。深い蒼の瞳は哀愁を纏っていたが、彼女だけは文字通り一切表情を崩さなかった。


「アイラは……何か言わなくていいのか?」


「死は眠っているだけだとワタシは考えております。エドワードの影響でしょうか。ですから、眠っているならば……静かに見守ってあげるべきだと思考します。それに、ワタシは不完全です。誰が死のうとも決して涙を流せない。流さないのではありません。流せないのです。当然といえば当然ですか。拳銃が流せるものなど血と硝煙だけですから。……ジェイル、あなたはアベンジャーと話さないのですか?」


 アイラは珍しく長い言葉を発した。いや、嫌われているからあまり話そうとしてこないだけかもしれない。しかしその内容は自らを卑下し、死を拒絶する儚げなものであった。


「俺は遠慮する。……だってよ、部外者も甚だしいだろ」


「そうかもしれません」


「俺は少し調べたいことができたから書斎に行かせて貰う」


 何かぼんやりとしたものがふつふつと湧き上がっていた。無意識のうちに作っていた握り拳に爪が食い込み、ぽたりと暖かな血が滴っていた。


 ……確か、新聞があったはずだ。チェイサーは民間人の被害も出ていると言った。記者に撮られなくてよかったともだ。ならばあるはずだ。ジャックとやらについての記事が。


 チェイサーが棺を下の階へと運んでいくのを見届けてから、ジェイルは覚悟を決めた足取りで書斎へと向かった。大量の本が積まれたデスクの隣、新聞ラックから無造作に、手当たり次第に新聞を取り出し、見出しを見ていく。


 あんな惨い殺し方……見つかれば確実に一面を貼れる。絶対にあるはずだ。このまま何もせずに、訓練だけを続けるようでは駄目だ。何かしなくては…………。


 ジェイルは血眼になってその記事を見つけた。一面には白黒の写真で女性の死体が写り込んでいる。粗い画質でもハッキリと汲み取れる被害者女性の絶望と恐怖。腹部は解体され、写真では真っ黒に染まっていた。そして、こう書かれていた。



『切り裂きジャック再び。これで被害者は5件目。大通りには被害者女性の血で、“【暁の星】よ。この悲しむべき死はエドワードの子と白銀の髪の女を差し出すまで終わることは無い”と殴り書きされていた。また死体が持っていた手紙には、“地獄から。ミラー・ジェーン・ケリーへ。あなたの腎臓は後でじっくりと調理してから戴きます。神よ。わたし以外に血の通う生物を作ってくださったことに感謝致します。そしてどうか、あなた様のお造りになったものを手に掛けてしまったことをお許しください”などと書かれていた。警視庁スコットランドヤードは犯人が複数犯であることを断定した上で――――――』



 ジェイルは歯を食い縛り、刃物のように鋭利な眼光で窓の外を睨んだ。外には帝国時代のイギリスのような、産業革命の波に呑まれたかのような建物が乱立している。朝、目が覚めたときは快晴だったはずなのだが、気付けば空を暗雲が覆い、滝のように雨が降っていた。まるで外にまで憂鬱な空気が漂っているようだった。


 しかし、沸き立つのは悲哀ではない。怒りだ。燃え上がるような激昂が、体の中に流れる血を熱するようだった。灼熱の怒りが胸の中を貫く。全身から静電気が発生するような刺激が皮膚を舐め、何かが焦げるかのような、殺意の臭いがした。


 手足にいまだ身に着けていた金属の塊がごとりと音を立てて落ちた。装着するための部分が気付けば粉々に砕け散っていた。


「……落ち着いてください。暴走しています」


 アイラは本を上下逆さに読みながら、ちらりとこちらに目をやっていた。普段彼女が本を逆さにするなんてことはない。感情を表に出さないだけで、動転しているのだ。


 そう思うと余計に何か重いものが圧し掛かった。手足につけている金属など比ではないほど、それは重苦しく、棘が食い込むような痛みがした。


「……やっぱり俺の所為だ」


「ジェイル・シルヴァー。あなたは悪くありません。悪いのはメイザスであり、あなたもただの被害者です。間違っても感情的になってジャックを探そうなどとは思わないでください。【硬化】もろくに使えないようでは、間違いなく殺されます。そうでなくてもまだ無理です。アベンジャーでさえ殺されてしまったのですよ?」


 アイラが釘を刺すようにして、威圧的な口調でそう言った。しかしこちらを見つめる瞳は切なそうな、何かを訴えるような目をしており、言動と一致していない。


「……止めるなら、なんでそんな目をするんだ。それに【硬化】なら使えるようになった」


 ジェイルは腕を見せ付けるように前に突き出すと、数日の間身に付けていた金属の硬度、熱、重みを思い出す。そして自らの腕がそれと同様のものであると想像し、体内中の魔素を刺激していく。数日中、読み漁っていた本の中に、こんな記述があった。


『魔術を行使する際、もっとも重要なのが現実に則した想像力であり、今この瞬間使用するという明確な合図トリガーである』


 ジェイルは自らの腕を睥睨すると、力強く、腹の奥底から声を出した。


 そして、魔術を――――唱えた。それがジェイルの決めたトリガーだった。


「【硬化インデュレイト】!!」


 次の瞬間、前に突き出していた腕が鋼色に変色すると、金属的光沢を放ち、ガチャリと機械的な音を響かせた。

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