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凶報

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 この世界に来てから数日が経過した。


 窓から差す朝日によって目覚めたジェイルはゆっくりとベッドから起き上がる。もはや体の一部のように思えてきた金属の塊はいまだ手足に付いていた。


 命を狙われていると言われ、事実、魔術の存在も自分自身もあまりにも多くの屍の上にあるわけだが、ここ数日でやったことと言えば不意に飛んでくるアイラの攻撃を防ぎながら、本を読み漁ったことぐらいである。


 ベッドで寝ることも慣れてきて、寝室の扉を開けた直後に飛んでくる蹴り一撃をしっかりと防ぐ。

「同じ手は効かねえっての。随分痛め付けられたからな」


「……調子に乗らないで」


 わざわざ扉の前で攻撃の機を窺っていたのはアイラであった。彼女はいつもの無感情的な面構えをして、酷く冷めた目付きでこちらを睨み付けている。


 ジェイルは鋭い眼力を気にも留めずに、日常の一部として階段を下り、食堂へと向かおうとした。


 しかし階段を下りる途中、広間でチェイサー、ウォッチャー、メイドの三人がただならぬ様子で立ち尽くし、または呆然として座り込んでいるのが目に入ったため、ジェイルは漠然とした不安を抱いて足を止めた。


 まもなくすると、後ろから付いてきたアイラの足音が聞こえ渡り、チェイサー達がこちらに気付いた。彼は自嘲を浮かべ、冷や汗のようなものをぬぐうと、憔悴した声で言った。


「やぁ。みっともないところを見せてしまったね」


 ウォッチャーやメイドは何かを言うこともなく、仕方ないことだと言い聞かせるように俯いていた。


「何があったんだ?」


 ジェイルが尋ねると、チェイサーは虚空を眺めながら、淡々と答えた。


「……アベンジャーが殺された。時間になっても帰って来ないから探したんだけど……ついさっき警察から連絡が入ったよ。新聞記者に見つからなくてよかった」


 ――――死。


 記録上でも数え切れないほど起きていた出来事。父さんも母さんも経験してしまった事。それがすぐ傍で起きたことは、生きてきて一度もなかった。……忘れかけていたが、ここはそういう場所なのだ。


 死の気配、鉛のように重く冷たい空気が五感を痺れさせ、胃をキリキリと締め付けた。


「……何が『よかった』だ。よくねえだろ。なんでそんなに余裕保てるんだ」


 ジェイルは無意識のうちにそんなことを口走った。


 チェイサーはどこか意表を突かれたような驚きを見せたが、相も変わらず、実に冷静に説明した。


「記者達は金のために死後の尊厳を踏み躙る。死体を一面に張り出すことに躊躇をしないからね」


 ……彼女とは大して話したこともなかった。正直、知り合いぐらいの関係だったとも言える。しかしチェイサー達はもっと長い間いたはずだ。記録で分かる限り最低でも半年以上。血のつながりがなかろうが、こんな淡白な反応……あるべきではない。


「なんでそんなに冷たいんだ? お前らはずっと彼女と一緒にいたんだろ? なんで泣いてやれないんだ?」


 ジェイルは鬼気迫った様子でたずねた。力強く握り拳を作ると、いつのまにか大量の汗が滲み出ていた。


 チェイサーはどうしてか羨ましそうにこちらを見つめると、凍てつくような声で答えを返した。


「魔術を使うものは冷静でないといけない。それに……慣れてしまったんだ。人の死にね。敵に激情を向けて戦えば絶対に負ける。だから感情を抑え込む……それに慣れてしまったんだ」


 そこに至るまでの経緯を記録でしか知らない奴が、それ以上口出しすることは出来なかった。死に慣れたなどという異常だけは分かりたくなかった。


「……遺体は?」


 そう尋ねたのはアイラだった。


 か細く弱々しい声であったが、表情だけは仮面のように固まっていて、いつもと変わらないように見えた。


 チェイサーは帽子を深く被り、視線を閉ざすと返答した。


「警察からついさっき引き取ってきたよ。同胞の亡骸は僕らで処理する決まりになっているからね」


 アイラは顔を僅かに歪めたが、すぐにいつもの鉄面皮を保つとチェイサーの元まで歩み寄る。


 階段からは見えない角度にその木箱は置かれていた。それが一体何なのか、言われずとも理解できた。……(ひつぎ)だ。この中にアベンジャーはいる。


「ジェイル。君には刺激が強すぎるかもしれない」


「……構わない。開けてくれ」


 ジェイルの発言に対し、アイラは毅然とした態度で、賛同するように頷いた。


「……強い精神だ。けれど後悔するかもしれない」


 チェイサーは一度深呼吸をすると、ゆっくりと棺の蓋をずらし、外した。


 ゴトリと音がすると同時、そのあまりにも凄惨な姿に成り代わったアベンジャーの遺体が目に入った。


 彼女の顔は絶望と恐怖に満ちて、歪んでしまっていた。美しかった碧の瞳は光を失い、虚ろに開き、服は剥がされ、まるで蛙の解剖のように、腹部は解体されていた。


 剥き出しになった内臓。しかし一部分は切り取られ、ポッカリと空洞になっていた。……死者の尊厳など1ミリも用意されていなかった。


 ジェイルは口元を押さえ込んだ。突発的な嗚咽感が全身をまさぐり、視界が歪んだ。悪臭がしたわけではない。魔術の力なのか、死んだ姿のまま保全されていた。しかし嗅覚が刺激されずとも、築かってきた倫理観が視覚から破壊され、どうしようもない不快感がした。


「……なんで服を着せてあげないんだ? なぜ目を閉ざしてやらないんだ」


「魔術を付与されているんだ。彼女の体は石像みたいに硬くなって、服を着せることも、目を閉ざすこともできないんだ。間違いなく彼女を殺したのはジャックだ。殺された女性は民間人だとしても、腎臓と性器を切り取られ、防腐と固定化を付与される」


 チェイサーは冷静にそう語った。表情も変わりない。しかし、あまりにも黒々とした殺気が全身からあふれ出し、マグマのごとく煮え立っているのが理解できた。


 ピシリと――――暖炉に置かれていた金属性の馬のオブジェが音を軋め、全体にヒビを生やし始めた。部屋の温度は急激に下がり始め、皆の吐く息が白く染まる。しかしその場にいるだけで皮膚が焼けるような痛みがした。



 ――――魔術の暴走。冷静でないときに魔術を行使しようとすると発生する現象。



「……アベンジャーは笑顔が美しい人だった。優しい人だった。……固定化されると、恐怖に染まった顔は解けない。こんなの冒涜だろう。――――絶対許さねえ」


 チェイサーは激怒していた。彼が激情を露わにするのはこれで二度目だ。一度目は初めて会ったときだった。


 ――――ありえないことだったのだ。親しい者が亡くなって、何の心情も見せないなど、人間にできるはずがなかったのだ。

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