切り裂きジャック
いやー、ようやくテスト終わりましたよ。これで上げられます。次回の投稿時間は12日の0時5分ぐらいです。あと【暁の星】、『黄金の夜明け』の内容を少しばかり変更しました。後付けです。はい。
ジェイルが異なる世界に来てから数日が経っていた。
その日の深夜、街は霧につつまれていた。昼こそは人通りの多い道も、夜になってしまえば辻馬車さえも通ることは少ない。
レンガ造りの建物と夜闇に閉ざされた大通りをガス灯のおぼろげな光が照らしていた。
茶色いコートを羽織り、長く美しい金の髪を靡かせた少女が鋭い目付きで周囲を見渡し、大通りのど真ん中で、誰かを待つかのようにして立っていた。
「姿を見せなさい。気付いてるから」
「やぁ。……君、一人かい? 綺麗なブロンド髪に珍しい……碧眼じゃあないか。大人びていて、素敵だよ」
その男は霧のなかから現れた。目もとは落ち窪んで、酷く汚れていて無精髭が生やしており、一見するとただの浮浪者のようにも見えたが、その双眸は爛々と、猛禽類の眼のごとき輝きを放っていた。
「切り裂きジャック……!」
「おや? 知っていたのか。なら話は早い。……今日は仕事なんだ。仕事で殺す。でも丁度良かったよ。そろそろ誰かを殺して……食べないと。食べないと、頭がどうにかなりそうだったんだ。今日の献立はどうしようか。やっぱり……フライかな?」
ジャックと呼ばれた男が銀に輝くメスを見せ付けると、女は忌ま忌ましげに顔を歪め、地面に唾を吐き捨てた。
「既に頭がおかしくなってるじゃないかしら?」
女の発言に対し、ジャックは虚ろな笑みを浮かべると、段々とその女に歩み寄って行く。
「これは……仕方ないことなんだ。わたしだって本当は殺しなんてしたくないさ。出来ることなら、毎日のティータイムに喜びを感じる人生で良かったんだ。……しかし、誰も飢えを耐えることはできないし、誰も髪が伸びるのを止めることはできないだろう? 生きている限りね……」
「それは殺してくれってことかしら? 断っても容赦はしない。私はアベンジャー。民間人と【暁の星】の同胞を殺した仇は討たせてもらうわ」
自らをアベンジャーと名乗った女は拳銃を手に取り、ジャックの頭部に銃口を向けると、即座に引き金を振り絞った。
静寂たる夜の街に一発の銃声が轟くと同時、金属がぶつかり合うような強烈で、甲高い音が響いた。
強い衝撃が生じたことによって、二人を中心にして濃霧がゆっくりと晴れていく。
アベンジャーはさらに数発、硝煙漂う銃口から鉛玉を弾き出した。全てを掻き消すような銃声が大地を震撼させる。しかしそのたびに甲高い金属音が響き、弾はコロコロと音を立てて地面に落ちていった。
ジャックは手に持っていたメスで自らの元に飛来した銃弾を全て弾き飛ばしていた。衝撃によってメスの刃は歪んでしまっていたが、彼はまったくの無傷であった。
そして、何事も無かったかのように、コートの内側から新しいメスを取り出すと、実に落ち着いた様子でアベンジャーに話し掛けた。
「女の人が暴れるのは……いけないな…………。わたしは闘いが好きではないんだ。抵抗されるのも、姦しい悲鳴を聞くのも……好きじゃあないんだ。ただ淡々と、祈りを捧げる修道女のように、おしとやかに、はかなげに、受け入れるべきじゃあないか?」
「黙りなさい。落下死させてあげるから」
刹那、額に皺が刻まれたが、アベンジャーはすぐに冷静さを保ち、軽快に指を鳴らした。それが彼女の、魔法発動のトリガーの一つであった。
彼女のイメージが空気中、体内中の魔素に伝染し、瞬時に魔術として現実に反映されていく。それはジャックに掛かる重力を無視しするように作用した。
ふわりと、風船のようにジャックの体は浮かび上がり、そのまま空高くへと上昇していく。
行使される非科学的力に対し、ジャックは慌てる様子を見せなかった。全てを受け入れるかのように、ゆっくりと目を閉じて、つまらない茶番でも見ているかのように、呆れ交じりの微笑を浮かべていた。
「潰れて死んで頂戴」
アベンジャーは鋭い殺意に瞳を輝かせると、もう一度指を鳴らした。瞬間、非科学的な力が事切れ、ジャックの体は重力に従い、轟と空を切り裂く音を立てて自由落下を始めた。しかし彼が夜の静けさに冷えた舗装路に全身をぶつけることはなかった。
何をするというわけでもなく、ただそれが起こるべくして起きたのだと言うかのごとく、ジャックの体は地面すれすれで減速し、彼はふわりと華麗に着地したのだ。
「残念だが……【浮遊】の付与はわたしにもできるんだ。これが君の全てかな? これで無駄だと分かったろう。抵抗しないでくれると助かるよ」
ジャックは小さな、しかし鋭利なメスの刃を見せ付けた。それはおぼろげなガス灯の光を反射し、ギラリと牙のように輝いている。
アベンジャーはごくりと恐怖を飲み込み、押し殺した。冷静さを保つためにあえて仰々しい笑顔を浮かべた。
「浮遊が駄目なら燃やす。それでも駄目ならその腹をぶち抜いてやる」
「……そうか。残念だよ。では最期に聞こうか。……せめてもの罪滅ぼしだ。よければ本当の名前を教えてくれないか? わたしの記憶のなかで生かしてあげよう」
「ごめんよ。本名を言ってもらうときは、プロポーズしてもらうときって決めてるの」
「そうか。ならせめて、美味なる味付けを施そうか。香辛料は高いんだけどね……」
ジャックは地面を蹴り上げ、跳躍すると持っていたメスを投擲した。対抗するようにアベンジャーは魔術を付与した拳銃を構える…………。
――――夜の冷気で酷く冷えてしまった舗装路で、アベンジャーは長い金の髪を絨毯のように広げ、碧の瞳から涙を流して倒れていた。
その体はズタズタに切り裂かれ、両腕が肩より少し下の部分から切断されていた。断面からは肉と、骨と、黄色い脂肪のようなものが窺えた。
「……私はなんで…………まだ生きてるの?」
腕からは、それどころか点々と存在する切り傷からは一切の出血がなかった。恐怖で顔を引き攣らせていたが、悶え苦しむような痛みはなかった。
「凄いだろう……? これはメイザスにもできないことなんだよ。治癒ではない。ただ麻酔のように痛みを無くし、血は滴らなくなる。痛みのなか、何が起きたかも分からず死ぬのは嫌だろうと思ってね。こうすれば遺言も、覚悟もできるだろう?」
ジャックはアベンジャーの腹部にペンで線を入れていく。そしてある一カ所を円で囲んだ。
「何をするつもりなの……?」
彼が行う不可解な行動に、アベンジャーは声を震わせる。もう抵抗できる魔力も、力も残ってはいなかった。
「腎臓……。あるんですよね。では、手術を始めようか」
ジャックは紳士的な笑みを浮かべると、メスの刃をアベンジャーの柔肌にすっと押し当てる。皮膚がたやすき切れた。血は出なかった。
「嫌……嫌だ。やめて…………!!」
「怖がらなくたっていいじゃあないか。大丈夫。わたしが君に付与した魔法を解除しない限り、君は死なない。どこを切ったら駄目かは心得ているからね。本名……知りたかったよ」
ジャックは淡々と手を進めた。




