➖その5 ➖
町中を散策するのも飽き、空腹にも限界を感じて来た。
そんな時、商店街の奥の方から誰かが手招きをしているのが見えた。
きっと番組のスタッフに違い無い。
一旦腹ごしらえに違い無い、と安堵した俺は、やや早足でそっちの方向へと近付いて行った。
良く見ると、随分とちっさい爺さんが、満面の笑みで手を振ってくれていた。
さらにその店に近付くと、その爺さんは店の中へすうっと消えていった。
俺は、焼き肉屋味楽の前に立っていた。
どこと言って特に特徴も何も無い、至ってシンプルな佇まいの店だった。
入り口の古惚けた木製の引き戸に掛けられた真っ赤な無地の暖簾は、程良く油で黒ずみ、そこに黒い筆字で「味楽」と書かれている。
本当にリアルだなぁ。暖簾だけでも美味さが伝わってくるよ。
これからご馳走になる店が、焼き肉屋だと分かった時点で、、もうお腹が鳴りっぱなしだった。
大きく生唾を飲み込むと、引き戸を開けた。
「失礼しまぁす」
あれ?
中は薄暗く、人の気配も無い。
ただ、天井から吊り下げられたテレビの異常なまでの大きな音声だけが、威圧して来る様だった。
恐る恐る徐々に店内へと足を踏み入れると、カウンターの中に人の気配を感じた。
「何にする!」
カウンターの中からいきなり飛んで来た威勢の良い声に、一瞬かたまってしまった。
「牛?、豚?」
声の主は、客の顔も確かめないで一方的に声を張り上げる。
突然の事に、身動き一つ出来ずにいると、中から店主の又太郎がすっくと立ち上がった。
油が染み込んだ使い古しのコックコートの上着だけを羽織り、下は黒地に白い二本線のジャージにビーサンという出で立ちだった。
浅黒い顔に白髪混じりの無精ひげを生やし、笑うと顔全体に縦横無尽に深い笑い皺が刻まれ、口を開けると殆どの歯が抜けているのがよく分かる。
そんな一風変わった風貌の又太郎は、ボサボサの白髪頭を掻きながら、黒縁の丸眼鏡を下へちょっと下げ、間髪入れずにまた聞いてきた。
「牛にする?豚にする?」
「は?」
「どっち?」
「どっちって?」
「あ〜、なんじゃ聞いてた奴と違うんけぇ」
そう言った後、ワシの勘違いじゃったわ、などと独りごちていた。
急に電話が鳴り出し、 又太郎は受話器を持ちながら適当にその辺に座れ、と言わんばかりに手招きでカウンターへ向かって指図した。
「あーハローハロー、イエースマタタロウ。え、高い?はい。アンダースタンド。」
又太郎は、受話器を顎と耳で挟み、こっちにウインクして見せた。
余りの気持ち悪さに目を逸らした俺は、仕方なく店内を観察することにした。
鉄板付きの長いカウンターにやはり鉄板付きの4人掛け用のテーブルが5脚あるだけで、後は何も無かった。
カウンター内の壁には、剥がれかけの年代物の吉永小百合のポスターが油っこく黒ずんだ光沢を放ち壁と一体化していた。
テーブルにセットされている椅子は、形も高さもチグハグで一個たりともまともな物が無い。
これもまた演出の一つなのか……
こんなポンコツの集まりが、カメラを通してお茶の間に届いた時には、味のある物として映るんだろうなあ。
そんなことを考えながら隅々まで観察していると、段々とわくわくして来た。
だが、ぐるりと店内を見渡して視線を戻したその時、真横に只ならぬ気配を感じた。
「ん?うわっ!」
ギョッとした拍子に、椅子から勢いよく後ろへ滑り落ちた。
見ると、ヨボヨボのつるっ禿げの爺さんが、クシャクシャの笑い顔を浮かべ、首をすくめた猫背の格好で立っていた。