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bird of passage. ー渡り鳥ー  作者: 宝積 佐知
(12)種族を越えた繋がりと、解り合えない溝。一つの決意。
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39,ジルコン


39,ジルコン








 ダイヤは、無事に逃げられただろうか。

 そればかりが気に掛かる。既に日の落ちた町の片隅で、ルビィは膝を抱えていた。傍には旅に必要な物資が乱雑に置かれている。

 あの状況では逃げるしかなかった。とてもダイヤの傍には行けなかった。ダイヤは大丈夫だろう。町の外にはトパーズ達もいる。町から出ることくらい、ダイヤには容易いだろう。

 何故だか、置いて行かれるとは考えなかった。きっと、ダイヤは迎えに来てくれる。

 それでも、見知らぬ街に突然放り出され、たった一人きりで膝を抱えている孤独感は、じわじわとルビィの精神力を削って行く。

 ダイヤなら大丈夫だ。そう思うのに、今も網に覆われ飛ぶことの出来ない空と、剣を失い丸腰になったダイヤのことが気掛かりで仕方が無かった。もしも、もしもダイヤが捉えられていたら如何すればいいのだろう。あの医者――アクアマリンのように、ダイヤを実験動物として扱うかも知れない。そうなった時、自分に助けられるだろうか。

 今も町中は軍人が行き来し、警戒している。これは逃げ切ったダイヤを捜索しているのか、仲間と判断された自分を追っているのか。解らない。解らないことが、只管に怖かった。

 その時だった。闇に包まれた路地裏から、まるで溝鼠のように息を殺して子どもが数人這い出て来た。見覚えのある少年は、膝を抱えるルビィを見て目を丸くした。



「あれ、お前、昼間の」



 ジルコンだった。猫のような丸い目で、ルビィを訝しげに見ている。



「お前、こんなところで何やってんだよ。今日は魔族が町に紛れ込んだからって、兵隊が警戒しているんだ。不審と思われたら、如何なるか解らないぞ」



 ルビィよりも明らかに年下でありながら、諭すようにジルコンが言う。

 十歳程だろうか。体躯に見合わずその言葉は大人びている。ジルコンはルビィに手を差し出した。



「ほら、さっさと家に帰れよ」



 他意は無いだろうジルコンの物言いに、ルビィは知らず涙を流していた。ジルコンはぎょっとして、狼狽しながら言った。



「お前、何、泣いてんだよ!」



 動揺するジルコンを前に、ルビィは涙を拭う。張り詰めていた緊張の糸が緩んでしまったかのように、涙が止まらない。

 ジルコンが、殊更優しく問い掛けた。



「お前、帰れないのか?」



 頷いたルビィを、ジルコンが如何理解したかは解らない。だが、ジルコンは暫し逡巡する素振りを見せると、顔を上げて行った。



「しょうがねーなぁ。付いて来いよ」



 その言葉と共に、ルビィは立ち上がる。乱雑に置かれた荷物は、引き連れた子どもが一つ残らず拾い集め抱えていた。

 手を引かれながら進む先は、彼等の現れた路地裏だった。だが、よく見れば外壁の一部に穴が空き、子ども一人分が通れるようになっている。昼間に見たものと同じだとルビィは思った。これは彼等専用の通路なのだろう。

 漆黒に包まれたトンネルを慣れたように進んで行く。そして、視界は拓けた。

 其処は、昼間に見たあばら家の集落だった。今は僅かに篝火が周囲を照らしているが、死んだように静まり返っている。



「こっち」



 ジルコンが手を引く。小さいが、幾つもの肉刺や胼胝の潰れた固い掌だった。

 向かう先は、やはり今にも崩れそうなあばら家だった。板を張り合わせただけのような壁と、扉代わりの襤褸布。ジルコンは迷いなく進んで行く。内部は思うよりも広く、明るかった。ジルコンが現れると、何処から出て来たのか小さな子ども達がわっと押し寄せた。



「ジルコン、早かったね。如何したの?」

「ちょっとな。それより、……スピネル!」



 呼ばれたのは、やはり小さな子ども、ぼさぼさの髪をした少女だった。手足は棒のように痩せ細っているが、表情は子どもらしく明るい。

 弾むような足取りで駆け寄るスピネルに、ジルコンは言った。



「こいつの面倒、見てやってくれ」

「うん。解った」

「じゃあ、俺は一仕事行って来るから」



 ジルコンはルビィを押し付けて言った。



「こいつはスピネル。小さいがしっかり者だ。困ったら何でも言え」

「でも」

「何があったか知らねーが、困った時はお互い様だ。大人は頼りにならないからな」



 そう言って、ジルコンが悪戯っぽく笑った。

 一秒でも惜しいというように、ジルコンは仲間だろう少年達を引き連れ、また出て行った。残されたルビィは、肩を落とす。傍には持って来た荷物が置かれるが、子ども達があっという間に群がっていた。

 スピネルはそれを気にする風でも無く、ルビィに手を差し出して言う。



「宜しくね。……ええと」

「あ、私は、ルビィ。宜しく」



 手を取り、二人は握手した。

 状況の変化について行けないまま、ルビィは促されその場に座った。スピネルは群がっていた子どもを一度叱り付けると、ルビィに向き直る。荷物の食べ物は既に無くなっていた。



「ごめんね。皆、何時もお腹を空かせているから」

「ううん。私こそ、急にお邪魔して……」



 人懐っこく笑いながら、スピネルが言った。



「何があったかは聞かないわ。だから、楽にしてね」

「ありがとう……」



 スピネルの純粋な優しさに、口元が綻ぶのが解った。

 ふっと息を吐くと、やはり、ダイヤのことが胸を締め付ける。それを知ってか知らずか、スピネルが言う。



「今日は兵隊が多いから、ジルコン達、ちょっと心配だな」

「……魔族が、いたって」



 なるべく知らぬ風を装いながら、ルビィは言った。すると、スピネルがそれまでの笑みを消し去り、眉間に皺を寄せて言った。



「そうなの、そうなの。兵隊もたっぷり給料貰ってるんだから、しっかり仕事して欲しいよね。魔族を取り逃がすなんて!」



 その言葉に、ルビィは内心安堵の息を漏らした。どうやら、ダイヤはまだ捕まっていないらしい。

 けれど、スピネルは言った。



「でも、時間の問題でしょうね。町の出入口は封鎖されたし、空も塞がれた。手負いだって聞いてるし」

「そうなんだ……」

「町に魔族が潜んでるなんて、怖いよね」



 同情するように、スピネルは言う。思わず、ルビィは言った。



「でも、悪い魔族じゃないかも知れないよ」

「え?」

「人間を襲いに来た訳じゃ、無いのかも……」



 言えば、スピネルは少し考え、答えた。



「逃げた魔族はそう言っていたらしいけど、そんな訳無いよ」

「如何して」

「人間を襲わない魔族なんていない」



 そんなことない、と否定しようとしたルビィに、スピネルが言う。



「だって、私のお母さんは魔族に殺されて、食べられたんだから」



 何でもないことのようにスピネルが言う。ルビィは言葉を失っていた。

 子どもだけで生活しているこの子達が、胸の内に何の葛藤も抱えていない筈が無い。自分の配慮が足りなかったと肩を竦ませるルビィに、スピネルが笑って言う。



「でも、今はジルコン達がいるから、いいんだ。だから、そんな顔しないで」

「ごめん。私……」

「だから、大丈夫だよ」



 自分よりも小さな子どもに、撫でられながらルビィは自分が酷く惨めに思えた。

 自分は、無力だ。これまで幾度と無く痛感して来たことだった。

 そうしている間に、ジルコンが戻って来た。両手一杯に袋を抱えている。散っていた子ども達は彼等の帰還を喜び、迎え入れる。質素でみすぼらしい暮らしだ。けれど、温かい。

 和気藹々とする彼等は、配給するように食料を配って行く。彼等がそれを何処から手に入れたのか、ルビィは解るような気がした。

 こんな夜に、まさか人から貰える訳も無かった。一般的には許されない行為なのだろう。けれど、そうとしか生きられない人間がいるのだ。

 ジルコンは一仕事終えたというような晴れ晴れとした表情で、何も敷かれない床に座り込んだ。



「兵隊が多くて大変だったぜ」

「魔族は未だ未だ捕まっていないの?」

「みたいだな」



 ジルコンとスピネルの遣り取りを横に、ルビィは思案する。

 このまま、此処にいていいのだろうか。何か行動を起こすべきでは無いだろうか。ダイヤを、探しに行くべきか。

 思案していると、ジルコンがルビィを見た。



「お前も暫く此処にいた方がいいよ。兵隊がピリピリしてるし、魔族もうろついてる」

「でも、」

「気にするな。子どもは皆、家族も同然なんだから」



 朗らかにジルコンが笑う。

 このまま、隠していていいのか。今逃げている魔族は自分の仲間で、兵隊が警戒しているのは自分達のせいだと、白状するべきなのか?

 自問するが、答えは出ない。ダイヤがこれまで幾度と無く問い掛けて来たことを思い出す。何故、自分で考えない?

 でも、解らない。如何すればいい。ダイヤなら、如何する。

 答えの無い問いを繰り返す間に、夜は次第に更けて行く。就寝の用意を始めた子ども達を、ジルコンは目を細め、まるで眩しいものを見るように見守っている。



「……こいつ等さ」



 子ども達が皆寝静まったことを確認し、ジルコンは言った。

 傍ではスピネルが寝息を立てている。



「親を、魔族に殺されたんだよ」

「……皆?」

「そう」



 一つ息を吐いて、ジルコンが言った。



「お前はこの町の人間じゃないから、知らないだろうけど。今から十年くらい前、この町の傍で魔族と戦があったんだよ」

「戦……?」

「そう。それで、人間軍は敗走して、魔族はこの町まで攻め込んで来た。その頃は軍隊も無かったから、町はあっという間に侵略された。大勢の人間が殺されたり、連れ去られたりしたんだって」



 ルビィよりも幼いだろうジルコンにとって、それは人伝に聞いた御伽噺のようなものだろう。けれど、彼等はその関係者だった。



「俺達の親も殺された。スピネルのお母さんは、目の前で腸を食われた。そうやって町が滅ぶ寸前、近くにいた傭兵団が来て、魔族を遣っ付けてくれたんだ。その傭兵団が今も町に残って、軍隊になったんだよ」



 掛ける言葉が、何一つ浮かばなかった。同時に、ルビィは思う。自分は何時もそうだ。気の利いた言葉一つ掛けられず、相手の心情も察せず何も出来ない。無力で、薄情で、愚鈍な人間だった。

 何故、考えないのか。ダイヤは常にそう問い掛ける。けれど、何を考えたらいいのかが解らない。如何しようも無く、無力だった。

 黙り込んだルビィの頭を撫で、ジルコンが言う。



「そんな顔、するなよ。もう終わったことなんだから」



 終わったことだと、如何して割り切れるのだろう。ジルコンにしても、ダイヤにしてもそうだ。

 傷跡は残るだろう。痛みは残るだろう。それでも何故、前を向けるのか。



「辛いことを、思い出させてしまって、ごめんなさい」



 力無く口にしたルビィに、ジルコンは目を丸くする。そして、くしゃりと笑った。それは年相応の無邪気な笑顔だった。



「お前、良い奴だな」

「良い奴なんかじゃないよ」

「そうかな。だって、こんな昔話を真剣に聞いてくれて、自分のことみたいに悲しんでくれる」



 そういうお前に、救われる奴がきっといるよ。

 ジルコンが微笑んだ。



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