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bird of passage. ー渡り鳥ー  作者: 宝積 佐知
⑺人の残酷さ、魔族の優しさ。選択と代償。
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19,選択肢


19,選択肢







 ぐにゃりと、視界が歪んだ。

 凍り付くような寒風の中で、痩せた大地を進む足取りは、まるで足枷でも付いているかのように重かった。体中を包む倦怠感でも、弱音を吐く相手すらルビィには存在しなかった。何かに掻き立てられるように前進を続けるダイヤは振り返らない。当然、ルビィを気遣うことも無い。

 こんな時、エメロードがいたなら、何か言葉を掛けてくれただろうか。居もしない仲間を思い浮かべる程度には、ルビィの神経は消耗していた。まずい、と思った瞬間、視界は傾き、目の前には固い地面が迫っていた。其処で暗転。微かに、ダイヤの怪訝な声が聞こえた気がした。


 ルビィが目を開けた先には、見慣れない節目だらけの天井が広がっていた。

 久しく触れなかった柔らかな寝床。静かな室内に人の気配は無い。何処かから漂う食物の匂いに、腹の虫が空腹を訴えて鳴いた。

 ぐるりと視線を巡らせるが、ダイヤの姿は無い。ベッドの傍には大きな窓が、一杯に光を取り入れ存在している。此処は何処だろうと立ち上がろうとして、再び視界が歪んだ。脳内を木槌で叩かれているかのような鈍痛に眉を寄せる。此処は何処だろう。己の最後の記憶を振り返るけれど、現在の状況に繋がるものは何も無かった。

 その時、扉が軋みながら開かれた。



「やあ、目が覚めたようだね」



 現れたのは白衣を纏った青年だった。漆黒の髪と瞳が、魔族ではなく人間であることを物語っている。その手に抱えられた食事をルビィが見詰めれば、青年は苦笑交じりにサイドテーブルへ置いた。

 糸のような細い目が印象的な、長身痩躯の青年。ルビィは問い掛けた。



「此処は……?」



 青年は穏やかに微笑んだ。



「此処はベンゼンという町で、僕はアクアマリンというこの町唯一の医者だ。そして、この場所は病院の一室だよ」

「病院……?」

「そう。病気や怪我を癒す場所だ」



 ルビィは再度、ぐるりと周囲を見回した。これまで大きな病気も怪我もしたことのないルビィにとって、病院とはまるで聞き慣れない単語だった。そもそも、ルビィの生まれ育った村にそのような施設は存在しなかった。

 アクアマリンと名乗る青年は、糸のような目を歪めて言った。



「君は過労で倒れたんだよ。随分と苦労して来たんだろう」

「過労……」

「長い旅をして来たんだろう?」



 長い旅。ルビィはこれまでの旅を振り返る。

 魔族であるダイヤと、人間であるルビィの体力はまるで違う。それでも、ダイヤを追って旅を続けて来た。それは一年にも満たない短い期間であるにも関わらず、それまで村で過ごして来た時間を上書きする程の日々だった。

 過労も当然かと、ルビィは肩を落とす。アクアマリンは労わるように笑みを浮かべ、食事を差し出した。



「お腹が空いただろう?」



 正直な腹の虫に赤面しながらも、ルビィは感謝の言葉を述べる。空腹も当然だった。

 手を合わせると、アクアマリンはどうぞ、と嫌味無く食事を促す。人好きのする笑みに安心を覚え、温かい食事に手を伸ばした。

 数日ぶりの温かい食事に何故だか涙腺が緩み、自覚する以上に疲弊していたことを思い知る。涙ぐむルビィに、黙って微笑むアクアマリンの優しさもまた、その涙腺を緩めることになった。

 皿が空になり、手を合わせる。アクアマリンは微笑みを浮かべたまま、平らげられた食事の片付けを始めようとする。ルビィは、懸念していたダイヤの行方をその背中に尋ねた。



「ダイヤ……、いえ、銀色の髪と青い目をした魔族を知りませんか?」



 すると、アクアマリンは振り返った。



「ああ。少し、町を見て来ると言っていたよ。直に戻るだろう」

「そうですか……」

「彼は、面白いね」



 アクアマリンの言葉に、ルビィは首を傾げた。アクアマリンが言った。



「君を背負って、血相を変えて、此処に駆け込んで来たんだ。助けてくれ、ってね」

「ダイヤが?」



 俄かには信じ難いアクアマリンの話に、ルビィは怪訝に眉を寄せる。ダイヤなら、捨て置いても何ら不思議は無いだろう。けれど、これまでのダイヤを振り返れば有り得なくも無いと思った。

 真偽の程は定かではないけれど、今すぐにダイヤに会いたいと思った。

 アクアマリンはルビィの反応を満足そうに眺めると、言った。



「兎に角、君は暫く安静にしていなさい。もう一眠りするといい」



 甘やかすようにルビィを撫で、アクアマリンは部屋を出て行った。

 静かで温かい室内に、誘われるようにルビィは再び眠りに落ちた。こんなにも穏やかな時間は随分と久しぶりのような気がした。これまで知らずの内に神経を張り詰めていたのだろう。

 そして、どれ程眠っていたのか窓の外はすっかり暗くなっていた。室内ばかりが蝋燭の灯りに照らされて明るい。相変わらず静まり返った室内をぐるりと見渡すと、見慣れた銀髪が視界に映った。



「ダイヤ?」



 剣を抱えるようにして、壁に背を預け瞼を下ろしている。眠っているのだろう。初めて見るダイヤの寝顔をまじまじと凝視する。

 魔族が長命で、ダイヤがどれ程の時を生きて来たのかルビィは知らない。けれど、こうして目を閉ざすダイヤは何処か幼さを感じさせた。まるで、子どものようだった。

 気配を察したのだろうダイヤが、ふっと目を開いた。青い瞳にオレンジ色の炎が映り込む。茫洋とした視線をルビィに向け、ダイヤはふっと肩を落とした。



「テメェ、面倒掛けやがって」



 口を開けば悪態だ。けれど、それがダイヤらしいと何故だか安心する。

 ダイヤは欠伸を一つ噛み殺し、立ち上がった。



「ダイヤが、此処に運んでくれたんでしょう?」

「それが如何した」

「ありがとう」



 言えば、ダイヤがきょとんと目を丸くする。それがらしくないとルビィは笑った。

 不満げにダイヤが言う。



「別に、気紛れだ」

「そっか」



 不貞腐れた子どものような物言いが、何処か微笑ましい。

 魔族は恐ろしいものだ。鋭い牙や爪、鱗や毒を持つ異形の種族。長命で強靭で、人間を襲い喰らう。けれど、全てが恐ろしい訳ではない。ダイヤは冷たい物言いをするけれど、其処に悪意は欠片も無い。

 優しいと、純粋に思う自分は甘いのだろうか。ルビィには解らない。



「医者は、暫く寝ているのが良いと言っていたぞ」

「そうみたい。でも、一か所に留まってはいられないんでしょう?」

「そうだな。……なあ、そろそろ潮時だと、思わないか」



 すっと目を細め、ダイヤが言った。



「お前の村が滅んだのは、俺の責任だ。だから、お前が俺に付いて来たいという思いを拒絶するつもりも無いし、勝手にすればいいとも思う。だが、人間と魔族は違い過ぎる。……ジャスパーのように、俺が意図せずとも、傷付き、死ぬこともあるだろう」



 ダイヤが何を言おうとしているのか、ルビィは理解するまでに時間が掛かった。脳が麻痺したように動かず、現実感を帯びない。



「人間と魔族が全く相容れないとは思わない。だが、共存出来るとも思わない」

「そんなこと無い!」

「……その証拠に、お前はぶっ倒れたんだろう」



 ルビィの反論を封じるように、ダイヤはきっぱりと言い捨てた。ダイヤはルビィを労わっているのではなく、そう感じたから述べているだけだ。

 自分の存在が煩わしくなったのだろうか。ルビィは知らずの内に拳を握って黙り込んでいた。何か反論したいけれど、どれもが感情論であることも気付いていた。ダイヤの言うことが正論であることも理解している。けれど、それでも。

 黙り込んだルビィを一瞥し、ダイヤが言った。



「お前が完治するまでは、俺もこの町に残ろう。魔王軍が近付けば早々に去るつもりだ。よく考えておけよ。姿形が似ていても、俺は魔族で、お前は人間だ」



 そうして上衣を翻し、ダイヤが出て行く。向けられた背中にはあの白亜の翼は無い。

 何かを訴えたいと思うけれど、何の言葉も出て来なかった。そうしている間にダイヤは姿を消していた。

 残されたルビィは、ぎゅっと拳を握ったまま固く目を閉ざした。



(ダイヤは魔族で、私は人間だ)



 この旅は、それを痛い程に知らしめてくれた。自分はダイヤのように飲まず食わずで長時間歩き続けることは出来ない。そして、追われ続けるダイヤは自分の為に安全な空の旅を捨てる羽目になっている。ダイヤは自分の我儘に付き合ってくれていただけだ。それももう、終わりの時が来たのかも知れない。

 エメロードなら、如何しただろう。いない嘗ての仲間を思い浮かべる。

 何時でも心に火を灯してねと言った彼女なら、如何言って慰めてくれただろうか。


 夜が更けて行く。

 今夜は眠れそうにないと、ルビィは思った。

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