17,愛
17,愛
ダイヤの問い掛けに、ジャスパーは笑った。それは、泣き出しそうな笑みだった。
「何故、もっと早く来てくれなかった……」
責める物言いに、ダイヤが小首を傾げる。それはまるで、凄惨なこの状況が見えていないかのような何気ない仕草だった。
「何故? 俺の勝手だろう」
突き放すようなその言葉は、ダイヤにとっては当たり前の返答なのだ。ルビィにはそれが解る。
ダイヤは始めからジャスパーに思い入れがあって、此処を訪れていた訳ではない。ただ、人間に興味があっただけだ。気紛れに立ち寄っていただけの場所に、興味が薄れて立ち寄らなくなった。ダイヤにとっては瞬き程の僅かな時間、疎遠になっていただけに過ぎない。それが人間にとっての二十年で、ジャスパーにとっては心の拠所を失くしたも同然だっただけのことだ。
擦れ違ってしまった――。否、初めから噛み合って等いなかった。
「なあ、教えてくれよ」
ダイヤは至極平然と問い掛ける。
「如何して、自分の子どもを殴るんだ? その行為の意味は何だ?」
それはきっと、純粋な疑問なのだ。ダイヤには本当に理解出来ないのだろう。
人間の複雑な心理作用なんてダイヤに解る筈が無い。ルビィは思った。ダイヤの言葉に責める意図は全くない。けれど、ジャスパーは弾かれたように叫んだ。
「そんなこと、俺にだって解らない!」
「何故、自分で考えない?」
ダイヤが人間に問い掛け続けて来たことだった。
厳しい口調のダイヤに、ジャスパーが息を呑む。それは正しく、親に叱られた子どものようだった。
「俺には解らない」
ダイヤは片足を下げた。それは、斬り掛かる寸前の踏み込みに良く似ている。
嘗てジャスパーの父を殺したのはダイヤだ。そして、彼はまた、同じことを行おうとしている。
咄嗟にルビィは、暴行された子どもを庇おうとした。目の前で父親が殺される様を見せる訳にはいかない。けれど、其処で緑色の双眸が閃光のように煌めいて見えた。
エメロードだ。両手を広げると、ダイヤの前に立ち塞がった。
「止めて、ダイヤ」
「何のつもりだ?」
「殺さないで」
不思議そうにダイヤは小首を傾げる。ダイヤにとって、エメロードごとジャスパーを殺すことなんて訳無いのだろう。
それでも、エメロードは微かに指先を恐怖で震わせながら訴える。
「殺したって何にもならないわ」
「俺には解らないんだよ。親が如何いうものなのか、子を育てるとは如何いうことなのか。……尤も、解らなくたって良いけどな」
すらりと抜き放った鈍色の刀身は、囲炉裏の炎を受けてオレンジ色の光を反射している。
如何だっていい。言外にそう言い捨ててダイヤが目を細める。ダイヤは優しい。けれど、人間の命など取るに足らないと軽んじる様は、魔族に他ならない。
愕然と、ジャスパーが膝を着く。ダイヤは一瞬でエメロードの横を擦り抜けると、ジャスパーの首に剣先を突き付けた。
ひゅ、と空気の抜ける音がする。バランスを崩したエメロードが座り込み、殺さないでと必死に訴える。嫌な緊張感が満ち、ルビィはただ傷だらけの子どもを抱きかかえた。
ダイヤが言った。
「親ってものが何か、俺は知らない。だが、この状況が正解だとは如何しても思えない。殴ったり、虐げたり、罵倒したり、これが親のすることなのか」
ジャスパーは答えない。ダイヤは続ける。
「正解か不正解か、俺には解らない。だから、ケジメを付けに来た」
剣の切っ先をジャスパーの首に触れさせ、ダイヤは言った。薄皮が切れたのだろう、僅かに血が零れ落ちる。
止めて。エメロードが喉を震わせる。けれど、二人には聞こえていないのかも知れない。無表情のダイヤに、ジャスパーが俄かに微笑んだ。
「やはり、俺を救ってくれるのは、お前だな」
そう言って、ジャスパーは刃に触れた。
一瞬。ほんの一瞬だった。瞬きすら間に合わない動作で、ジャスパーは自らの首に刃を滑らせた。真紅の血液が噴水のように溢れ、ダイヤの剣だけでなく、その相貌すらも汚して行った。
室内は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
崩れ落ちたジャスパーの口元には微かな笑みが浮かんでいる。子どもが何かを叫び、血塗れの父の亡骸に縋り付いた。ダイヤは終始無表情だった。
呆然と膝を着くエメロードの瞳からは光が消え失せている。罵倒する気力も無いのだろう。
「俺を責めるか?」
何も発しないエメロードに、ダイヤが問い掛ける。其処には罪悪感や後悔等微塵も感じられない。
エメロードは首を振った。
「……いいえ。選んだのは、あの人だもの」
ダイヤは首元に刃を当て、選択肢を与えただけだ。選んだのはジャスパーで、自らを殺す決断をしたのも彼だ。
これが、ダイヤの言うケジメなのだろうか。ルビィは黙ったまま、惨状と化した小屋内部で立ち尽くしていた。
様子を窺っていたらしい村人がぞろぞろとやって来て、ジャスパーの亡骸を子どもから引き剥がして行った。埋葬するのだろう。子どもの絶叫が夜空に響き渡っていた。
乱雑に血を拭ったダイヤを先頭に、先程の老婆の自宅へ招かれた。長老という肩書を持っているらしく、小屋は周囲に比べ僅かに大きかった。
老婆は囲炉裏の前に座り、ルビィ等も座るよう促した。
薪が爆ぜる中、老婆が言った。
「ジャスパーがああなったのは、今から十年程前だよ。お前さんがすっかり寄り付かなくなって、寂しかったんだろうねぇ」
懐かしむように、老婆が言う。ダイヤは扉に背中を預けたまま座ろうとしない。
「村の娘と結婚して、子どもが出来た。幸せそうな姿に、私達は安心していたんだ。でもね、出産現場に立ち会ったジャスパーは、血塗れの奥さん見て、気がおかしくなっちまった。生まれたばかりの子どもを殺そうとしたんだ。化物にでも見えたんだろう」
何処か聞いたことのある話だと思った。それは奇しくも、ジャスパーの生い立ちに酷似していた。
「その時は村人が如何にか止めたんだけど、夫の豹変ぶりを見て、今度は妻が気を病んじまってね。結局、それから程無くして亡くなったよ」
ルビィは、掛ける言葉が見付けられなかった。どんな言葉も同情にしかならなかった。
老婆は続けた。
「遺されたジャスパーは、子どもと二人で暮らすようになった。だが、その内、子どもの泣き声が夜な夜な聞こえて来るようになった。酷い物音と男の罵声に、村総出で押し掛けたこともあった。ジャスパーが子どもを引き渡そうとしたこともあった。でもね、子どもが離れなかったんだ。どんなに殴られても、罵倒されても……。子どもってのは不思議でね、どんなに酷い親でも、庇おうとするんだよ。ジャスパーも無理に押し付けようとはしなかった。きっと……」
其処で老婆は一つ息を吐いて、言った。
「きっと、あいつなりに、子どもを愛していたんだろう」
抱き締める腕が無くとも、温かい料理が無くとも、傍にいることを許容する。それが、彼の愛だった。
ダイヤは相変わらずの仏頂面で、問い掛けた。
「俺が十年前に此処に来ていたら、何か変わっていたか?」
老婆は意味深に笑う。
「変わっていたかも知れないし、変わらなかったかも知れない。だが、あの頃のジャスパーを救えたとしたら、お前さんだけだったんだろうね」
ふうん、と興味も無さそうに相槌を打つと、ダイヤは小屋を出て行った。
残されたルビィは何と無く、問い掛けた。
「その頃のダイヤって、今とは違ったんですか?」
「少なくとも、見た目は変わっていないね。魔族は長命だから。ただ、あの頃に比べて、少し丸くなったような気はするよ」
老婆が悪戯っぽく笑い、つられてルビィも口元を緩ませた。
ジャスパーの亡骸は、空家の一つに安置された。明日の早朝には埋葬することになっている。ダイヤは小屋には入らず、壁面に凭れ掛かったまま空を見上げていた。老婆の元を離れ、一人佇むダイヤに何と声を掛けたら正解なのだろう。ルビィには解らなかった。
エメロードは、黙り込むダイヤの横にしゃがんで言った。
「虐待を受けて育った子は、将来子どもに虐待をすることが多いんだって」
「自分が受けて来たのにか?」
「そう。それ以外の愛し方が、解らないんだわ」
エメロードが苦々しげに言った。
ルビィは彼女の横に座り込み、やりとりに耳を澄ませた。
「最期に、彼は自殺を選んだでしょう。きっとあれが、彼の愛だった」
「何だよ、その愛ってのは」
「相手を大切にしたいと思う気持ちのことよ」
興味も無さそうにダイヤが適当な相槌をする。
「ジャスパーは突き放すことを選んだんだわ。このまま自分の傍に、子どもを置いておけないと思ったから」
「……人間様の御高尚な考えは解らないが、その愛とやらは随分と自分勝手で、曖昧なものだな」
「あなたにも」
エメロードが顔を上げた。混血と蔑まれた緑色の瞳がじっとダイヤを見詰めている。
「あなたにも、あるでしょう」
「魔族に、そんなものがあると思うか?」
怪訝に返すダイヤの眉間に、皺が寄っている。馬鹿馬鹿しいと体言しているようだった。
エメロードは可笑しそうに笑い、そして、言った。
「あの突き放す愛を、教えたのはきっとあなただった」
ダイヤは何も言わなかった。
エメロードは暫しの沈黙の後、はっきりと言った。
「私、この村に残るわ」
「え?」
声を上げたのはルビィだった。エメロードは困ったように眉を下げる。
「あの子のことが、気掛かりなの」
「ジャスパーの子か?」
「そう」
虐待を受けて育った子どもは、将来虐待をするようになる。
その言葉が脳裏を過り、ルビィは身を固くした。エメロードは目を伏せ、噛み締めるように言う。
「魔族の集落で売られていた子どもや、ラピス・ラズリ、ジャスパー……。世界は広大で、こんな悲劇もきっとちっぽけなんでしょう。でも、私もちっぽけな人間だから、彼等の傍に寄り添っていたい」
彼女の言っていることが、ルビィには何と無く解るような気がした。
有り触れた悲劇と、他愛も無い出来事だと思いたくないのだ。自分にも何か出来ることがある。何も無かったように素通りしたくない。
混血と蔑まれ、人間にも魔族にもなれなかったエメロード。けれど、そんな彼女が優しく思慮深い人であることをルビィは知っている。
「居住の許可はもう頂いたわ。貴方達と旅が出来なくなるのは残念だけど……」
「まあ、好きにするといい。俺には関係の無いことだ」
ダイヤがそう言うことも解っていた。ルビィは何か伝えなければと思うのに、何一つ気の利いた言葉が出て来ない自分に苛立った。ほんの短い間だったが、ダイヤが如何言おうとも一緒に旅をした仲間だ。別れの言葉も、祝福の言葉も、健闘を讃える言葉も出ては来ない。
ぎゅ、と口を結んで俯いた。顔を上げたら、不必要なものが零れ落ちてしまいそうだった。
そんなルビィの肩を叩き、エメロードが微笑む。
「きっとこの先、目を覆いたくなるような悲劇も、言葉を失う程の美しい景色も、貴方は色々見て行くんでしょうね。こんな時代で、こんな世界で、どちらが多いかなんて言うまでもないけど。何時でも、心に火を灯してね。貴方が闇に呑まれないように、ダイヤが道に迷わないようにね」
そう言って、エメロードは悪戯っぽく片目を閉じて笑った。




