16,刹那
16,刹那
ダイヤは何も言わなかった。
魔王軍四将軍の一人、ガーネットの軍勢と遭遇して、ラピス・ラズリが屠られて、一時は激昂し剣を交えた。けれど、すぐさま元来の冷静さを取り戻し、その場を離脱した。ダイヤにどんな考えがあったのかは解らない。けれど、無言で痩せた大地を歩くダイヤは何かに急き立てられるような早足で、振り返ることなく前進していた。
魔族に感情なんて無いと、以前、ダイヤは言った。あるのは本能だけと言って疑わないダイヤの背中を押しているものが感情では無く何だと言うのだろうか。何度も問い掛けようとして、口を噤んだ。私は、ダイヤのことを何も知らなかった。
隣を歩くエメロードもまた、無言だった。ラピス・ラズリの死から立ち直ってはいない。彼等の子どものような無垢な心に触れ、それが呆気無く奪われ、これが現実なのだと突き付けられたのだ。誰かに縋ることなく、自身で立ち直ろうとするエメロードは強い人なのだろう。
振り返らないダイヤに、エメロードが砂漠のような渇き切った声で問い掛けた。
「何処に、向かっているの?」
ダイヤは振り返らないまま、歩き続けている。歩調を緩めることも、休むこともない。人間と魔族の体力の違いなど考えるまでも無いのに、その足を止めないのは、私達の存在をすっぽりと忘れてしまっている為だろう。
思い出したように急に足を止めたダイヤが、振り返る。何の感情も読ませない何時もの無表情で、白雉のようにぽかんと口を開けた。私達の存在を失念していたことに、漸く気付いたのだろう。
「……此処から近いのは、スマルトの集落だな。排他的な人間の集まりだから、歓迎はされないだろう。だが、余所者という括りでは、人間にも魔族にも平等だ」
再び歩き出したダイヤの歩調は緩められた。
ダイヤの言う通り、岩砂漠を二時間程歩くと険しい山間にその集落は現れた。左右を切り立った崖に挟まれたその地は、何処か私の故郷を連想させた。閉鎖的で完結された世界。其処から足を踏み出そうとする人間はいない。外の世界へ興味を持つことも無い。
藁葺屋根の連なる寂れた家々は人気が無く、集落全体がひっそりと静まり返っていた。それでも、微かに感じる人の気配に耳を欹てれば囁き合う村人の声が聞こえるようだった。
痩せた大地を耕し、種を撒き、作物を育てる。山に足を踏み入れ獲物を探し、食料を得る。必要最低限の木材を切り出し薪とする。既視感を覚えきょろきょろと周囲を見回していると、珍しくフードを被らないまま歩くダイヤが言った。
「余所見するな。怪しまれるぞ」
慌てて姿勢を正すと、漸くエメロードが口元を緩めて笑った。
この集落の作りを理解しているような迷いの無い足取りで進むダイヤを追うと、その先にはぽつんと古びた小屋があった。まるで村八分にされているような家屋だ。違和感を覚えながらダイヤの横顔を見るが、相変わらず無表情だった。
ダイヤは足を止め、小屋をじっと見詰めている。何か覚えがあるのだろう。初めて来たようには見えない。今度こそ問い掛けようと口を開くが、またしてもそれは言葉になることはなかった。
「久しいの、魔族の者よ」
しわがれた声に振り向けば、腰を深く曲げた老婆が杖を突きながら立っていた。
その背後にはずらりと村人が警戒し、敵意をを剥き出しに取り囲んでいた。ダイヤは老婆を一瞥すると、興味無さげに目を細める。
「そっちこそ。まだ生きてやがったか」
旧知の仲であることはその言葉の節々から感じられる。一見すると若者のようなダイヤは、相対する老婆以上の長い時を生きているのだ。
ダイヤの視線は小屋に向けられたまま動かない。老婆が言った。
「あの子なら、まだ其処に住んでいるよ」
「そうか」
「ただし、来るのが十年遅かったね」
その言葉にダイヤが振り返る。けれど、老婆は意味深な言葉を残して半身になって言った。
「今夜は此処に泊まるつもりだろう? 小屋を一つ貸してやろう」
そうして老婆が指差した先は、その寂れた家屋から程近いまるで倉庫のように質素な小屋だった。
村人は老婆が歩き出すと、糸を引かれるように連なり去って行った。
残されたダイヤは黙り込んで、老婆の指し示した小屋へと歩き出す。エメロードと顔を見合わせ、その後を追った。
小屋の内部は古いながらも、手入れが行き届き埃一つ落ちてはいなかった。暖を取る囲炉裏が中央に位置し、簡素な台所には小さな竈が一つあるだけだった。その小屋が何の為に存在しているのかは解らないが、客人を予期していたかのように玄関には僅かながらも作物が用意されている。早々に囲炉裏の傍に腰を下ろし、フードを脱ぎ捨てた。
自在鉤には小振りな鍋が吊るされている。ダイヤは慣れた手付きで囲炉裏に火を入れた。エメロードは竈の横の桶から水を汲み上げ、鍋を満たした。自分も何かすべきだろうかと逡巡すると、エメロードが苦笑交じりに席へ促してくれた。
薪をくべながらダイヤは火箸で炎を弄っている。外が暗くなるに連れて、小屋内部の炎の明るさが際立っている。エメロードが簡単な野菜の煮物を作ってくれたが、ダイヤは終に箸を付けようとはしなかった。
何かを考えているらしいダイヤの横顔を炎が照らしている。奇妙な沈黙が小屋の内部に、幕のように下りて行った。湯を沸かし、エメロードは白湯を配ってくれた。それを一口、二口飲み下すとダイヤはまた視線を炎に落とした。
ガーネットと別れてから、何かがおかしい。エメロードも同じ考えのようで、炎に視線を向けながら静かに問い掛けた。
「……此処に来たのは、初めてではないのね」
ダイヤは答えず、白湯を啜った。
「あの子、とは?」
考え込むように、ダイヤは目を閉ざした。血の気の無い白い面は相変わらず無表情だ。
そして、目を開けた時、その青い双眸は何かを決意したような強い光を放っていた。
「昔のことだ。此処から数キロ離れた岩場で、餓鬼を一匹、拾ったんだ」
長命な魔族であるダイヤの指す昔が、どれ程の長さなのかは解らない。けれど、少なくともそれはルビィと出会う以前だった。
「薄汚い餓鬼だった。それに、傷だらけだった。特に理由は無い。何と無く、興味を持った」
それはダイヤのよく起こす気紛れだ。
小屋の中は薪の爆ぜる音が時折響くばかりで、ひっそりと静まり返っていた。
「手当なんて知らねーし、放って置く気も起きなかったし、近くに町でも無いかと飛んでみたら、このスマルトの集落を見付けたんだよ。そんで、餓鬼を連れて行ったら事情も解った」
バチリと薪が爆ぜた。炭を作って行く炎の中に、ダイヤは薪を追加する。
炎は静かにその大きさを保ちながら、周囲を照らしている。
「出迎えたのが、さっきの婆だ。もうちょっと若かったかな。杖も無かったし、腰も曲がっていなかった。訊いてみたら、その餓鬼は親に捨てられたんだそうだ。母親が出産と同時に死んで、父親がトチ狂った。そんで、集落の者で代わりに育ててたものの、父親が連れ去って虐待して捨てたんだそうだ」
「ひどい……」
「そうなのか?」
首を傾げるダイヤには、それが悲劇とは感じられないのだろう。ダイヤは続けた。
「俺が餓鬼拾って集落に届けたもんだから、大騒ぎだ。俺は魔族だったしな。お蔭でその父親は餓鬼が魔族だとか言い出すし、人間共は俺を見て逃げ惑うし」
火箸で炭を退けながら、ダイヤは酷く淡泊に言う。
「まあ結局、その父親、殺しちまったんだけどな」
「ダイヤが?」
「そう。急に襲い掛かって来たから、反射的に。人間共も叫ぶわ逃げるわ、てんやわんやだったな。まあ、それも次第に落ち着いて、餓鬼を如何するかって話になったんだ。この集落もあの父親を持て余していたんだろうな。餓鬼にも同情的だった。だから、俺が面倒を押し付けられることは無かったんだけど、餓鬼が妙に懐いてさ。俺が出て行こうとすると泣きながら縋り付いて来やがるんだよ」
その子どもの気持ちなど、ダイヤには恐らく永遠に解らないだろう。
心底不思議そうにダイヤが首を傾げる。
「置いて行っても良かったんだけどさ、何で俺に執着するのか気になって、ちょっとだけ面倒を見てたことがあったんだ。人間でいう一年くらいかな」
「一年間も?」
「お前等の感覚と一緒にするなよ。俺にとっては、瞬き程の短い時間だ」
親を亡くし捨てられた子どもが、無条件に自分を守ってくれる存在に縋るのは当然のことだ。情緒不安定な中で一年もの間、自分の為に滞在してくれたのが人間でなくとも、依存するのも仕方が無いことだろう。
けれど、ダイヤにはそれが解らないのだ。だから、気紛れといって中途半端なことをする。そして、それが悪いとも思わない。
「別に一年間ずっと此処にいた訳じゃないぞ。ちょくちょく立ち寄ってただけだ。ルブライトの時みたいにな。けど、その内立ち寄れなくなって、随分時間が空いてたみたいだな」
その空白の時間に、何かが起こったらしい。
ダイヤはそう言って、白湯を啜った。
その時だ。木々のざわめきや、薪の爆ぜる音とは明らかに異なる人間の叫び声が集落中に響き渡った。それは耳を塞ぎたくなるような金切声で、眩暈がするような罵詈雑言だった。何かを強く打ち付ける鈍い音と、肉を打つ乾いた音。
突然の状況変化にエメロードとルビィは勢いよく立ち上がった。ダイヤは目を伏せ、耳を澄まし状況を探ろうとしている。そして、何かを悟ったように力無く言った。
「負の連鎖か……」
初め、その言葉の意味が解らなかった。
ダイヤはゆっくりと立ち上がると、剣を腰に差して歩き出した。小屋の外は濃厚な闇が支配している。それでも響き渡る叫び声は明らかに幼い子どものもので、聞くに堪えない罵声は男のものだった。集落中の小屋からは村人が顔を覗かせ、音源へと視線を向けている。それは、先程見た寂れた家屋だった。
家屋には僅かな明かりが灯っている。人がいることは明らかなのに、近付くことが恐ろしかった。
此処で何が起こっているのか。それはダイヤの先程の話から察することが出来た。
「なあ、俺には解らないんだよ」
フードを深く被ったまま、ダイヤはルビィの横を擦り抜けた。迷いの無い足取りで小屋の前に立つと、腰の剣に手を伸ばす。フードの下の表情は窺えない。けれど、笑っている筈も無かった。泣いているとも想像出来なかった。
一閃――。銀色の閃光が闇夜に光った。一瞬で扉が切り倒され、灯りが大きく零れた。照らし出された家屋内部が鮮明なものとなる。
凄惨。その一言に尽きる。
まるで家探しでもしたかのように荒らされた内部。鬼の形相で棒切れを掴む男と、怯え身を丸くする少年。それはダイヤにとって、過去の投影に他ならなかった。
男が、ダイヤを見据え目を見開く。ルビィの想像が正しければ、男は、ずっとダイヤを待っていた筈だ。だって、彼にとってダイヤは、失った保護者同様の存在だった筈だ。
「ダイヤ……?」
剣を納め、ダイヤがつまらなそうに男を一瞥する。
「久しぶりだな、ジャスパー」
ジャスパーと呼ばれた男が、口元に笑みを浮かべた。対照的に無表情のダイヤは剣から手を離さない。
「随分とでかくなったじゃねーか。人間の成長は早いな」
「……ダイヤは、全く変わらないな。二十年前のままだ」
二十年――。
ルビィが生まれるより前のことだったのだ。人間と魔族の違い。繁殖力、異能、思考回路、違いは無数にあるけれど、その中でも大きく異なるのはその寿命だった。それはつまり、人間と魔族の時間の流れの違いだ。
ダイヤにとってはほんの僅かな時間の空白。けれど、人間にとって二十年は、子どもが大人になる程の長い時間だった。
「なあ、ジャスパー。お前、何をしているんだ?」
何の感情も含まない淡泊な声で、切り捨てるような冷たさでダイヤが問い掛けた。




