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bird of passage. ー渡り鳥ー  作者: 宝積 佐知
⑷忌むべき存在と世界の掟。壁を作ったのは誰か。
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12,その手を握る

12,その手を握る






 魔獣の唸り声を思わせる不吉な轟音で、ルビィは覚醒した。

 宵とも暁とも付かない淡色の空に、入眠時間が短かったことを悟る。風除けとして、気休め程度の岩場を宿代わりにしていたルビィは夜風に吹かれて冷えた体を丸めた。奇妙な形に風化した岩場のせいだろうか。吹き抜ける夜風は誰かの悲鳴のようだった。

 もう一眠りしようと毛布の下に潜ったところで、また、あの魔獣のような唸り声がした。



「――おい、起きろ」



 吐き捨てるような乱暴な口調に、今度こそルビィは覚醒した。

 猫の目のような痩せた月の下、銀髪が風に舞い起こる。胡乱に向けられた青い目は昏く、広げられた白亜の翼だけが幻想的に美しかった。絶えず響き渡る風の悲鳴と唸り声。それが何かを悟る前に、ダイヤは腰を下ろしていた岩場から舞い降りた。

 ルビィは寝惚け眼を擦りながら言った。



「ダイヤ……、何の音?」

「砂嵐だ」



 何でもないように言い放ったダイヤは広げた翼を畳もうとしない。

 この場から離脱しようとしているのだろう。砂嵐というものが何かは解らないルビィも、それが危険なものであることはダイヤの神妙な面持ちから理解出来た。荷物を纏めようとして、ルビィは目を疑った。

 視界の端に霞む奇妙な光景。周囲の風を呑み込んで巨大化して行く空気の集合体。魔獣の唸り声にも似た轟音。



「何、あれ、」



 それに向けられたルビィの人差し指は震えていた。

 天を穿つように聳える砂塵の塔。人間の思惑も魔族の力量も何もかもを呑み込んで消し去る圧倒的な力。全てを怖し呑み込み無に還すだけの存在。



「竜巻だな」



 淡々と、ダイヤは言った。

 突風の一種であり、積乱雲の下で地上から雲へと細長く延びる高速の、渦巻き状の上昇気流。周囲には神の怒りを思わせる雷鳴が低く轟き始めている。離れた場所にいる筈のルビィの頬を撫でる砂を孕んだ冷たい風は、竜巻の脅威を思い知るに十分だった。

 この場所にいてはいけない。直感的に、ルビィは避難を考えた。強大なあの自然現象から少しでも離れた場所に逃げなくてはならない。さもなくば、一片の肉片とて残らぬまま木端微塵に砕け散ってしまうだろう。そんな恐怖を覚えてルビィは立ち上がった。けれど。



「村、が」



 風の唸りに掻き消されそうな程に微かな細い声に、ルビィは振り返った。何時から目を覚ましていたのだろう、エメロードが竜巻を茫然と見詰めていた。

 その目に映るのは自然現象への恐怖ではない。轟音の合間に聞こえる僅かな人間の悲鳴。それが何かを悟る前に、エメロードは弾かれるように駆け出していた。



「エメロード!」



 ルビィの制止など聞こえぬような疾走に、ダイヤが小さく舌打ちをした。

 広げられた白亜の翼は僅かな羽ばたきにより、ルビィを抱えて一瞬にしてその距離を詰めた。ダイヤは下方で一心不乱に駆け抜けるエメロードを一瞥し、答えの解り切っている問いを投げる。



「おい、エメロード! 何処に行くつもりだ!」

「このままじゃ、オリーブの村が!」



 一瞬、躊躇うようにダイヤの飛行が緩んだ。それでも走り続けるエメロードの気持ちも、ダイヤの考えもルビィには痛い程に解ってしまう。

 長い間、エメロードを蔑み苦しめて来たオリーブの村。彼女が唯一守りたいと願った家族を殺し、その事実すら欺いて来た。恨むことはあっても、助ける義理は無い。例えエメロードが村を見捨てたとして、誰が恨むだろう。誰が彼女を責めるだろう。

 だけど、それでも。



「ダイヤ!」



 ルビィは、目を丸くするダイヤに向けて声を上げた。

 それでも、救える命があるのなら救いたい。そう思うのは人間の身勝手なきれいごとだろうか。薄汚れた理想論だろうか。

 ダイヤには解らないだろうか。それでも、ルビィは叫ばずにはいられなかった。



「あの村を、助けて!」



 ダイヤは何も言わなかった。

 以前もこんなやり取りをした。モーブの都で、ダイヤは処刑されそうな友人を平然と見捨てようとした。その時に、ルビィは愕然とした。幾ら人間と似通う形をしていても、ダイヤは魔族だ。人間とは相容れない生き物だ。自らを本能のままに生きる化物と言ったダイヤは、感情も心も持たないと言った。けれど、ルビィはそうは思わない。

 迷い、考え、決意する。それが心と言わず、何と言うのか。この後に及んで、如何して自分が助けなければならないのだと言うダイヤでは無いだろう。



「ダイヤ!」



 訴え掛けるようなルビィの声に、ダイヤは僅かに目を伏せた。

 竜巻に近付くに連れて、その飛行は吸い寄せられるように加速している。自殺行為と知りながら、引き返そうとしないその理由を、ダイヤに気付いて欲しい。壊滅間際の寒村から響き渡る悲鳴や絶叫を素通り出来ない意味を、知って欲しい。

 助けて、助けて、助けて、助けて。誰か、助けて。

 繰り返される救援を求める声に、エメロードは何の躊躇も無く手を伸ばす。ルビィはダイヤに抱えられたまま、その心の機微を見守ることしか出来ない。この状況で、人々を救う術があるとするならば、それは人間の手にあるのではない。

 人の事情も魔族の思惑も、全て呑み込んで噛み砕いて行く自然災害。どんなに優れた文明を生み出しても、どんなに特異な能力を持っていても、自然は何時だってその圧倒的な力で捻じ伏せて来た。偏に、それは時代の流れと同じだ。

 誰がどれ程に骨を砕こうと、強大な武力を誇っていても、変化しようとする時代の流れに逆らう者は皆等しく呑み込まれ消えて行く。

 唸る暴風に晒されながら、上空へと巻き上げられる家屋の残骸。傍の岩石にしがみ付く子どもの小さな掌が、ふつりと離れた。その刹那、エメロードの掌は確かに子どもの手を掴んでいた。

 混血と蔑まれ、病原体であるかのように避けられて来たエメロードの掌に、必死でしがみ付く子ども。その意味が、ダイヤには解る筈だ。

 ルビィは、突風の中で忙しなく羽ばたき続けるダイヤに問い掛けた。



「混血だなんて呼ばれて、たった一人で生きているエメロードが、誰も憎まずに平気な顔をして手を差し伸べるのは、如何して?」



 それが全ての答えであったかのように、ダイヤは顔を上げた。青い瞳に映る、夜明けを思わせる強い光にルビィははっとした。

 ダイヤはぽつりと、独り言のように呟いた。



「人間と魔族が相容れぬ存在ならば、エメロードは生まれなかった……」



 どちらでもないその存在が、どちらでもあるという答え。

 ダイヤはルビィを勢いよく岩場に投げ捨てると、大きく羽ばたいた。



「この竜巻、俺が最小限に抑えてやる。だから、お前等は一人でも多くの村人を避難させろ!」



 ダイヤは弾丸のように空へと翔け上がって行った。

 ルビィは岩場にしがみ付きながら、今にも飛ばされそうな村人の腕をしかと掴む。

 風に掻き消される悲鳴と共に、人間が上空に吹き飛ばされていく。

 助けたいとか、死んでしまえばいいとか、そんなことを思う余裕など欠片も無かった。ただ、死にたくないと願うだけで精一杯だった。けれど、それでも仇である筈の村人を救う為に自分の命を顧みずに奔走するエメロードを見れば、ルビィも立ち止まってはいられなかった。

 巻き上げる暴風の中、舞い落ちる桜花のように白い羽根が浮かんでいる。姿は見えないけれど、ダイヤも今、戦っている。

 小さな岩場の影で、団子状に固まる人間の集団にルビィは気付いた。中央にいる老いた長老を囲むように、村人が輪を作っていた。それでも風に飛ばされていく仲間に手を伸ばすこともなく、まるでそれだけが救いだというように老人を守る人々にルビィは狂気を感じた。

 一過性の竜巻ならば、この場所に待機するのが最良の判断かも知れない。けれど、これは違う。この村を滅ぼす為であるかのように留まり続ける竜巻に、人間が抗うことなど出来る訳が無い。



「早く逃げて下さい!」



 ルビィの叫びに、老人は胡乱な目を向けた。

 腐った沼のように淀んだ瞳は、ルビィとエメロードをじっと見詰めている。



「――貴様のせいだ!」



 突然向けられた叫びに、ルビィは息を呑む。



「貴様が禍を連れて来た! 貴様さえ、いなければ!」



 エメロードに向けられる憎悪が、自然災害への恐怖と共に一気に噴き出した。

 異口同音に繰り返される呪いの言葉。エメロードの掴んだ手を、子どもが振り払った。

 お前が悪い、お前のせいで、お前さえいなければ、死んでしまえ。

 鈍器で殴られたかのような衝撃を受け、ルビィは返す言葉を失っていた。――それでも。

 ルビィの手の中にある白い羽根が、目を覚ましてくれる。唇を噛み締めて俯くエメロードの掌がきつく握り締められる。ルビィは叫んだ。



「何を馬鹿げたことを、言っているの!」



 この状況で誰を恨んでも、誰を責めても何も変わりはしない。誰に祈っても誰に縋っても自分の命は守れない。



「人間も魔族も関係無い! 少しでも生きたいと思うなら、四の五の言わず逃げなさい!」



 その瞬間、猛り狂っていた風が緩んだ。僅かに差し込む光が朝日と気付いた時、遥か上空に翼を広げるダイヤの姿が見えた。

 どよめく村人が、互いの顔色を窺い合って動かない。長老の指示を待っているのだ。ルビィは苛立った。

 何故、自分で考えない?

 ルビィは嘗て、ダイヤにそう問い掛けられた。誰かに縋って生きるのは楽だ。何も考えず、何の責任を負うこともない。けれど、それは果たして生きていると言えるのだろうか。

 エメロードが何かを言おうと口を開いた。その刹那、大地を踏み締めていた筈の足がふわりと浮かび上がった。



「――エメロード!」



 風に吹き飛ばされるエメロードの腕を、ルビィは間一髪で掴んだ。岩場にしがみ付いたまま、己の意志で動こうともしない民衆を睨み、ルビィはその手を離すまいと力を込める。

 巻き上げられる家屋の残骸が、エメロードの体を強かに打ち付けて行く。蟀谷から流れる血液が上空へと舞い起こる。

 掌の感覚が消え失せ、限界を悟ったルビィの前に、再びあの白い翼が舞った。



「その手を離すな」



 びしりと言い放った力強い言葉に、ルビィの掌に力が戻る。一瞬でその場に立ったダイヤが、ルビィの腕を掴んでいた。

 美しかった翼は、所々掻き混ぜられたように逆立っている。体中にある裂傷の数々が、ダイヤがどれ程竜巻を抑え込もうと戦って来たのかを物語っているようだった。



「ダイヤ……!」

「本当に、使えねぇ奴だな。こいつ等を、逃がせって言っただろ」



 頬を流れる血液すら気にすることなく、ダイヤは不敵な笑みを浮かべている。

 ぼろぼろの翼を折り畳んで、ダイヤはエメロードへ手を伸ばす。けれど、エメロードの手は風に泳いでダイヤまで届かない。今にも泣き出しそうな顔で何度も腕を伸ばすエメロードに、ダイヤは笑みすら浮かべて言った。



「諦めんな。必ず、掴んでやるから」



 エメロードの顔が、泣き出しそうにくしゃりと歪んだ。

 震える腕が、吹き飛ばされそうな風の中で伸ばされる。ダイヤは、その手を掴んだ。



「俺達は、絶対にお前の手を離さない。だから、信じろ」



 この手は、絶対に離さない。

 先程、振り払われた子どもの掌を思い出し、ルビィは胸が軋むような痛みを覚えた。

 ダイヤは、この手を絶対に振り払ったり、離したりしない。何が起こっても必ずエメロードを助けるだろう。そう確信してしまうだけの奇妙な安心感がダイヤには、ある。

 エメロードの腕を掴んだまま、ダイヤは立ち往生する村人に目を向けた。



「この状況でまだ、人間とか魔族とか、……混血とか、そんなことに拘るつもりか?」



 青い瞳に映るのは憎悪でも憤怒でも無い。

 夜明けを告げる朝日に似た、希望の光だった。



「死ねば皆等しく土に還る。もしもお前等が、己の血を誇りたいのなら、恩は返せよ!」



 人間が、魔族が叫んでいる。この世界では起こりえないことを、平然と遣って退ける二人を前に、一人の子どもが足を踏み出した。

 傷だらけの小さな掌が、ダイヤの腕を掴んだ。それは、先程エメロードの腕を振り払った子どもだった。

 そして、それが切欠であったかのように一人、また一人と手が伸ばされる。繋げられた腕はまるで断ち切ることの出来ない鎖のように連なって、エメロードへと伸ばされていた。



――人間と魔族が相容れぬ存在ならば、エメロードは生まれなかった……



 ダイヤの声が、エメロードの胸に鮮明に蘇った。

 氷塊するように、エメロードの翡翠の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。人の鎖の後方で、エメロードを救おうと腕を伸ばすのはあの長老だった。

 突風は緩やかに、解かれるように霧散した。壊滅状態のオリーブの村が、その強大な規模と破壊力を物語っている。大きな爪痕を残した残骸の中で、エメロードは両手で顔を覆ったまましゃがみ込んでいた。

 荒れ果てた大地に染み込む涙の滴。散り散りになった村人は家族の安否を確認する為に忙しなく動き回っていた。



「何時までも泣いてんじゃねぇよ」



 乱暴に吐き捨てたダイヤは、一度大きく羽ばたいた。ぼろぼろだった翼は一瞬でその美しさを取り戻し、頬に貼り付く血を拭えば傷口はもう存在していない。

 ルビィはエメロードの傍に膝を着き、その肩を抱いた。

 その時、数人の取り巻きを連れた長老が、エメロードの傍に歩み寄った。



「お前に、渡すものがある」



 そう言って、老人は枯れ木のような指先で小さなネックレスを抓んで見せた。

 緑色の美しい宝石の嵌め込まれたそれは、涙で濡れるエメロードの瞳によく似ていた。



「お前の母親の、形見だ」



 手渡されたネックレスを受け取ったエメロードは耳を疑った。そんなものがある筈が無い。あったとして、彼等がそれを手渡す筈も無い。

 けれど、手の中に納まるそれは、遠い昔母の胸元で光っていた宝石に違いなかった。



「お前の母親は、数年前に病で死んだ。……最後の最後まで、お前のことを案じていたよ」



 あれ程恐ろしく感じた老人の淀んだ瞳が、何故か優しい光を帯びて見えた。エメロードは掌に収まるネックレスを握り締める。

 最後に見た母の姿も、声も思い出せない。それでも、手の中に納まった形見がその母の想いを訴えているようだった。



「嘘を、吐いていたのか」



 ぽつりとダイヤが問い掛けた。

 長老は僅かに口元を歪ませ、悪戯っぽく言った。



「お前さんには、解るまい」



 そうして背を向けた村人に、エメロードは涙を零し続けていた。

 世界には暗黙の掟がある。それに背くということは死ぬことだ。けれどそれでも、彼等はエメロードを殺さなかった。蔑みながら、目の届くところに置いていた。病で死んだ裏切り者のエメロードの母の形見を、今日この日まで守っていた。その、理由は。

 ダイヤには解らないだろう。ルビィは、くすりと笑った。

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