リーマンが異世界でゾンビになって、少女に飼われる話。
さて、諸君。私はゾンビである。
大丈夫だ。頭はおかしくなっていないので、病院の紹介はいらないし、黄色い救急車の手配も必要ない。 いや、正直に言うのならば脳の半分ほどはゾンビ・ウィルスに犯されて、『腐った状態』になっているので、頭がおかしいというのは合っているのかもしれない。
そんな頭のおかしい人間の話でもよければ、少しばかり聞いてくれ。
私がいるのは、君たちのいる世界とはかなり遠くだ。
そこには魔法があるし、モンスターもいるし、そしてゾンビなんてのもいる。そう、私のことだ。この世界ではゾンビはモンスターの一種だ。
先ほどゾンビ・ウィルスなどと言ったが、本当にそんなものがいるのかは不明だ。ただ、この世界でゾンビに噛まれたものはゾンビになる。その状況は地球で見たホラー映画や小説にそっくりで、ならば映画のようにウィルスで感染しているに違いないと予想した末の話だ。
かつて私もそちらの世界でごく普通に会社員として働いていた。
そしてなにかのはずみに、こちらの世界に落ちてしまい。第一村人を発見し、のこのこと近付いて行ったところ、それがゾンビであった結果、見事、彼らの仲間入りを果たしたというわけだ。
こちらの世界の住人とは微妙に身体の構造が違うのか、幸いにもゾンビ・ウィルスに完全に乗っ取られることなく、わりと普通に考えることもできるし、食欲もある程度は我慢できる。肉体も腐り落ちる気配は一向に見られないし、太陽光を浴びてもちょっと眩しいくらいですんでいる。ありがたいことだ。
だが、見た目はまるで『腐った』ように爛れているし、喉は潰れて意味のある言葉は話せないし、神経のいくつかはダメになっているようで機敏かつ繊細な動きはできない。
つまりは外見上はただのゾンビである。
文字を書いて意志を伝えることも考えてみたが、この世界では識字率が低いのか存在しないようで、町中を見ても看板らしきものには絵が描かれていたり色が塗りつぶされてたりするだけで、文字らしきものは見当たらない。
もし人々が文字を読み書きできたとしても、そもそも私はこの世界の言葉を知らないのだから無理な話だった。
人間との接触は無理だと悟った私は、ほかのゾンビにも同じように頭がまともな存在がいるのかもしれないと探してみたが、意味のある行動をとる個体はみつからずしまいだった。
仲間の一人もみつからず、普通の人間とは交流ができない。
そのうち、ありふれたゾンビの一匹として、退治されるのだろう。
そう諦めた私はだらしなく開いた口から、あーうーと意味のない唸り声を挙げながら野原を意味もなく彷徨う日々を過ごしていた。
彼女に出会うまでは。
ある日、零れる木漏れ日の心地よい木陰でまるまって昼寝中の私は、生きた人間が近付いてくるのに気がついて目を覚ました。
暴力的なまでの美味しそうな匂いが、もげた鼻を刺激したけれど、空腹の限界まで食事をしないように自制しているため、溢れる唾液を呑み込んで寝た振りをすることにした。
ゾンビに気が付けば、この場から離れていくだろう。もしかしたら殺されてしまうのもしれないが、その時はその時だ。
私はちくちくと痛む胃袋を押えるようにまるまって、じっと時が過ぎるのを待った。
さくさく。草をかき分けながら近付いてくる足音が、にぶった耳に聞こえる。まだこちらに気が付かないのだろうか。
近くにきたことで、より鮮明に感じられるようになった匂いは、カリッカリに焼けたフライドポテトよりも、焼けば脂の滴る焼肉よりも、夕食前のカレーよりも食欲をそそる、とってもとても美味しそうな空腹を煽る食べたくなr食べたい喰いたい肉たべるとても食べたい おいしいにく
「まあ、まだ昼なのにアンデットがうろついているなんて珍しいわ」
おいしい肉 の 声 が聞こえる。 起きて 見れば すぐ近く。 近くに おいしい 肉。 食べたい。 でも、ガマンしな くては。
「光に耐性があるのかしら?」
どうして ガマンするんだ っけ? だって 肉は 人間だから。 人はおいしい生きた肉 けど、食べては いけないいいいい の だっけ? 肉 近い 肉
「んー、でも立ち上がってから動かないわね。こちらに気付いてないってわけではないみたいだし、完全に耐性があるってわけじゃなさそうね」
手が とどく 若い肉。 ごはん 食べたい 肉肉。人の肉。 おいしい におい。 のする 肉。
「まあ、いいわ。結構、賢そうな顔をしてるし、次のペットはこの子にしましょ」
おいしい 人間 の 肉。
「さあ、おいで」
差し出された腕を食べようと、錆びた釘のように尖った歯が並ぶ口を開き、目の前の少女に一歩踏み出した。
瞬間、下に生えている草が急に伸び始め、蔓のように四肢のあちらこちらを縛りあげていった。骨がギシギシと音がするほど強く締め付けられているが、人間の頃とは違い痛みはほとんど感じない。
「ふふ、可愛がってあげるからね」
まるで愛らしい小動物に向けるような微笑みで少女は、私の灰色の肌をやさしく撫でた。
***
そして私は、15歳くらいに見える少女に捕まり、彼女の家に連れていかれた。
蔦で縛りあげられ、不可思議な力でふわふわと空中に浮かされて運ばれていく。先ほど植物を操ったことからも彼女はきっと魔法使いなのだろう。時折、鈴の鳴るような声でなにかを話しかけてくるが、残念ながら言葉をしらないため意味はわからない。だが、友好的な雰囲気はなんとなくわかった。
縛られたまま、町の門をくぐり、町の中にある城壁を二つ抜け、ようやく着いた場所は立派な街だった。
こっそりと遠くから町を覗くだけで知らなかったが、この街は何重もの構造になっていて、隙間だらけの木柵で覆われた一番外側の町は貧乏な民の住処でスラムに近い場所。そして野積の石垣を抜けると中流階級の住処。見上げるほどの城壁と鉄門に守られたここが上流貴族たちの住居が立ち並ぶ高級街だった。
モザイクレンガ敷きの道路の両端には、一見しただけで金持ちの家だとわかるような豪邸ばかりが並んでいた。よく見れば街灯らしき物まである。今の今まで、この世界は中世ファンタジー的な感じで、文明レベルも中世並、それどころかそれ以下だと思ってました。なにあれ車走ってるじゃん。
近代的かつ文化的な街並みにあっけにとられているうちに、どうやら家に着いたらしい少女が一つの家の門を開いて中に入る。
よく手入れされた庭木の奥に見えるのは、密室殺人事件でも起きそうな洋館だった。背の高い植垣に囲まれた豪邸からは外の景色は見えず、また喧騒も届かず、中にいれば森の一軒家にしか思えないほどだった。
分厚い玄関扉を開けば、予想通り広々としたホールが迎えてくれた。だが、出迎えてくれる人の姿はなかった。メイドの行列でも見れるかと期待していたのだが。一度でいいから「おかえりなさい、ご主人さま」と言われたかったのに……。
あー、恥ずかしがらずにメイド喫茶に行っておけばよかった。萌え萌え❤きゅんきゅんとか言っておけばよかった。
元の世界への未練をつらつらと考えながら、少女の後ろをふわふわと飛んでついていく。赤い靴を履いた小さな足は、迷いなくさっさと行ってしまうから室内をじっくりと見る暇がない。ずらずらと壁に並ぶハゲ男の肖像画とかすごく気になるんだけどー。
しかし、それにしてもお腹が減った。
こんなにも美味しそうな肉が目の前にあるのに、文字通り手も足も出ないとは悔しい限りだ。肉汁が滴る新鮮な肉は、やはり刺身だろうか。それともあっさりと塩だけ振って焼き肉にするか。ほろほろと崩れる寸前まで煮込んでもいいかもしれない。
「あー」
「もう少しだから、我慢してね」
ニクは苦笑すると、扉を開けて地下の階段を下りていく。先ほどまでの漆喰塗りの壁と違い、ここは石組みそのままで無機質で冷たい感じがする。暑さ寒さは感じない体なのに心なしかひんやりとした空気が頬に触れた気がした。
階段の一番下には大げさな錠がかかる金属の扉があった。重い音を立てて扉が開くと、先ほどよりも辺りが寒くなったように感じる。
かつて私が住んでいたワンルームよりも地下室は広く、軽い運動でもできそうな大きさだった。部屋のあちこちには何に使うのかわからない道具が転がっており、奥には腕ほど太い鉄格子に覆われた牢屋があった。
……きっと、ここが私の終の住処であり、死に場所なのだろう。
ファッションホテルのなんちゃってSMルームとは違う。本物の拷問部屋を前に私は命運を悟った。捕まえたモンスターを地下にわざわざ連れてきたのは、きっといたぶって殺すのを堪能するためだったのだろう。
「ぐるるるっ」
死ぬのならば、せめて一矢報いんとばかりに牙をむくが、少女は意に介さずに私の頭を優しく何度も撫ぜた。
「怯えているのね。大丈夫、怖くない怖くない」
何か恐ろしいことがされるのかと、触れられた瞬間、びくっと怯えて体が跳ねたが、彼女は静かに微笑みながらごわごわに伸びた私の髪を撫ぜるばかりだった。そうされているうちに、段々と困惑が胸のうちに湧いてくる。
「うーぅ?」
川で水浴びくらいはしているが。石鹸もシャンプーもないので汚れは完全に落ちず、前までに比べて不潔な体。しかも半分は腐っている。それなのに彼女は少しも嫌そうな顔をせずに、むしろ穏やかな笑みで触ってくる。
一度も散髪していないせいで、縦横無尽に伸びた髪が指で梳かれるたびに、少しずつ整えられていく。
「そういえば、お腹減ってない? 前の子の餌がまだ残ってるの」
「うるるぅ」
手が離れたことを残念に思っていると、少女は部屋の隅に置いてあった袋と皿を持ってきた。
床に置かれた青色の皿は、サイズこそ大きいが、犬皿であった。その皿の中に茶色の固形の物体がザラザラと入れられる。
「ふふ、あなたの名前はもう決めてあるのよ」
いつの間にか少女の手には、白色の首輪が握られていた。
革で出来た分厚い首輪が、私の首にしゅるりと彼女の手で巻かれる。触れた金属のバックル部分が、刺すように冷たく、私の胸まで氷のトゲのように届いた。
「よろしくね、ポチ」
カチリ。
首輪は着けられ、私は少女のペットになった。
「あーっ!(イエス、マムっ!)」