序
「あそこがおそらくそうですよ」
前方にようやく小さな小屋が見えてきた。がちゃがちゃとやかましく鎧を鳴らしながら横を歩く彼を見やり小さく声を掛けると、彼はかすかに頷いた。
「大きな気配はないが、ひとがいることは確かだ」
「いてくれるとよいのですが」
そう話しているうちにも、どんどん足は進み、小屋に近づいていく。
「あまりそういう気配はしないようだがな」
「そうですか? 魔法の気配はあるのですけどね」
扉の前で深呼吸し、どんどんと大きく叩いて待つ。しばらくすると、扉越しにひとの気配と「何の用だ」と問う声が聞こえた。
「こちらに、あの方はいらっしゃいますか?」
小さくこほんと咳払いをしてから質問を投げると、扉が薄く開いた。隙間からちらりと覗いているのは少年の顔だ。
「……ここにいるのは、俺だけだよ」
「痕跡と気配はあるのですが」
首を傾げながら、ここへ来る前に掛けた感知魔法と探知魔法にもう一度集中する。
「あ、いや、ちょっと待ってください」
わたしがそう言いかけた後ろで訝しむように彼が、「何なんだ。お前がここだって言ったんだぞ」と不機嫌な声をあげる。
「──すみません、あの方の気配ではなく、これはあの方の魔法の気配のようでした。距離があったせいか、どうも区別ができてなかったようです」
扉の前でそんなやり取りをするわたしと彼を見比べるように眺めた後、少年は「用は済んだ? ここは俺しかいないよ」ともう一度言って扉を閉めようとした。慌ててそれを止め、わたしたちにとって、今、一番重要な質問を口にする。
「……ここに、あの方がいたことは間違いないですよね?」
少年は目を眇めてこちらを睨むような表情になる。
「あの方って、誰のことだ?」
わたしは笑みを浮かべ、ゆっくり、そしてはっきりと述べた。
「先日の戦で、青白い炎を纏う黒馬を駆り、わたしたちを支配の魔法より解放して、クラインリッシュの将を仕留めた異形の戦士のことです」
思わずといったように目を瞠るようすに、これはあたりだという確信を抱く。
「ご存知ですよね?」
わたしは笑みを浮かべたまま、念を押すようにもう一度繰り返す……が。
「……もう、ここにはいないよ。やるべきことができたから、もういない」
「いない? やるべきこと、ですか?」
思わず眉を顰め、すばやく考える。あの場で、あの方は何と言っていただろうか。何度も頭の中で繰り返した光景をもう一度頭の中で繰り返す。
「──少し、お話を聞きたいのです。お時間をいただけませんか?」
いただけるまでここで待たせてもらいますが、とさらに続けると、少年は少しの間じっとわたしを凝視した後、はあ、と盛大に溜息を吐き、今度は大きく扉を開けた。
「……入っていいよ」
「ありがとうございます」
そう礼を言いながら、獣人と2人で扉をくぐった。
「改めて、わたしはレナー、この獣人はエドリムです。以後、お見知り置きを」
「俺はイーラ」
差し出した右手を、少し逡巡してから握る彼を眺めながら、では、この少年はあの方とどのような関係なのだろうかと考えた。