3.“死の騎士”
それからも幾度か骨竜を飛ばし、進軍ルートと速度を計る。おそらくこの土地へ到着するまでは4日か5日といったところだろう。途中におあつらえ向きの地形もあり、イーラにいくつか指示を出して必要な準備も整えることができた。
「では、イーラ、お前には骨竜に乗っていてもらう。私に何か問題が起こった時には、骨竜にお前を南へと連れて行くよう指示を出しておく」
「でも、そしたらシェンの騎馬がなくなるんじゃないのか?」
「大丈夫だ。陸なら、骨竜よりももっと頼りになるものがいる」
訝しむような顔のイーラの前で私は微笑み、“悪夢運ぶものよ、来たれ”と呟く。たちまち地の底から嘶きが聞こえ、私の影から湧き上がるように黒い馬が現れた。
「こいつは並の馬などよりよほど頼りになるのだ。地上で“悪夢の運び手”に勝る軍馬はいない」
呆気に取られた顔のイーラにそう笑うと、「なら、気を付けて」と息を吐いた。
北の軍勢は先頭に獣人の戦士を従えた魔術師たちを並べている。その後ろには人族の歩兵と騎兵だ。
魔術師に大規模魔術をいくつも放たせた後、恐れを感じない獣人の勢いで押し、混乱したところを統率の取れた歩兵と騎兵でさらに蹂躙するというやり方でここまで来たのだろうか。
……捕らえて奴隷にして補充すると言っても数には限りがあるだろうに、魔術師と獣人戦士を使い潰すことも厭わないやり方に、反吐が出そうだ。そのおかげで、こちらにも付け入る隙ができたのだとはいっても気に入らない。
想定通りのルートをたどって南下する北の軍を、はるか上から眺めながらつらつらと考え……そろそろ頃合いだろう、交代しなければと、イーラの待つ場所へと舞い戻った。
それから数時後、予定の場所……この世界の魔術が届かないぎりぎりの距離で黒馬にまたがったまま北の軍の到着を待つ。やがて現れた軍隊は私に気づくとにわかに活気づき、足を速めたようにも見えた。
見上げれば、上空を舞う影がひとつ。どうやら、順調にことは進んでいる。
「“封じられしものよ。捻じ伏せられしものよ。今こそその枷を外そう。お前は頸木より放たれ、再び魂の自由を得る”」
獣人たちと魔術師たちがその場所まで動くのを待って解放の言葉を放つと、この場を囲むように埋められていた陣から青白い光が迸った。
この場がその光で満たされると同時に、何かが割れるような、弾けるような感覚が沸き起こり……目の前の獣人たちが呆然とした顔で唐突に立ち止まる。後ろに控えた魔術師たちも、先ほどまでの無表情が何だったのかと思うくらいに慌てた表情を浮かべ、周りを見まわしている。
追い討ちをかけるように、私は地を這うような低い声で、彼らに支配の魔術の終わりを告げた。
「お前たちは自由を得た。今これよりお前たちは、自身の為すべきことを自身で考え、自身で判断し、自身で決定せよ。お前たちの主はお前たち自身である。善を為すも悪を為すも、お前たち自身の意思によりお前たち自身によって決めよ」
立ち直りが早かったのは、獣人たちだった。
彼らはたちまち後ろを振り向くと、これまで己を追いやっていた後続の歩兵や騎兵たちへと襲い掛かり始めた。怒号と悲鳴が上がり、場に混乱が訪れる。
次に魔術師たちが我に返った。彼らは獣人を援護するように魔術を放ち、場はよりいっそうの混乱に支配されていく。
私は高らかに笑い、この軍の一番奥……これを率いる司令官を目指して黒馬を駆った。
「“腐汁の海より、我が眷属よ来たれ”」
馬を駆りながら地の底より眷属……腐肉を纏った不死者を呼び出した。邪魔をする北の軍の人族は私の眷属に掻き毟られ、引きずり倒される。それでも立ちふさがるものは、私が切り捨て、黒馬の蹄で踏み潰す。
「私の糧となりたいものは私の前に出るがいい。その血と死を私の力としようではないか」
くつくつと笑いながら走り抜ける私はまさに悪鬼と言うべき姿だったのだろう。馬を進めるとその先が割れ、自然と道ができあがり、さほど苦労することもなく司令官のもとへとたどりつくことができた。
「お前がこの軍を統べるものか」
さすが軍を率いる将というべきか、彼は恐れる様子を見せず、私に剣を向け「悪魔め!」と吐き捨てた。
腐肉を纏った下僕を従え、蹄を打ち鳴らすたび青白い炎を散らす漆黒の馬を駆る、この世界の人族からすれば異形以外の何物でもない姿の私は、確かに悪魔なのだろう。
「……だが、私が悪魔だというなら、お前たちの所業はどう説明するのだ」
薄く笑みを浮かべながらそう問うた後、思い直す。
「いや、説明などしなくていい。お前たちはかの者……恐るべき邪悪なる“不死の王”の所業にも勝る冒涜を行ったのだ。何を説明されようと、私はそれを許すつもりはない」
生き物は、自身の自由な意思に従い、生きていく権利を持っている。それを冒すものはたとえ神であっても許さない。
馬上で剣を構える私の姿に、この者の護衛と思われる騎士たちが剣を抜いた。私の笑みはますます深くなる。
「“血の薔薇よ、我に加護を”」
深紅の陣が足元に浮かび上がり、私に力を与えると同時に目の前の男から力を奪う。
「“我が血に宿る腐肉漁りどもよ、餌の時間だ”」
手首に剣の刃を走らせ迸る血を撒くと、そこから腐肉漁りが湧き出し、たちまち周囲の人族に襲い掛かる。
「では罪深きものよ、お前の命を我が糧と為そうか」
主を守る暇もなく、ただひたすら腐肉漁りの相手をするしかない騎士たちを尻目に、私は司令官の男に切りかかる……彼も本来は将となるだけの腕を持つ者なのだろうが、陣の効果と味方の望めないこの状況に、本来の力を出すこともできず翻弄されていた。
そのうえ、彼の流す血と潰えようとする命は私に力を与え続けているのだ。
「次は、お前を下僕として呼んでやろう。せいぜい私に奉仕するがいい」
司令官の頭を掴み、力を込め……残り少ない彼の命の灯を吸い上げると、たちまち彼の身体は萎びてしまった。
ほう、と息を吐き、私は軽くなったその身体を頭上に捧げ持ち、声を張り上げる。
「貴様らの将は討ち取った。北の国のものよ、貴様らの負けだ。剣を引け……それとも、お前たちもこうなりたいと望むか?」
萎びたものを振り回し高らかに笑い声を上げれば、戦意を失った北の兵士たちは戦いをやめ、剣を捨てた。
将の護衛騎士が、「悪魔……」と呟く声が漂った。
それからの数日は、混乱と忙しさに追われ、慌ただしく過ぎていった。
南へと下ってきた北の軍隊は、突如現れた悪魔の手により呪われ壊滅した……ということになっている。
私が表に出るのはまずかろうと、さっさと姿をくらましてしまったので、そういうことになったようだ。
やつらの支配を逃れた魔術師達にこっそりと連絡を取り、支配破りの魔術を伝授しようかと申し出ると、彼らは一も二もなく私の提案に飛びついた。私に対する詮索を行わないことと引き換えに支配破りの陣を伝授すると、彼らはしきりにその構成に感心し、あれこれと質問を浴びせ、陣というものを理解しようと努めた。
この陣の使い手が増えれば、この先、より多くのものが救われることだろう。
そして……。
「イーラ。お前には基礎を全て教え終わった。あとは、経験と成長がお前を一人前にするだろう」
「シェン!」
そう述べると、イーラは慌てたように私の名を呼ぶ。
「……まさか、やっぱりと思ったけど、まさかもう行くのかよ!」
「私にはやらねばならないことができた。支配されたものの頸木を解き放てと……私がこの世界に来た意味は、きっとそういうことなんだろう」
「もう少し待ってくれよ。そしたら、俺も一緒に行けるから」
「お前は来る必要はない。これは私の使命だ」
焦ったように、思い詰めたように、私について行きたいと言うイーラを一刀の元に切り捨てると、彼は唇を噛み締めて立ち尽くした。
「お前はもう大丈夫だ。今まで学んだことを忘れず、精進を続けろ。私のようなものについてくる必要はない。
それに、私が行く場所は非常に危険だ。お前のような半人前を抱えて渡り歩く自信などないよ」
苦笑を浮かべてそう述べれば、彼はますます悔しげに顔を歪める。
「くそ……あと2年もすれば、俺だって成人の歳になるのに」
「あまり急ぐな。焦って大人になる必要などないのだ。お前なら、2年努力を続ければ、かなりの戦士となれるだろう」
ふっと笑んで、「お前に黒炎の加護があらんことを」と額にキスを贈る。
私のような呪われたものが、果たしてまともに祝福が贈れるのかとても疑問ではあるが、彼の進む先に良き未来が待っていることを望む。
「では……がんばれよ」
それだけを言い残すと、私は骨竜にひらりと跨り飛び去った。