2.支配の魔法
城へ戻る手段は見つからず、かといって、どこかあてがあるわけでもなく、彼に剣を教えることにもなった私は、そのままイーラの家に滞在することになった。
まだ親の庇護が必要な歳の彼を放り出せず、せめて彼の父親が戻るまでは、という言い訳をしながらでもあったが。
──イーラはなかなか筋のよい少年だ。
木の枝を削って作った木剣で基本的な型を教え、身体の鍛え方を教えると、ゆっくりと、しかし確実に彼は力を身につけた。私は弓が多少不得手ながらも、弓の引き方と矢のつがえ方、狙いのつけ方を教えれば、こちらも瞬く間に上達し、私よりも正確に、狙いを外さないようになった。
おそらく、目と勘が良いのだろう。今はまだ身体は付いていかなくとも、目は私の動きを追うことができている。このまま訓練を続けていけば、彼が成長して身体ができてくる頃には私を超える戦士となるだろうと、十分に想像できた。
数ヶ月かけて彼の訓練を行う合間に、私は小さな魔法炉を裏庭に設えた。魔法炉を作る際に必要な材料は、実のところたいしたものではない。どちらかといえば炉に刻む陣が重要で、我らの同胞であれば当たり前のように陣を描くことができる。
青白い炎の点った魔法炉を前に、これでようやく武具の心配をしなくても済むなと考え、早速、かつて私が使っていた長剣を打ち直した。
「お前の力もだいぶ付いてきた。そろそろ本物の剣を使ったほうがいいだろう」
そう言って、打ち直したばかりの長剣を渡すと、イーラは驚いたように目を瞠る。
「……いいの?」
「これは私がまだ訓練を受けていたころに使っていたものだ。それほど重くもなく、バランスもいい。今のお前にはちょうど良いだろう」
茫然としたような表情のまま、イーラは押し戴くように剣を受け取る。すらりと鞘から抜き放つと、彼はぼうっと青く光る刀身を上から下までじっくりと眺めた。
「……魔法の剣だ」
「その剣には斬れ味が増す魔法を与えている。自分の足を切り落とさないよう、注意して扱うことだ。次からはその剣で訓練を行うぞ」
剣を眺めたまま彼は笑顔になり、こくりと頷いた。
そして……北の隣国との本格的な戦が始まったのは、冬が終わってからだった。
イーラの話では、このあたりは北との国境に近いという。領主の館がある町も近く、戦争が本格化すればおそらく戦場になるだろう。
どこか諦観の色を滲ませて、イーラは「どこに行っても、戦いばかりだよ」と言う。
「前に、親父が言ってたんだ。小さな国がひしめいてるから、この大陸は戦いばかり起こるんだって。どこに行っても戦争から逃げることはできないよ、って」
溜息を吐くイーラにかける言葉が見つからず、私はただ彼の頭に手を置いた。
夏になると、戦線がだんだんと南下しているという噂が流れるようになった。
北は魔法に長けた種族と戦いに長けた種族を多く集め、この国の土地を蹂躙しながら進んでいるのだという。
戦場で北に捕らえられた者は戦奴隷に落とされ、そのまま戦場で死ぬまで戦わなければならない運命となるのだ。
……戦争の理とはいえ、奴隷を善しとする国が栄えるのは、私の目には非常に忌々しいものと映った。自由を奪われ戦いへと駆り出される姿は、かつてかの者の下僕であった自分に重なり、とても平静ではいられない。
そうしているうちにもイーラの訓練は進む。彼に与えた剣は、魔法炉での手入れが必要となる。彼に炉の扱いと剣の手入れ方法を教え、さらには簡単な魔法の付与のしかたも伝授した。
地頭が良いとはこういうことなのだろう。イーラはまるで乾いた砂が水を吸い込むように、驚くほどの早さで様々なことを吸収した。彼は何かを学べることが楽しくてしかたないように見えた。
秋になり、様々な作物が収穫を迎える頃……とうとう、戦線がこの土地まで下りてきた。
大規模な魔法が使える魔術師がひとりいれば、大隊ひとつ抱えてるに等しい戦力となる。戦いに長けた種族の戦士は人族5人分に等しい戦力となる。
北の隣国はそんな魔術師や戦士を幾人も抱えているのだ。人族が主な戦力であるこの国の旗色は最初から悪かった。国境はじわじわと南に押され、このままではこの辺りまでが北の隣国の土地となってしまうだろう。
北の軍隊がこの地へ向かって来ていると聞き、私はすぐに骨竜を駆った。この戦争に介入するつもりはなかったが……私は所詮この地のものではない。私の介入は、どちらにとっても余計なことでしかないだろう。だから、北の軍の様子を偵察し状況を掴んだうえで、イーラを連れてもっと南へ移動しようと考えたのだ。
「……この、魔術は……」
そこで私が目にしたのは、支配の魔術だった。“北の国の戦奴隷”というのは単に自由を奪われているのではなく、“自由意志”を奪われているものたちを指しているということを、初めて知ったのだった。
──死んだような虚ろな目をした魔術師たち。言われるがままに歩き続ける戦士たち。かつて、かの者に従い、ただただかの者の駒となって動くだけの木偶人形だった私の姿と同じものがそこにあった。
もちろん、軍のすべてのものが人形というわけではない。だが、多くの異種族の魔術師と獣人の戦士は人形以外の何者でもなく、一切の感情も意思も映さない目で……いや、時折目の奥に絶望にも諦観にも似た光が一瞬宿っては消えて、そしてただただ歩き続けていく。
呆然と宙に浮かんだままそれだけを見て取ると、私は馬首を巡らせ、その場を飛び去った。
「何があった?」
戻っては来たものの、明らかに落ち着きを欠く私に、イーラが問うた。
「……イーラ、知っていたら教えて欲しい。北の隣国の“戦奴隷”とは、どういうものなのだ。身体の自由を奪われるだけでなく、意思の自由まで奪われるものなのか」
イーラは少し目を逸らし、あまりよくは知らないけれど、と、前置いた。
「……俺がもっと小さかった頃、親父が、人間で良かったな、人間じゃなかったら北に捕まって死んだほうがましなことになるぞ、と言ってたことがあるんだ。人間にはそんなことしないけど、魔族や獣人はとても強いから、捕まえたら魔法や呪いで絶対に逆らえないように、逃げられないようにして死ぬまで戦わされるんだって」
「……」
それきり黙り込む私の顔を、イーラが首を傾げて覗く。人族が、かの者のようなことを行うとは……いや、かの者に全てを奪われたうえで支配されるのと、進軍する彼らのように自分を残したまま支配されるのと、どちらが幸いと言えるのか。
深く溜息を吐いて、私は言葉を探す。
「……イーラ、私はこの地では他所者だ。だから、私はこの地で起こることに手を出すべきではないと考えていた。
……けれど、これはだめだ。これを見逃すことは私の存在意義に関わることで……私の最も重要な使命は、同胞をかの者の支配の頸木より解き放つことなのに、ここにはかの者の支配よりも、さらに過酷な支配を受けているものたちがいるんだ」
「シェン……」
「すまない、イーラ。ここが戦場となるなら、私はお前を南へ逃がさねばならないのに、それができなくなってしまった」
私の言葉に、イーラはにいっと笑って、たいしたことではないと頷いた。
「大丈夫だよ。俺、これでも結構はしっこいんだ。
それに、シェンはひとりで大丈夫なのか? 解き放つって、北の支配の魔法は相当な魔法使いでも解くのに苦労するから、一度支配を受けたらもうおしまいだって聞いたことがあるよ」
「……かの者の力に比べれば、定命のものが操る魔術など、たいしたことはない。我らはかの者の支配すら打ち破ることができる。あの程度の魔術なら何も問題はない。
だが……あれだけの数となると、あらかじめの準備が必要だろうな」
「なら、俺がその準備を手伝うよ」
「危険だ」
首を振る私に、イーラは真剣な表情で身を乗り出す。
「何も、北の軍の前に出て何かするってわけじゃないんだろ? 無茶はしないって約束する。だから、俺も手伝いたい。
……この土地と関係ないシェンが頑張るのに、生まれた時からここに住んでる俺が何もしないなんて、できないよ」
ぐっと拳を握り締めるイーラの姿に、ふ、と息を吐く。
「……そうか……そうだな。たしかにそうかもしれない。では、お前にも少し手伝ってもらおう」
「任せてくれよ」
どんと胸を叩くイーラに、いつの間にか、笑みが漏れていた。
「だが、くれぐれも、危険なことはやらないと約束してくれ」
「わかった」