5話:皇女と指令書
頬がヒリヒリと痛む。
それでも歯を食いしばって、キール隊長に敬礼をした。
初陣で2機撃墜したとはいえ、『ついてこい』という命令を護らなかった。それは、罰に値する。
頬を殴られても、仕方ないことだし、むしろ殴られて終わりで良かったと安堵すべきところなのだ。
「失礼しました」
その場を辞して、外に出る。
ネロの姿はない。代わりに、へらっへらと相変わらず緊張感のないカリストが待っていた。
「よっ、どうだったか?」
「別に。殴られただけでお咎めなし。よかった、2機撃墜しておいて」
「ま、ユーリんとこのキール隊長は4機も、あの鬼軍曹だって3機も落としてるけどな。俺っちだって、後ろとられるなんてヘマしてないし」
カリストの撃墜記録は1。
あの乱戦の最中、味方を誤射することなく、的確に運搬ドラゴンを打ち抜いたのだと聞く。
「そういえば、私の駄龍を知らない?」
「ん、それならさ、ドラゴン舎の方でみっちり先輩ドラゴンに怒られているらしいぞ。
『ドラゴンはただ飛べばいいだけではない。未熟な竜騎士を導いてやるのも仕事の内だ!』って」
敵を落としても未熟、か。
そりゃそうだな。そうだよな――。ぼんやりと空を眺める。
来た時よりも、雲が多い。分厚い灰色の雲に、ぽつりぽつりと青空が浮かんでいる。
しばらくカリストの下らない話を適当に相槌をうちながら、ぼんやりと空を眺めていた。
「ん、おっ、おい!ユーリっ!あれみろ、あれ!」
そんな私を現実に引き戻すかのように、ばんばんと強く肩を叩かれる。
半ば嫌々、カリストの視線の先を辿って、私は弾かれたように背筋を伸ばした。視線の先にいたのは、新品の飛行服を纏った少女だった。流れるような金髪に、深い海の色の瞳、鍛練とはかけ離れた細くしなやかな白い肢体の美少女。間違いない、帝国の第二皇女ご本人だ。
私は思わず、傍らのカリストにしか聞こえぬくらい小さな声で囁いた。
「姫様!?なんで、姫様がここにいるわけ?」
「知るかっ!俺っちが知りたいくらいだって!」
「あら、貴方たちは――」
こそこそ話していると、皇女様とピッタリ視線が合ってしまった。
まるで流れるように、こちらに近づいてくる。私とカリストは、ほぼ同時に敬礼をした。
「はっ、ポルクス小隊隊長、カリスト・ポルクス少尉であります」
「キール小隊所属、ユーリ・コドモ少尉であります」
「まぁ、ポルクス侯爵家の次男と、エーゼット伯爵家の長女でしたか」
皇女様は、少し驚いたように口を覆った。
しかし、驚きをふんわりとした笑みで隠す。その笑みだけで、殺風景な背景に花が咲き乱れたように感じるのだから、不思議なモノだ。
「ポルクス侯爵家は、今回の戦争において多大なる支援をしてくださっていましたよね?
いつも感謝いたしておりますわ」
「あ、あ、ありがたき、し、し、幸せでございます」
カリストは、いつにないくらい顔を赤面させていた。
どこをどうひっくり返しても、普段のチャラ男っぷりはどこへ行ったのやら。じとーとした眼差しで見てしまうが、カリストは全く気がついていない。
「コドモ伯爵にも、感謝していますよ」
その一言で、私は皇女に視線を戻した。
「この飛行服も、伯爵家が続ける研究の賜物ですわ。
従来の布製の物より、遥かに暖かさを増していますね。飛行中、くしゃみが1度も出ませんでした」
この飛行服は、溶かした『炎属性の魔石』で形成された糸で編まれている。
基になった発想は、異世界人が着ていたジャケットだろう。引き立てられるように屋敷に連れ込まれた異世界人(恐らく日本人っぽい)の着ていた服は、ポリエステルのジャケットだったから。
石油や石炭のないこの世界にも、電化製品っぽい『魔具』が存在する。
ただ、電気で動かすのではなく、魔石で動かしているのだ。
品質や魔石の属性によって使用用途は分けられるけど、簡単に言えば『乾電池』みたいなものだと認知している。
ただ、あり方は乾電池と似ていても、その多岐にわたる用途は石油に近く――魔石も戦争を引き起す火種になってしまっていたりする。
今回の戦争だって、魔石の採掘権を争うために始まったものだと聞かされている。
「はっ、ありがとうございます。
皇女様のお言葉は、この私が父に伝えておきます」
「コドモ伯爵の研究は、今後の戦争で非常に重要になるでしょう。
それで、御二人の戦果は?」
話題が父達から私達へと移っていく。
カリストは、顔から湯気を立てながら
「俺っち――いや、私は向かい来る敵に炎の雨を浴びせ、見事5機撃墜―――っ痛っ!」
と、嘘を言おうとするので、足を踏んでおいた。
皇女は、くすくすっと笑っている。
「すみません、運搬機を1機打ち落としました」
「そうですか!今回の空戦では、経験豊富な竜騎士も未帰還になってしまう大戦闘だったと聞きます。
その中で生き残れただけでなく、しっかりと任務を達成できたということは、貴方がとても優秀だということだと思いますよ」
カリストは、今にも倒れそうだ。
オーヴァーヒートを起こしてフリーズしている機械のように、ゆでだこみたいな顔で突っ立っている。
まぁ、この超絶美人な殿上人にお褒めの言葉をかけられたら、男は大抵こうなるのかもしれないな、とぼんやり感じた。
「それで、エーゼット伯爵令嬢はいかがでしたか?」
「はい。2機撃墜しました」
「まあ!初陣で2機もですか?」
「はい、ですが1機目を落とした後に油断してしまい、後ろに回り込まれてしまいましたが」
そう告げた途端、皇女の顔色が少しだけ曇った。
まるで思案する様に指を顎に当て、黙り込む。何か失言をしただろうか、と考えながら、とりあえず黙り込んでしまった皇女に声をかけることに決めた。
「皇女様?御気分がすぐれないのでしょうか?」
「いえ、なんでもありません。
ただ、後ろに回り込まれるというのは怖いモノですね、と考えてしまいました」
「まぁ――確かに怖かったです。
もう二度と、背後を取られたくないものです」
そう言うと、皇女の顔色が元に戻る。
気のせいか、海色の瞳がきらんと光ったような気がした。
「分かりました。それでは2人とも、御武運を。
実践はもちろん、訓練も頑張ってください」
皇女は去って行った。
私は彼女の背中が見えなくなるまで敬礼をし、豆粒のような背中が扉の向こうへ消えた後、ようやく手を降ろした。
ずっと上にあげていたので、腕が少し痺れていた。
「やっと行ったみたいですね……カリスト?」
カリストの反応がない。
見てみれば、白目のまま固まっているのだ。まるで、放心状態になっているかのように――というか、たぶん放心状態だろう。
私はため息とともに、カリストを力を込めて蹴った。
「――っ痛ぇ!!」
「さっさと目覚めなさい、カリスト。そろそろ訓練場に行く時間です」
こんな奴より私の飛行成績が悪いなんて、ちょっと落ち込んでしまう。
一応、私の方が撃墜数が多いけど、カリストはすぐに追い抜いてしまうんだろうな――と寂しく感じてしまう。
「遅いぞ、落ちこぼれ女」
会議室へ着けば、すでにネロが待っていた。
カリストと別れ、ネロの隣に立つ。
「悪かったですね、駄龍」
ネロの身体には、痣が目立った。
カリストの話から推測すると、『竜騎としてなっとらん!』とか言われて、殴られたのかもしれない。
だけど、深く詮索することなく私は壇上を見上げた。壇上には先程の皇女と護衛の竜騎士が並んでいる。
皇女は、こほんと咳払いをすると周りを見渡した。
「みなさん、お疲れ様でした」
皇女の凛っと通る声は、会議室を木霊する。
カリストみたいにほわわーんとなる竜騎士もいれば、クロノ鬼軍曹やキール隊長のように静かに言葉を胸に収める竜騎士もいる。ただ、ドラゴンは皇女の言葉なんてどうでもいいらしく、視点の定まっていない者やさっさと終わってくれないかなっと思っている連中が多いようで―――ネロなんかは、怠そうにポケットに手を入れていた。私は、そんなネロを目で諌めた。
「この戦争は、間もなく終わるでしょう。
つきましては、次の戦争に向けて――休息を作りたいと私は考えております」
その瞬間、夢見心地な気分が覚めた者が多いようだ。
竜騎士たちは、誰もかれもが背を伸ばす。ドラゴン達にも『戦い』という言葉に反応して、耳を傾けるものが多くなってきた。
もっとも、私の駄龍の姿勢は変わらないが。
「私が組織する新たな部隊に、必要とされる人材を探しているのです。
今回の戦績を踏まえ、新たな部隊に配属される者を読み上げたいと思います」
どうやら、皇女お抱えの竜騎士隊を作ろうということは分かる。
でも皇女お抱えになれば、こうして戦地を飛ぶことは無いと考えて等しい。実際に、帝王直属の竜騎士隊は城の警護だけで実践に出ることは皆無であり、空を飛ぶ訓練すら1か月に1度と言うカリストに言わせれば『楽』であり、私からすれば『酷』な世界だ。
皇女は、ぱらりっと巻物を広げた。
私は、なんとなく聞き流す。他の誰が内地に戻されるのか、そんなこと興味ない。
今回戦績を上げたことにはあげたが、命令違反を犯した自分が、入っているわけないと分かっているのだから―――
「ユーリ・コドモ少尉」
最後の最後。
私の名前が入っていた。
視界は、がらりっと一変してブラックアウト。
「以上、10人。いったん内地へと帰還し、命令を待つように」
「はっ!」
あぁ、きっと役立たずって思われたんだ。
敵に後ろをつかれてしまったが、運良く生き残ってしまった竜騎士。このまま戦地に置いておくより、内地で安全に暮らしたさせた方が、ドラゴンの消費も少なくて済むと考えたのかもしれない。
私の竜騎士人生の終焉を想像し、小さくため息をついた。
―――というのは、間違いだった。
「あの訓練、いったい何なの!?」
アイスコーヒーを口に含み、日々の訓練を愚痴る。
新しい隊に配属されて、1か月。
ほろ苦い爽やかな感覚だけでは、私の心にたまった鬱憤は晴れそうにない。
こうして、吐き出すことで何とか明日も訓練に臨むことが出来るのだ。
「まったくだ、あんな変な訓練を繰り返すくらいなら、戦場に還りたい。
それに、帝都の空気は不味くて仕方ないんだよ」
それに同意するのは、チョコレートパフェを頬張るネロだ。
むっすりとした機嫌の悪い表情で、がつがつと銀の匙を運んでいる。
実際には帝都から少し離れた演習場で訓練を重ねているわけだが、寝泊りする寄宿舎は帝都だから、実質帝都で訓練しているのと同じだろう。
「珍しく気が合いそうね、駄龍」
「そうだな、落ちこぼれ女」
「まぁまぁ、訓練の愚痴は言わない言わない、な?」
カリストは、へらへらっとしている。
いくら訓練がきつくても、ちょっと変な訓練でも、こうして軽い笑みを絶やさない。こいつはこいつで、変な奴だ。
「どんな訓練も、意味があるはずだろ?」
「それでも、愚痴を言いたくなりませんか?
この隊に所属されてから繰り返し繰り返しするのは、いつも同じ。
『敵に後ろを取られない』『敵を倒す時は、一撃で』ですよ。もちろん、両方とも大切なことだと分かりますけど」
「後ろとられても、なんとかなるだろ。敵を一撃で倒す、っていうのは分かるけどさ」
私とネロは、口々に愚痴を言い合う。
だけどカリストは、そんな私達の倦怠感を一笑する。
「んーでもさ、なんかの訓練なんじゃないのか?だからやるんだろ?」
「だって、王国とは大勝利を収める寸前でしょ?この間の策戦だって成功したし。
これ以上、何処と戦うって言うの?」
「それは――分からないけど」
カリストは助けを求めるように、己のドラゴンに視線を向ける。
しかし、彼の竜騎のスイミーは、我関せずという態度だった。主の困惑をよそに、ただ黙々とコーヒーを飲んでいる。
「この1か月、ただただ訓練ばかり。いったい、どういうつもりなの?」
毎日のように空が飛べるのはいいけど、まったく意図が読めないのが不安だ。
訓練の意図も、新しい隊に所属された理由も、何もわからない。
『分からない』という事実を、『知る必要がない事』だと楽観的にとらえるカリストが羨ましい。
私は、『分からない』という事実が少し怖い。何でも知るというのは不可能だけど、いまやっている訓練の意図が分からないというのは、不気味なものだ。
「知りたいか?」
「もちろんです――って、クロノ飛曹長!?」
私とカリストは、大げさなくらい飛び上がった。
階級的には、私たちの方が上だけど――どことなく怖いこの人は、―――苦手だ。苦手度A+といったところだろう。つい、敬礼の動作を取ってしまう。
「お前達、ここは帝軍の喫茶店とはいえ機密を話すとはいい度胸だな」
「も、申し訳ありません」
「いや、俺は別に話そうとしてないんだけどさ」
「……何か言ったか、カリスト少尉」
「い、いえ!何も言っていません!!」
ガッチガッチニ固まった私とカリストを一瞥して、クロノ飛曹長は大きくため息をついた。
懐から二通の封筒を取り出すと、疲れたように告げた。
「これは、お前達宛ての指令書だ。
総指揮官の皇女様が、渡し忘れたんだと」
私とカリストはいったん顔を見合わせ、そして同時に封筒に手を伸ばす。
この白い封筒が全ての始まりだった。いや、もっと前――あの2機のドラゴンを撃ち落としたときから、全てが始まっていたのかもしれない。
だけど、この時の私は、そんなこと知りもしない。
指令書に記された『極秘攻撃作戦』を、文字通り―――交戦中の王国に対するモノだと解釈し、無邪気に喜ぶ愚か者だったなんて。