3話:フライト
「飛べる?」
靴ひもを結びながら、頭上のドラゴンを一瞥した。
今日は、待ちに待った初出撃の日なのだ。すぅっと息を整え、黒光りする鱗に手を触れる。鱗は、いつも通り冷たい。でも、どことなく滑らかで触り心地は良い。それだけが、このドラゴンの利点かもしれない。
『無論。俺は万全だ。あとは、お前が舵取りを間違えなければいいだけのことよ』
いつも通りの皮肉も、どことなく硬った。
私もそうだが、ネロも緊張しているのかもしれない。そう思うだけで、なんとなく安心出来た。
「そうだね」
素直に肯定する。
すると、若干――ネロの黄色の瞳が気味悪いモノでも見たかのように細まった。
だけど、何も言及してこない。ただ黙って、出撃の時を待っている。
軍学校を出れば、基本的に3人小隊の隊長を任せられる――が、私みたいなギリギリ合格を勝ち取った者は、歴戦の小隊長の下で実績を積まなければならないという―――よく言えば修行、悪く言えばに出世街道から外される。
まぁ、私は空が飛べるならいいから気にしていないけど。
「キール隊長、3番機――準備終わりました!」
すでに待機中の隊長に、声をかける。
隊長は練習時のように、ただ黙って頷いた。キール隊長は、怖いくらい何も言わない。
寡黙すぎて声が出ないのか?とさえ思ってしまうが――無線越しに一言、二言、必要最低限のことを話すことはあるので、話すことは出来る。ただ、面倒なだけなのかもしれない。
照準を定める役割も果たしてくれる額のーグルをかけなおしながら、ネロの下へ戻る。
あとは、出撃の合図が下るまでどうしよう?精神統一でもした方がイイのだろうか、それとも最後まで打ち合わせをした方がイイのだろうか、とぼんやり考えていると、
「いやー、今日は初出撃だな!
ユーリはどうだ?
俺っちは緊張はしないけど、小便ちびっちまいそうだぜ」
へらへらっと笑いながら、他小隊の――順当に隊長に就任した同期生が笑いかけてきた。
いつもと変わらぬ緊張感のなさに、私はこんな奴より成績が下だったんだっけ?と疑問を抱いてしまう。
私はネロに背を預けると、ひとまず正論を述べることに決めた。
「気が緩み過ぎです、カリスト。
キール隊長を見習いなさいよ、出撃前は静かにしているものなの」
「んー、出撃前だからさ、こうなに?
いやほら、だってさ――緊張するじゃん。だから、話して気を紛らわせようとしてんの」
「だったらドラゴンに話しかけなさいよ」
「でも、俺っちの黒龍は何もしゃべらないんだってば!」
「そう、なら独り言を続ければいいじゃない」
「うるさいぞ、新兵が!」
後ろから怒声がかけられ、私もカリストも慌てて姿勢を正した。
そこにいたのは、クロノ鬼軍曹だ。キール隊で2番機の位置を任される凄腕竜騎士なのだが、いつも何かに怒っている。というか、基本的に『すべてがなっとらん!!』と怒り続けている。私達を手招きで呼び寄せると、今日も怒りを無理やりおさえこめたような低い声で
「出撃前の時間ってのはな、誰しも気が立ってるんだよ。
黙って精神統一してる連中もいる。隊長だってそうだ。それをべっちゃくっちゃべっちゃくっちゃ話して精神を乱されたら、どうなるんだ?あぁ?」
と、囁いた。
なるほど、と罰悪い思いをするよりも、カリストに対して恨みがましい気持ちの方が強く湧き上がってきた。
私は静かにしていたのに、カリストのせいで怒られた。
―――まぁ、つい熱くなった私にも問題があることは、分かるけど――なんか納得できない。
「世の中、納得できない事ばかりなんだよ。
ったく、なんでこんな新兵の御守り飛行をしなければならねぇんだっての!」
ぐさりっと、心に矢が刺さる。
的を得た発言に、心が痛む。私とカリストは背筋を伸ばし、敬礼をした。
「教えてくださり、ありがとうございました」
「以後、気を付けます」
「分かればいいんだよ、分かれば。そら、そろそろ時間だ」
鬼軍曹は、大股で去っていく。
私とカリストは、額がつきそうなくらい顔を合わせ
「うるさいよな、あの鬼軍曹――的は射てるけどさぁ」
「まぁそうだよね、近所のオバサンかってくらいうるさいよね――言ってることの的は射てるけど」
「お前たち、聞こえてんぞ!!」
ドラゴン2つほど離れた向こう側から、鬼軍曹の怒鳴り声が聞こえてくる。
私とカリストはもう1度、視線を合わせ――それぞれのドラゴンの所に向かった。
その時、互いに言葉を交わせたとするなら―――たぶん同じことを話していただろう。
そう―――
「おまけに地獄耳だよね、あの軍曹」
と。
結論から言えば、その日は何も起きなかった。
ただ偵察飛行同然に飛んで、終わった。その次の日も、さらに次の日も。
いい加減、ここが戦地なのか?と疑問に覚え始めた4日目のことだ。キール隊長の騎乗する背中を視ながら、フライトを楽しむ。いや、楽しむという言葉は不釣り合いかもしれないけど―――それでも、訓練の時以上に、緊張しながらも楽しんで飛んでいることは事実だ。
「キールたいちょー、ここって本当に戦地なんですか?」
無線機を通じ、カリストの間延びした声が聞こえてきたのは、そんなときのことだった。
「ユーリだって思うだろ、ここが本当に戦地かって」
まさに、その通り。
だけど、そんなことを想ってはいても、不謹慎すぎて応えられるわけがない。
待機室なにげなく言葉を交わすなら、話は別だけど、空の上で―――いつ敵が現れるか分からないのに、話せるわけがないではないか。小さくため息をついた後、言葉を選んだ。
「無線は誰に傍受されているのか、分かりませんよ。
というか、そういうのは同じ隊の人の聞いたらどうです?」
「へーい、真面目だねぃ。りょーかいっと」
雑音と共に、カリストからの通信が切れる。
それと引き換えるように、脳内に声が木霊した。
『落ちこぼれ女、それは本音か?』
ネロの声だ。
主従の契約を結んだ竜騎士とドラゴンは、こうして言葉を口に出さなくても意志を伝えあうことが出来る。
ファンタジー風に言うなら、念話というモノだ。とても非科学的だが、憑依だの転生だのという経験自体も非科学的なのだから、今さら気にすることではないだろう。
『さぁね』
後ろを振り返り、敵がいないかどうかを確認する。
後続に続くドラゴンの影は――全て味方のもの。敵らしき影もなく、姿を隠す雲がない――清々しいまでに青い空が広がっていた。
まぁ、眼下には海は海でも雲海が広がっているわけだが。
『それにしても、これ――本当に意味があるのか?
俺も色々と疑問に思えるのだが?ここ数日、空を飛べどもドラゴンと会わないぜ?』
『……ん、アンタは聞いてなかったの?今回の策戦を』
『―――だって、面倒だったんだよ。いいから教えろ』
なんだ、聞いていなかったのか。
周囲に目を配らせながら、小さく舌打ちをした。
『私達の竜騎士隊の役割は、陽動の陽動。
敵国は、さほど大きくはないとはいえ、私達の王国を除けば1番の大国。策は幾重にも張って、慎重に臨まなければ勝てないの』
詳しいことは、知らない。
でも、なんとなくは知らされていた。
敵陣本体は、影の実行部隊が叩く。その実行部隊が動きやすいように、目立つ行動をする部隊が必要だ。
しかし、その目立つ部隊の裏には何かあると考えるのが道理。だからこそ、その陽動隊が動きやすいようにするため、私達が影の実行部隊のふりをする。
『この海域は、計算上――敵国の補給路にぶつかっているの。
私達は、この補給を断つこと』
『なんだ?じゃあ、派手な空戦は期待出来ないのかよ?』
『さぁ。でも、補給部隊にも監視のドラゴンがついていてもおかしくないでしょ?』
そう言いながら、空を飛ぶ。
補給部隊は、まだ見つからない。今日も見つからないのではないか、と思ってしまう。
「―――っ?」
その時だ。
急に前を飛ぶキール隊長の1番機が急旋回したのだ。
それに続けと、私も慌ててその後に続いた。
「――隊長!いったい、なにが!?」
その返答は、帰ってこない。
だけど、直後に理由が判明した。雲が途切れた隙間に、黒い影を見つけたのだ。
ゴーグル越しに目を細めれば、それは確かにドラゴンだ。食料か何かを抱えた運搬用のドラゴンと、それを警戒するような細い戦闘用のドラゴンが飛んでいる。
――奇襲作戦実行ってことか。
夢のようになりませんように、と心の中で祈る。
重力が急激に身体にのしかかり、痛みに唇を噛みしめながら、ネロに合図を出すタイミングを探った。
思ったよりも、戦闘用のドラゴンが多い。パッと数えただけで15機ほども、3機の運搬用ドラゴンを護っている。
これは、戦闘用の数を減らすのが得策だろうか?
『いつ攻撃すればいいか?』
『作戦通り、合図を出したら攻撃開始して』
『了解』
距離が離れていたら、狙いが外れてしまう。
照準を定めようとした直後、無線から隊長のかすれた声が響いた。
『3番機、攻撃するな。絶対についてこい』