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Limheim ―女神の目を持つ者―  作者: かや
冬の終わりに
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第6章 魔女

 マティアスが保護されてから、かれこれ数日が経った。

 カタリーナは消毒薬などの簡単な医療道具を手に、客人のいる部屋へ向かっていた。アンネリカとの相談の結果、体力の回復しつつあるマティアスの様子から、そろそろ術による治療を始めても構わないだろうという結論に至ったのである。だが人によっては術に対して体が軽い拒否反応を起こす場合もあるので、今回は弱めに治癒力を促す術をかけて様子を見ることにする。


「――それで。なんで着いてきてるわけ?」

「うん?」


 二階の隅にある客室の扉の前で、彼女はようやく背後に声をかけた。

 カタリーナの背後にぴったりと着いてきたエルメルは、てっきり自分の部屋にでも戻るのかと思っていたのに、目的地を通り過ぎても一向に離れる気配がなく。やれやれとカタリーナが振り返ると、彼女より頭半分長身のエルメルが神妙な面持ちで立っていた。


「なんでって…。護衛だ!」

「はあ?」


 護衛も何も、自分の家なのだが。

 カタリーナはそう思ったが、ひとまず彼の言い分を聞いてみることにした。


「密室に男女だけって、あぶな…いてっ!」

「何をバカな想像してんの。だいたいそれを言うならアンネリカだって守ってやりなさいよ」

「アンネリカにはギルバートがいるだろ。だからおれはカタリーナを守るの!」


 そう言って拳を握ったエルメルは、よく分からない使命感に燃えている。それをしばし無言で眺めていたカタリーナは、まともに取り合うのに疲れて肩を落とした。


「…まあ何でもいいけど。静かにしてよね」

「任せろ!」


 釘を刺されたそばから静かではないのだが、エルメルはやけにきらきらした表情でカタリーナを見返してきた。

 ――彼の後ろで想像上の尻尾がぱたぱた揺れているのが見えてくる。犬とはよく言ったものだと、かの男が言ったという言葉を思い出して、カタリーナはしみじみした。


「おい、犬。うるさいぞ」


 一部始終が聞こえていたのだろう、扉の向こうから男の声がした。対するエルメルは驚いて一瞬身体を飛び上がらせたものの、すぐに威勢よく「犬じゃねえ!」と扉に向かって噛みついた。 


(うん、犬ね。確かに)


 カタリーナは威嚇しているエルメルを脇へ押しやって、客室の扉を押し開いたのだった。



*



「うん、もう右足のほうは問題ないわね。左足もかなり良くなったみたいだし、よかった」


 マティアスの足を消毒しながらその傷の様子を見たカタリーナは、満足げに言った。

 当初よりそれほどひどい状態ではなかった右足はもとより、かなり重篤であった右足も、変色しているだけで感覚はあるようだ。これなら患部を切断する必要はないだろう。術をかければみるみる快方に向かうに違いない。


「そんな怪しげな術、かけなくてもいい」


 マティアスは治癒を速める術をかけると聞くと、ふんと鼻を鳴らしてすげなく言い捨てた。

 寝るのが趣味なのではないかというほど日がな眠ってばかりいるマティアスは、今日も例に漏れず惰眠を貪っていた。そこを先ほどの騒ぎで起こされたからか、少々機嫌が悪い。

 だがそれで怯むカタリーナではなかった。同じく鼻を鳴らして腕を組み、寝台に気だるげに寝転ぶ男を見下ろした。


「言ってなさい。私の治癒術は折り紙つきよ? 今からあなたが感謝にひれ伏すのが目に見えるわぁ」

「ふん、誰が」

「そうだそうだ、ひれ伏せ!」

「ちょっと黙ってろよ、犬」

「犬じゃねえって言ってるだろ偏屈男がぁー!」


 仲良くじゃれあう二人に呆れてため息をついたとき、カタリーナはぴんときた。

 もしかすると彼は、魔術に対してなんらかの偏見があるのかもしれない。

 実際、女神の一族のように特殊な能力を持つ部族を除いて、こういった不思議な力に馴染みがある人間は少ない。魔術を扱える人間はそれなりにいるのだがその地位は低く、差別や迫害を受けることが多いのだ。そのため魔術の力を持つ者はよほどのことがない限り、自身の力を隠す傾向が強い。

 今、彼女がここでなんのてらいもなく魔術を振るうことができるのは、とても幸運なことだった。ほかならぬカタリーナ自身も、謂われのない差別を受けてきた身なのだから。


「ねえ。怖くないわよ?」

「あんた馬鹿にしてんのか?」

「…もう、真剣にならないでよ」


 ――言い方が悪かったか。

 カタリーナは内心舌打ちした。

 彼は人のことはからかうくせに、自分がからかわれることは嫌う性質であるようだ。そういう自身も似たようなものなので、カタリーナは肩をすくめてそれ以上の深追いをやめた。


「でも本当に悪いようにはしないわ。治癒系の術で身体に危険が起こることなんてそうそうないから、試しに任せてみてくれない?」


 おそらく術で補助してやらなければ、完全に治すまでにかなり長い時間が必要になるだろう。医療に携わる者として、目の前にいる怪我人を快方へ導くすべを知りながら、放っておくことなどできない。

 男はふいっと顏を逸らしたまま、黙り込んでいる。だがこれ以上抵抗をするつもりもないようだった。

 しばらくその様子を眺めたが、動きがないのをいいことに、勝手に了承の合図と取ることにする。カタリーナはおもむろにマティアスの左足に手をかざし、意識を集中させた。


 自分に内在する魔力を様々な性質に変化させて編み上げ、一つの魔術を作り出す。形のないそれは、だが確かに効果を表していく。カタリーナは、編上げた術が男の左足へと染み込んでいくのを感じながら、満足げに手を下ろした。


「はい、終わり」

「…何も起こってないが?」


 少しの間手をかざしたのちにあっさりと告げたカタリーナへ、マティアスが訝しむような目を向ける。

 それもそのはずで、術を行使したところで、魔力の流れが見えない者の目には特に何の変化も起こらないのだ。さらに今回は術の効果も、ただちに目覚ましい変化が起こるものではない。おそらく術に馴染みのないであろうマティアスが怪訝に思うのも当たり前のことだった。


「まあ、見てなさいよ。明日には傷の治りが格段に早いってことに気づくんだから」

「どうだか。俺は魔術なんてものは信用してないからな」


 マティアスが口元を歪めてそう言う。カタリーナはその言い草に既視感を覚え、顏を歪めて深いため息を吐いた。


「どうしてみんな、そんなに偏見を持ってるのかしらね。魔術なんて本来誰にでも使えるのよ? 必要な魔力は誰にだって内在してるんだから」


 普通の人間と魔術師の違いを挙げるとすれば、それは魔力の有無ではない。自身の魔力の質を変化させる能力があるかどうかである。

 先ほどカタリーナが治癒の術を使った際にも、魔力を複数の性質へ変化させ、それらを編上げて効果を発動させた。要は、魔術は魔力が重要なのではなく、それをいかに変化させるかなのである。そして魔力の質を変化させる能力は先天的なものもあるが、基本的なものであれば努力次第で身に着けられるのだ。


「そうやっていつまでもおかしな偏見が蔓延っているのは間違ってるわよ。誰にだって使おうと思えば使えるのに、どうして利用しようと思わないのかしら」


 カタリーナの脳裏によぎるのは、蔑み、悲鳴、怒号。

 もう思い出したくもないできごとだが、今でも時折、蓋をしたはずの隙間から忍び寄ってくる。カタリーナは、いまにも暴れ出しそうになる過去にもう一度念入りに蓋をして、苦笑して見せた。


「――悪いわね。ちょっと感傷的になったみたい。とにかく、私を信用してよ。術の効果には自信があるわ」

「…わかったよ」


 重みの感じられる言葉に、マティアスが肩をすくめて了承した。そこでなぜかエルメルが横から突っかかる。


「そうだぞ、カタリーナの術をなめるなよ。だいたいなあ…」

「うるさいって言ってるだろ、犬」

「もー、だいたいあんた、何しに来たのよ」


 カタリーナにまでないがしろにされ、エルメルは一瞬打ちひしがれた表情を浮かべた。だがすぐに気を取り直して胸を張る。


「言っただろ。護衛だよ護衛」

「…なるほど。お前の飼い主はこっちだったか」


 エルメルが不穏な空気を感じてマティアスに目を移すと、彼はいい餌を見つけたかのようにやりと笑った。さらに嫌な予感に駆られてカタリーナに目を移したエルメルは、同じようににやにやしている彼女の顔を見た。


「あらぁ、こんな大きな犬、飼ってた覚えはないんだけど」

「どっかで餌でもやったからこんなに懐いてるんじゃないか?」

「お、ま、え、らー!!」


 素直なエルメルは頭を抱え、また愉快な反応をする。この反応の良さがいじめられる原因なのだと教えてやりたいような気もするが、カタリーナはあえて黙っているのだ。楽しみが減ってしまってはかなわない。


「だいたいカタリーナまでこいつと同じなのかよっ」


 悔しさに任せてエルメルが言い募ると、カタリーナはにやにや笑いを納めないまま、腕を組んで首をかしげた。


「ふふん、今更じゃない? 彼がくる前からこうだったでしょ?」

「…そうだった…」


 エルメルはようやく四面楚歌だと気付き、うなだれた。その様子をマティアスが面白そうに眺めている。

 新たな敵であるマティアスに目が行っていたために忘れていたのだろうか。昔から彼をおもちゃにしているのは他でもない、カタリーナなのである。

 彼女はふふっと不穏に笑ってマティアスを見た。


「こういうところでは気が合いそうね?」


 それを聞いて、マティアスは横になったまま頬杖をつきにやりと笑む。


「同感だな」

「うわあ、団結するな!」


 穏やかな午後。旅人の部屋からは、明るい声が響き渡っていた。



*



 朗らかな笑い声に、ギルバートは読みふけっていた書物から顔を上げた。

 窓の外の曇天は先ほど見たときと変わりなく、どれだけ時間が経ったのだろうかと首をかしげた。


 彼は今、文机の前で書物に埋もれている。

 彼の部屋は常より、簡単な調度品の他はほとんど本に埋め尽くされていた。それらは、旅の者や行商人から買い集めた貴重なものばかりだ。普段は彼の性格上きっちり整えられているのだが、今日のように調べ物をしているときは、ついつい部屋を散らかしてしまう。そういう時に限ってアンネリカに見つかって、小言を食らうはめになるのだ。


 このリムヘイムと呼ばれる地方一帯に伝わる、古い伝承に関する書物を指で辿りながら、ギルバートは息を吐いた。この地方に住まう【女神の目】を持つ三部族の発祥を伝えているというこの逸話は、そもそもは口頭で受け継がれてきた伝承だ。そのため書物によって内容がまちまちだった。

 スナール族で最も親しまれている言い伝えは、こうだ。



争いの絶えぬこの世界に、かつて神は三人の美しき女神を遣わした

過去を司るウルズ

現在を司るヴェルザンディ

未来を司るスクルド


彼女らは人の世に根を下ろし

その血の加護をもって人の子らを見守る


人よ、過去を知り、その命の尊さを知れ

人よ、現在(いま)を知り、おのれの愚かさを知れ

人よ、未来を知り、希望をもって歩むことを知れ


三つの力の均衡が崩れしとき

神は裁きを与えるだろう

人よ、争うことなかれ



「特に違うのは、結びのくだりか…」


 眉を顰めてそう呟いたギルバートの手元にある資料には、こうある。


『――三つの力の均衡が崩れしとき、神は救いをもたらすだろう』


 「裁きを与える」か、「救いをもたらす」か。いくつかの文献をあたってみたが、おおよそその二つに分類できるようだった。

 二つの伝承の結びは、真逆の結果を導こうとしている。これはどういうことなのだろう。ギルバートは文字の形や文法から、それぞれ言い伝えの出処を探れないか試行錯誤してみたものの、お手上げだった。

 彼は木椅子の背もたれに身をゆだねて息を吐くと、結わえていない髪をかき上げた。肩下まである銀髪をひと房手に取り、いい加減伸びすぎた髪をどうにかしようと考える。

 そしてふと、机の隅で落ちかかっている古ぼけた小さな書物に目を移した。


(こっちも、どうにかしないといけないな…)


 ギルバートは脇に追いやっていたその資料を手元に引き寄せ、ぱらりとめくる。これはスナールにかつて暮らしていた者の古い日記だ。

 そうして彼はあの男の金色を思い返して、普段は穏やかなまなざしを、すっと鋭くさせた。

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