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Limheim ―女神の目を持つ者―  作者: かや
冬の終わりに
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第3章 晩餐

 かつて族長の屋敷としていた建物は、襲撃時の火事によってその半分を焼失した。そのため、現在では村の中心地にその後建てられた建物を屋敷としている。そこに暮らすのは、襲撃で親を亡くして孤児となった者たちと、成り行きで暮らすことになったカタリーナを含めた六人。いまではすべての者が成人しているが、居心地がいいからか誰が出て行くこともなく、村を統べる族長の屋敷と言うよりは寄宿舎という様相であった。

 すっかり日が傾き長く伸びた影を踏みながら、イーリスとカタリーナ、アンネリカ、ギルバートの四人は木で囲まれた屋敷の門をくぐった。屋敷は当時の技術の粋を集めて作られたもので、木材でできた二階建てのその建物は、無駄のない頑丈なつくりをしていた。

 と、突然入口の扉が乱暴に開かれて、獅子のように髪を振り乱した大柄な男が早足で飛び出してきた。


「あら、今日の食事当番が飛び出してきたわ。職務怠慢ね」


 カタリーナが美しい顔をにやにやさせて面白そうに呟いた。イーリスらの姿を認めた男は、大股でずんずんこちらへ向かってくる。肩を怒らせているその様子はまさに獲物を見つけた獅子そのものだ。


「ヴィクトール、どうし…」

「イーリス!」


 言い終わる前に、怒鳴られた。歩いている姿から何となく察しはついていたが、やはり怒っているようだった。身に覚えのあるイーリスはおとなしく叱責を受けることにして、居住まいを正した。


「お前、また森から怪我をして帰ってきただと!? 何かあってからじゃ遅いんだぞ!」

「ごめんなさい。反省してるわ、すごく」


 思わずしょんぼりした。これではさっきのカティたちを叱れない。あの子供たちと、まさしく立場が同じだった。しょぼくれる子供たちと自分の姿を重ねて落ち込んできたイーリスに、ギルバートが苦笑しながら助け船を出した。


「まあまあ、いいじゃないかヴィクトール。こうしてちゃんと無事に戻ってきたわけだし。それにそもそも彼女があの山に向かったのは、僕の助言があったからなんだ」

「助言?」

「それは食事でもしながら追々。食事の準備中だろう? 僕も手伝うよ」


 にこにこと申し出たギルバートに、ヴィクトールが思わずといったように苦い顔で首を振った。


「いや、お前が手を出すとろくなことにならないだろ。オレはうまい飯が食いたいの!」

「うん? 僕だってそれはそうだよ。僕もやればできると思うんだけど…」

「甘い、まったく甘い! 甘いのは顔だけにしろ!」

「ええっ…?」


 ヴィクトールというこの男は、この屋敷で最年長であり、族長を補佐する二人の副長のうちの一人を務めている。よく引き締まった戦士らしい体つきに、獅子のたてがみのように赤銅色のくせ毛を逆立てたさまは、その名にふさわしい頼もしさと迫力があった。無論その髪型は、ただ手入れを怠った結果なのであるが。

 食事の準備中である調理場のことを思い出したのか、自分の部屋に帰るギルバートとともにヴィクトールは屋敷に戻って行った。最後に、「もうするなよ!」とイーリスに釘を刺すことも忘れずに。


「はあ、普段はとんでもなくいい加減なくせに料理とイーリスの行動には細かいんだから。料理がおいしいのは認めるとして、イーリスについては過保護すぎるんじゃない?」


 嵐のような勢いで現れて去った副長を見送って、カタリーナがやれやれと肩をすくめた。それに対して、今まで穏やかに状況を見ていたアンネリカは何かを思い出したのかふっと苦笑して頷いた。


「確かにそうですね。昨日なんて人の足を踏んでも気付かずに素通りして行っちゃうし、それを指摘してもわっはっは、って笑って済ませてしまうし…」

「ちょっとちょっとアンネリカ、それ絶対被害者あんたでしょ? 怒ってるでしょ?」

「いいえ? まあとにかく、普段の様子からだと想像もつかない態度ですよね、本当に」


 否定した言葉にやけに力が入っていたのは気のせいではないだろう。

 ともあれようやく話の軌道が戻ってきたところで、イーリスは少し思案して答えた。


「ヴィクトールは、あの襲撃のあと最初から何かと傍にいてくれたからね。あと、残念ながら私ってどうしても抜けているところがあるし。お兄ちゃんみたいな感じで、ついつい世話を焼いてしまうんだと思うのよ」

「まあね。あんたってしっかりしてるのに、なんか抜けてるわよね。口を出したくなる気持ちはわかるわ」


 推察でしかないが自己分析の結果を口にしてみると、思いがけず賛同が得られてしまった。間を置かずにカタリーナがしみじみと頷いたのを見て、イーリスは思わず眉を下げた。


「そう…なのね、やっぱり」

「ふふふっ、いいじゃない。そんなあなただから、みんなに愛されてるのよ?」


 アンネリカが亜麻色の巻き毛を揺らしてくすくす笑いながら、イーリスの肩をやさしく叩いた。

 アンネリカの言うとおり、確かに村の者たちに愛されている自覚はある。だがそれは目が離せない子供を慈しむような感覚であり、今の自分は族長の理想像とは程遠いのだとイーリスは常々思い知らされるのであった。


(未熟者、か)


 森で出会った旅の男の言葉を、イーリスは反芻した。とたん、あの不安を感じさせる金の眼が思い起こされ、彼女の身体が僅かにふるりと震える。だが続いて脳裏に蘇ったのは、あのとき彼が仕留めた狼の姿だ。あの短時間、殆ど音を立てることもなく、彼は獣の急所を無駄なく狙って仕留めていた。動いているところを見たわけではなかったが、仕留められた狼を見ただけでも確かに彼が腕利きの戦士であると知れた。


(本当にその通り。私は、もっと頑張らないといけない)


 まだまだ拙い自分を戒めるように、イーリスは心の中で呟いた。



*


 屋敷の一角にある、それほど広くない食堂。大きな机を囲んで、屋敷で暮らす六人の若者は毎晩賑やかな食事を楽しんでいた。


「ええっ、あんなとこにそんな強い戦士がいたのかよ? いいなあ、おれも会ってみたかったなあ。本当にこのあとここに来るの?」


 少々行儀悪くかちゃかちゃと食器を鳴らしながら、エルメルが心底羨ましそうに喚いた。


「どうかしらね。あまり気乗りはしないみたいだったわ。…というかエルメル、もうちょっと静かに食べなさい」

「はいはーい」


 呆れてたしなめたイーリスに対して悪びれることもなく笑ったエルメルは、こう見えてもう一人の副長だ。イーリスより一つ年下ではあるがその弓の才能が買われ、成人するとともにもうひとつの副長の座に選ばれた。また、当時様々なことに思い悩んで塞ぎがちだったイーリスが、明るく人懐っこい彼には心を許していたことも影響している。このイーリスとエルメル、二人ともふわふわとした金髪に碧眼であるので、まるで姉弟のようだとはカタリーナの言。


「じゃあもしかしてギルの言っていた『力のあるもの』って、その人のこと?」


 たっぷりのスープで煮込んだ塩漬けの肉を丁寧に切り分けながら、アンネリカが首をかしげた。その向かいでは、ギルバートが硬いパンをちぎろうと格闘している。


「いや、多分違うよ。人間ではなくて、モノだ。はっきりとは視えなかったけれど…赤いイメージ、だね」


 ようやく一口ちぎったパンをスープに浸し、ギルバートは肩をすくめた。

 その隣でカタリーナは、先日馴染みの行商から個人的に買い取った葡萄酒――これを勝手に飲むのは、命の危険を冒すことに等しい――を優雅に飲みながら、目の前に座ったイーリスのほうを見やった。


「何かほかに森に変わった兆候はなかったの?」

「ええと、遠くの山の斜面が少し崩れていたわね。雪崩と一緒に地面もえぐられたのかも。あとは、やけに狼が狂暴だったかな…餌が少ないからだって、あの人には言われたけど」

「ふうん、そういえばこの前雪崩が起きてたわね」


 つややかな黒く長い巻き毛を指で弄びながら、カタリーナが遠い目をした。彼女の赤い瞳は、その手にある葡萄酒のように深い色をしている。イーリスはその色が好きで、今も彼女の目線が遠くにあるのをいいことに、何とはなしにその色を眺めた。

 食べ盛りのエルメルが、最後に残った大皿の料理をおもむろに独り占めしながら、何かを思いついたのか目をきらきらさせ始めた。


「もしかして、すっごいお宝でも埋まってんじゃないか? そしたらおれが一番乗りで見つけに行くぜ! 一躍英雄だな!」

「はっはっは甘いな、この俺が第一発見者に決まってんだろうが!」

「んなの、分かんないだろ!?」

「甘い甘い、そう言って俺に勝てた試しなんてないだろう」


 エルメルはうなだれた。事実、その通りなのである。そして、このいい加減なのになぜか強運の持主である副長ならやりかねない――さらにどことなく不運な自分には敵う気がしない――と思ったのだ。


「それにしても【女神の目】はすげぇよなあ。過去が視れるキルッカ族に、はたまたアルド族は人の心を読むっていうし、まったく恐ろしいこった。もう戦うことにならなきゃいいけどな」


 キルッカ族の過去を読む力はともかく、アルド族が持つ心を読む能力は、いざ戦いになったとき脅威になりえる。着実に勢力を拡大し、人口が増えつつあるアルド族のうち、いったいどれだけの人間がその能力を持っているのか分からないところも恐ろしさの要因になっていた。

 そんなヴィクトールのぼやきに対して、ギルバートが言った。


「さっきも話してたんだけど、もう近頃じゃそれほど強い力を持っている人は少ないよ。要因はいろいろ考えられるけどね。キルッカのほうも、アルドの襲撃でどんどん人口が減って今ではちゃんとした【女神の目】を持ってるのはたった一人だ」


 アルド族の襲撃で犠牲になったのは、スナール族ばかりではない。【女神の目】を持つ三部族からは遠い昔に外れた混血・傍系とされている一族の村々はもちろん、キルッカ族の領地もまたアルド族の標的になった。キルッカ族の領地は比較的アルド族の近隣にあったためか、約二十年前――ちょうどアルド族が頭角を現し始めた初期より、蹂躙され続けていた。

 そんなアルド族も、ここ十数年はどういうわけか大人しい。取るに足らない小競り合いであれば数えきれないほどあったが、十七年前を最後にして、このスナールの地で大きな戦いは起こっていなかった。だが、この状況を楽観的に捉えている者はどこにもいなかった。

 ギルバートは木の杯を手元に引き寄せて水を注ぎながら、それまでと少し声音を変えて続けた。


「個人的に今、【女神の目】が弱まってきている原因について調べているんだ。僕はその要因の一つが、一族の血の混交にあると考えてる。ちょうど三部族の争いが以前より沈静化して、少ないながらも交流を持ち始めた頃から能力の減退が起こっているからね。うちとキルッカ族は今までも比較的親交があったから、混血が進みつつある。このままいくと血が混ざり合って、この能力も消えていくかもしれない」

「そうなると、この先の戦いで不利になるな」


 ヴィクトールが苦い顔をして呟く。だがイーリスは違った。


「でも、それは見境なく他の集落に攻め入って領地を拡大しているアルド族にも同じことが言えるわ」

「そうなるね」


 頷いたギルバートに対して、イーリスは瞳に強い光を湛えて呟いた。


「だったら、今度は後れを取ったりしない。純粋に、力だけの勝負よ。この地は私たちが守る。そうでしょう?」


 決意の滲む言葉よりも、その研ぎ澄まされた瞳の輝きの強さに、知らず周囲は目を奪われた。そこには十七年前の襲撃による無念を知る者の痛みと、彼女自身の葛藤が複雑に絡み合ってはいたが、敗者の悲壮感はない。ただ自分の生きる地を守り抜くのだという確固とした気迫がみなぎっていた。

 確実に族長としての成長を見せているイーリスの姿を見ながら、みな微笑んで頷いた。


「おう、今度こそ守ろうぜ、オレたちのこの村を!」


 大きく歯を見せて笑ったヴィクトールが、カタリーナの葡萄酒の杯を隣から奪って頭上に掲げた。


「あっ! ちょっとそれ私の!」

「細かいこと気にすんな! オレたちの決意に乾杯っ!」

「ただ飲みたいだけでしょ!」


 奪い返そうとするカタリーナを気に留めることもなく、ヴィクトールは杯を仰いでいる。みなの乾杯を待たず飲み始めたところを見ると、カタリーナの言うとおり、ただ飲みたかっただけのようである。

 と、再び騒がしくなり始めた食堂に、かすかに玄関のほうから扉を叩く音が届いた。


「あれ、今…気のせい?」


 目を瞬き、入口を見やりながらイーリスが首をかしげると、すでに食事を終えたらしいアンネリカが自分の食器をまとめながら立ち上がった。この屋敷では、普段手伝いに来てくれるのが手の空いている村の高齢者ばかりなので、夜間は居住者以外に人を置いていない。


「隣のフィアおばあさんかも。薬が切れたって今朝言っていたの。ちょっと見てくる」

「僕も行くよ」


 夜遅くの来客が心配だからか、ギルバートも立ち上がりアンネリカとともに食堂を出て行った。

 二人減ったからといって静かになろうはずもなく、目の前では相変わらずカタリーナとヴィクトールが、なぜかエルメルをも巻き込んで言い争いを続けている。エルメルはともかく、この二人は確実に酔っている。その様子を呆れて眺めたイーリスは、全員食事を終えているのを確認してから、机の上の片付けに取り掛かった。


(あ…、もしかして、昼間の)

 

 食器を片づけながら、イーリスは来客に心当たりがあったことを思い出した。気が進まない様子であったが、結局ここを訪ねることにしたのだろうか。アンネリカたちにも事情は話してあることだし、ひとまずこの場をどうにか片付けてしまおうと彼女は考えた。

 食堂は相変わらず騒がしい。こうなるともうしばらくは宴会騒ぎだろう。素面でそれに巻き込まれてしまったエルメルに同情しつつ、イーリスはそそくさと食器を持って洗い場へと逃げ出したのだった。

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