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Limheim ―女神の目を持つ者―  作者: かや
冬の終わりに
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第2章 持つ者と、持たざる者

 女神の末裔スナール族が暮らすこの村は、三方を山と森に囲まれているうえ、残る一方に広がる斜面を下った先には流れの速い川が横たわっている。それはまさに自然の要塞と呼ぶにふさわしい場所であった。だが大陸の北方に位置する高原という立地のため、冬場の暮らしはとくに厳しい。作物は雪に埋もれて育たないため、保存用の食料とわずかに採れる木の実、そして山での狩りが重要になる。

 イーリスは森を抜け、村へと続く道を辿りながらため息をついた。


(はあ…また怪我しちゃったわ。絶対、ヴィクトールに怒られる)


 木がまばらになってきたゆるい斜面は、雪が解ければ農業にも使われている土地だ。そこを抜けると、斜面のふもとに雪をかぶって白く輝く村の敷地が見えてくる。かつてアルド族からの襲撃を受けてから十七年。村は一度壊滅したのが嘘のように、再び見事な活気を見せていた。

 村の手前、かつて族長の屋敷として使われていた建物の前に差し掛かったところで、にわかに騒がしくなってきた。この建物はかの十七年前の襲撃で半壊に至ったが、現在は残った部分だけ修復して倉庫として使われている。ほどよく入り組んだ構造をしており村の子供の格好の遊び場となっていた。


「族長ー!  おかえりなさーい!」


 小さな子供が三人、倉庫の中から駆け出してくる。先頭を駆けてくる少女の手には、真っ赤な石を革紐に通した首飾りが握られ、彼女が駆けるのに合わせて上下に躍っている。見せびらかすように首飾りを振り回しながらイーリスの前まで駆けてきた少女は、自慢げに首飾りを突き出した。間を置かず、後ろから二人の少年も追いかけてきた。そのうち一人の少年は首飾りが羨ましいのか、イーリスをそっちのけで首飾りに手を伸ばす。


「おいカティそれ返せよ! おれが先に見つけたんだぞ!」

「見て! 倉庫で見つけたの! すごくきれいでしょ!」

「返せってばぁー!」


 すぐさまイーリスの前は子供たちの声でかしましくなる。いまにも首飾りをめぐって取っ組み合いが始まりそうになったので、イーリスはため息をついて少女の手から首飾りを取り上げた。


「ああーっ!」

「ぞくちょーう!」


 言い合いをしていた少女と少年が、頭上高くに追いやられた首飾りを見上げて口々に哀れっぽい声を上げる。一瞬良心が痛んだが、だがここで負けてはならないと彼女は知っていた。この子たちを無駄に甘やかして、今まで良いことがあったためしがないのだ。イーリスはおもむろに腰に両手を当てて、叱る体制を整えた。


「カティ、アベル。倉庫で見つけたって言ったわね? いつも言ってるでしょう、あそこのものは勝手に持ち出しちゃだめ」

「だって」

「でもアベルが」

「言い訳は聞きません」


 厳しい言葉に、うっと息を詰まらせて二人が一度に目を潤ませた。どうやら悪いことをしていたという自覚はあったらしい。


「とにかく、これは没収。あとで私が倉庫に返しておくけど、もうあそこのものを取ってきちゃだめよ」

「はぁい……」


 しゅんとうなだれて返事をした二人の両目は、もはや決壊寸前だ。それを見て取りやれやれと首をすくめると、イーリスは革袋の中を探った。幸い今日はちょうど良い収穫があったのだ。


「ほら、これをあげるから。一人一個ずつよ。レオもこっちへおいで」


 それまでカティとアベルの争いを一歩離れたところでおろおろと見ていた少年も呼びやり、先ほど森で収穫した子供の手ほどの赤い実を身をかがめて手渡した。これは冬に実を付ける甘酸っぱい木の実で、子供たちの大好物だった。

 おずおずと手出して木の実を受け取った子供たちにイーリスが微笑みかけたところで、レオが目を見開いた。


「族長! 腕、けがしたんですか?」

「ああ、うん… 大丈夫、今から診療所行くから」


 だいぶ血が止まってぱりぱりに固まってきた腕の布を見やって、イーリスはうなずいた。怪我には慣れているので本人はいたって冷静だったが、当然子供たちはそうではなかった。顔を真っ青にしてイーリスを取り囲んだ。


「やだ、いたそう!!」

「もう、なんでそんな平気そうにしてるんだよ! 早くカタリーナさんのところに行こう!」


 言うが早いか、活発なカティとアベルがぐいぐいイーリスの腕を引っ張って村の方向へ向かい始めた。


「いったたた、そんな引っ張らないで…それに、一人で行くから大丈夫よ…」

「いいから早く診てもらいましょう!」


 普段控えめなレオにまで背中を押しながらそう言われてイーリスは閉口した。そして、ここは大人しく三人に診療所まで付き添ってもらったほうが良さそうだと判断したのだった。



*



「まぁた立派な傷をこさえたものねえ。まあ食いちぎられなかったところを見ると相変わらず運はいいわね」


 村の中ほどに位置する診療所に、カタリーナの呆れた声が響く。

 十七年前の襲撃で働き盛りの世代を多く亡くしたが、今では村の切り盛りは成長した若者たちが一手に担っている。この診療所も同様で、かつてここの医師であった父の遺志を継いだアンネリカと、六年前に山の向こうの村から移住してきたカタリーナが運営している。

 努力家でまじめなアンネリカの医療の知識が豊富であるのはもちろんだが、特筆すべきはカタリーナが癒しの力に特化した魔術師であることである。なぜこの村に移住してきたのかなど、謎の多い美女ではあるが、そのさっぱりとした気質と確かな腕で村の者たちの信頼を勝ち得ていた。


「うちの族長さんは本当に怪我の多いこと多いこと」


 カタリーナはぶつぶつ言いながら痛み止めの薬をすりつぶしている。まさか自分で摘んできた薬草をそのまま自分に使うはめになるとは思わなかったとイーリスは苦笑した。


「ごめんなさい。しかも、狩りも失敗しちゃった。獲物が見当たらないの」

「ええー? もう塩漬け肉もそんなに残ってないんじゃない? ヴィクトールが上手く調理してくれるかな…」

「カタリーナ。仕方がないですよ、こんな目に遭ったんじゃあ」


 言いながら、奥の部屋から新しい包帯を持ってアンネリカが出てきた。彼女は包帯を広げながら改めてイーリスの姿を見やると、茶色い大きな目に心配そうな色を浮かべた。


「でも、狩りなんてあなたがわざわざ行くこともなかったのじゃない? 族長の仕事もあるのに」

「そうなんだけど…ちょっと気になることがあったの」


 十六歳で成人を迎えてイーリスが族長になってから、もう三年が経つ。スナール族をはじめとする「女神の一族」は、女神の末裔の家系から族長を選ぶ世襲制を取っている。女神の血族に伝わる能力――【女神の目】を受け継いでいくためである。

 襲撃のさなかに発見された彼女は、「あるもの」を握りしめていたことから一族直系の遺児だとされた。しかし、その出生の不確かさから族長とすることに賛否両論があがった。

 実はその当時、伝統を無視してもう一人の候補者が立てられていた。彼は傍系の男子で、それほど強力ではないが【女神の目】を持っていた。年齢はイーリスの一つ上だった。当時の族長を襲撃で突然失い、次を担うにはあまりにも幼い子供たちしか残らなかっため、子供たちが成人するまでに決定することになった。

 ――結局彼は、【女神の目】を持つうえに優秀な魔術師となったものの、病弱であったためにその機会を逃した。


「気になること?」


 アンネリカが首をかしげる。そのとき、今いる診察室の隣にある病室の垂れ幕がふわりと持ち上がった。


「僕がね、昨日視たんだ。まだ不確かでよく視えなかったんだけど、何か力のあるものがあの山のあたりにありそうなんだ」


 中性的で柔和な顔つきをした銀髪の男が、苦笑しながら垂れ幕の陰から姿を現した。少し顔色が悪いが、長い髪を揺らし、しっかりした足取りでこちらへ歩いてくる。


「まさか言ったそばから森に行くとは思わなかったけどね」

「ギル! もう大丈夫?」


 途端、アンネリカが慌てたように立ち上がって男のもとに駆けよった。彼はアンネリカの姿を見て、嬉しそうに微笑んだ。


「ああ、もう大丈夫。ごめんね、いつも看病させてしまって」

「そんなこと…」

「はいはい、いちゃこくの禁止だって言ってるでしょ」


 二人の世界を作りかけたところで、カタリーナがうんざりした顔つきで横やりを入れた。痛み止めの塗り薬が完成したようで、イーリスの腕を取り、その緑色の液体を塗り始める。

 イーリスはそのじくじくとした痛みを気にも留めず、眉を顰めて銀髪の青年を見た。


「ギル…あの後、倒れたのね?」


 イーリスの言葉に、男――ギルバートは少しばつが悪そうに苦笑した。


 彼は生まれつき身体が弱い。体調が優れず寝込むこともしばしばあるのだが、そういったとき自身の持つ【女神の目】の力を制御しきれず、暴走させてしまうことがある。

 昨日も体調の悪い中で【女神の目】の力が発動してしまったのだが、体調を慮ったイーリスが宥めるのも構わず、ギルバートは力を使い続けた。村のためになりそうな情報を引き出せると知っての行動なのだろうが、彼は自分の身体を顧みず、時折こういった無茶をする。


「もう、大丈夫だって言ってたくせに、やっぱり倒れたじゃない」

「はは、ごめん。何か大事なものが視えるような気がして…結局僕の力では、まだはっきりとは視えなかったけどね」

「だから『何か力のあるもの』なんていう曖昧な言い方なのね?」


 丹念にイーリスの腕に薬を塗り込みながら、カタリーナがばっさりと言った。その身も蓋もない言い方に、ギルバートはさらに苦笑する。


「うん。僕の【女神の目】はそんなに強くないから、もっと近い未来でないと読めないんだ」

「そうなの。先代はもっと力が強かったの?」

「どうだろう。アルドの襲撃を予知できなかったみたいだからね。昔には、何年も先までほとんど確実に見通せた人もいたって記録には残っているけど、最近は特に力が弱まってるみたいなんだ。正当な血筋を持っていても力を持たない人は過去にもたくさんいたしね…」


 そこまで言ってから、ギルバートははっとしたようにイーリスを見やった。目が合ってほんの一瞬気まずい空気が流れたが、すぐにイーリスが微笑んで話を引き取った。


「大丈夫、ギルバートの未来視の力には本当に助かっているわ。今回視てくれたものだって、村にいい影響を与えてくれそうなものなんでしょ? 森は慣れてるし、偵察と狩りを一緒にしてしまえば一石二鳥だと思ったのよ」

「まあ、結局狩りには失敗してこのありさまよね」

「もう、カタリーナ!」


 少し顔を赤くして抗議したイーリスを無視して、カタリーナは手早く包帯をイーリスの腕に巻きつけ終わっていた。仕上げに自然治癒力を高めるという呪文を口ずさんで、包帯の端をきゅっと結んだ。


「よし、おしまい。さあ、今日はもう閉店よ。なんだかんだで夕方じゃない。帰って夕食の準備しなくっちゃ」

「ああ、もうそんな時間か。体調も良くなったから僕も手伝うよ」

「だめだめ、あんた味音痴でしょ。手を出そうものならヴィクトールにどやされるわよ」


 仲良く言い合いをしているギルバートとカタリーナを横目に、イーリスはふっと微笑む。その微笑みに、どこか苦いものが混ざっているとはこの場の誰もが気付かなかった。



 女神の末裔スナール族が代々持つという【女神の目】は、未来を読み解く力。その力を持つギルバートを羨ましいと思ったことは数知れない。

 力さえあれば、絶対的に認められる。そして、自分の血筋の確かさを証明できる。そう思い続け――それでもどういう運命のめぐりあわせか、族長となったのはイーリスのほうだった。


 イーリスは【女神の目】を持たない族長。それをもう気に病んだりしないと決めたのはずっと昔のことだが、やはり彼女の心には晴れない(もや)がかかったままなのであった。

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